2022年11月4日金曜日

大盛り無料の罠

 大盛り無料の罠にひっかからなくなった。ぼくも大人になったものだ。


 若い頃は幾度となくひっかかってきた。

 大盛り無料! ってことは大盛りにしないと損するってことじゃん!

 で、明らかに身の丈にあわない量のごはんを前に苦労することになる。胃もたれするおなかをかかえて会計をしながら「もう大盛り無料はやめとこう」と決意する。

 だがその決意もつかぬま、のどもとすぎればなんとやらで数週間後に訪れた定食屋でおばちゃんから「大盛り無料ですけど」と言われたとたんに「今日はいけそうな気がする」と注文してしまうのだ。


 もっと若い頃は大盛りでも余裕でいけた。

 学生街の定食屋でからあげ定食(大盛り)を頼んだら、特大からあげ十個とふつうの茶碗三倍分ぐらいのごはんが出てきてさすがにそのときはごめんなさいと言って残したが、そんなクレイジーな店をのぞけば大盛りでも余裕でこなせた。有料でも大盛りにすることもあった。


 しかし若いつもりでも、肉体は時が経てば衰える。特に内臓の衰えは深刻だ。ちょっと食べすぎたり、ちょっと脂っこいものを食べると、てきめんに具合が悪くなる。

「無理って言ってるじゃないすか……。もう若くないんすよ」
という胃の声が聞こえる(若い人には信じられないかもしれないが、中年になると己の内臓と会話ができるようになるのだ)。

 手痛い失敗を何度もくりかえし、ぼくは学んだ。「大盛り無料」は罠だ。あれはサービスではない。店が、中年をいじめるために仕掛けているトラップなのだ。

 大盛り無料の罠にひっかからない人。それこそが分別ある大人なのだ。


2022年11月2日水曜日

いちぶんがく その17

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



マイがいつものようにすっかり話に置いて行かれた顔で言った。

(冲方 丁『十二人の死にたい子どもたち』より)




ゼロ除算は全人類の目の敵なのです。

(いっくん『数学クラスタが集まって本気で大喜利してみた』より)




薄気味悪い笑いを浮かべたクラスメイトを破ってしまいたいと思った。

(又吉 直樹・ヨシタケシンスケ『その本は』より)




また、試合開始早々にベンチに下げられても、ロッカールームを爆破してやるなどと脅迫することもなかった。

(R・ホワイティング(著) 玉木 正之(訳)『和をもって日本となす』より)




鞠子は、遠慮とはさせるもので、するものではないと思っている。

(吉田 修一『パーク・ライフ』より)




例えば、電話の通話、 野球のホームランの数、コンピュータのプログラム、スポーツジムのトレーニングプログラム、 柔道の試合や、技の数(技あり一本)などにも使われる。

(今井 むつみ『ことばと思考』より)




私の考えがひどくゆがんでいたとしても、それを押しつけることができるのだ。

(マシュー・O・ジャクソン『ヒューマン・ネットワーク 人づきあいの経済学』より)




一人になりたいときには、テニスの松岡修造のような暑苦しいキャラクターは嬉しくありません。

(青木 貞茂『キャラクター・パワー ゆるキャラから国家ブランディングまで』より)




出会いはいつも平凡で、シングルカットされるような劇的な瞬間なんて、ひとつもなかったのです。

(岡本 雄矢『全員がサラダバーに行ってる時に全部のカバン見てる役割』より)




あなたや私のなかには、たくさんのアウストラロピテクスがいるのである。。

(ダニエル・E・リーバーマン(著) 塩原 通緒(訳)『人体六〇〇万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』より)




 その他のいちぶんがく


2022年11月1日火曜日

【読書感想文】ニコリ『すばらしい失敗 「数独の父」鍜治真起の仕事と遊び』 / マニアでないからこその良さ

すばらしい失敗

「数独の父」鍜治真起の仕事と遊び

ニコリ

内容(ニコリ直販ショップより)
株式会社ニコリの初代社長で「数独」の名付け親・故鍜治真起の評伝本。パズルの素人がいかにしてパズルの会社を立ち上げ、数独を世界に広めたか。生い立ちから晩年まで、鍜治真起に関わった多くの人のインタビューを元に人物像を掘り下げていく。80年代に産声を上げた『パズル通信ニコリ』がどのように続いてきたかの記録でもある。

『ニコリ』という雑誌を知っているだろうか。

 総合パズル雑誌。クロスワード、まちがいさがし、迷路、虫食い算といった定番のパズルから、オリジナルのパズルまで様々なパズルが掲載されている雑誌だ。

 ぼくとニコリの出会いは小学生の頃。父親が『数独』という本(ニコリ用語でいう〝ペンパ本〟)を買ってきて、たちまち夢中になった。あっという間に一冊をやりつくしてしまい(もっとも難しい問題はできなかったが)、一度解いた問題を消しゴムで消してもう一度解いたりしていた。

 父親は他のパズル本(『ぬりかべ』や『スリザーリンク』)も買ってきた。これもすぐにとりこになった。『スリザーリンク』は今でも好きなパズルのひとつだ。そして、それら様々なパズルを乗せた『ニコリ』という総合パズル雑誌があることを知った。もちろん買った。なんておもしろい雑誌なんだろうとおもった。

 当時、ニコリのパズル本は一般の書店には置いていなかった。ごく限られた書店か、おもちゃ屋などで売られていた。郊外に住んでいたぼくは電車で二時間かけて梅田のキディランドまで『ニコリ』を買いに行っていた。

 だが、季刊(年四回発行)だった『ニコリ』は隔月刊になった(後に月刊となるが、現在はまた季刊に戻っている。こんなに刊行形態が変わる雑誌もめずらしい)。学生だったぼくにとって頻繁に買いに行くのはむずかしく、ついには定期購読を申しこんだ。中高生の頃はずっと小遣いで二コリを定期購読していた。

 パズルを解くのはもちろん楽しかったし、『ニコリ』は懸賞もおもしろかった。いつだったか(平均大賞だったかな?)景品のシールをもらった喜びは今でもおぼえている。自分でパズルを作って投稿したこともある。採用はされなかったが。

 今はもう定期購読はしていないが、それでもときどき書店で見かけると、ためらいながらもついつい買ってしまう。買うのをためらう理由は、おもしろすぎるからだ。なにしろ一冊で数十時間遊べるのだ。こんなにコスパのいい雑誌は他にちょっとあるまい。長時間遊んでしまうので買うのをためらってしまうのだ。



 そんな『ニコリ』創業者のひとりで、「数独」の名付け親でもある鍜治真起氏が2021年に亡くなった。海外では「Godfather of Sudoku(数独の父)」の異名も持つ鍜治真起氏について、近しい人たちからのコメントを集めた評伝。


 意外だったのは『パズル通信 ニコリ』創刊メンバーの三人ともが、さほどパズル好きだったわけではなかったこと。

 こうして、「パズルへの熱い思いが高じて」といった理由ではなく、「世の中にないものを作りたい」という理由で、三人はパズル雑誌作りを始めた。パズルがテーマになったのは偶然のなりゆきで、パズルは雑誌を出すための手段だったのだ。だが、そこに三人の思いは重なった。
 ただもちろん、雑誌を作るためにいろいろなパズルを解いたり作ったりしていくなかで、こののち、三人はパズルの面白さにハマっていくのである。走り出してから、パズルのとりこになっていった。
 のちにニコリの四人目のメンバーとなる小林茂さんは、創業メンバーの三人について「三人のベクトルは、ちょっとずつ違うものだった」と見ていた。「三人とも『何かをつくり たい、創造したい』という思いが中心にあった。その上で、(樹村)めい子さんはパズルのほうに興味があって、(清水)眞理さんは漫画を含めたイラストで創造したいと。鍛冶さんはコピーや文章を書いて、何か媒体を持ちたいと。それがニコリに結実したんじゃないかと思います」

 何かを作りたい、という思いがそれぞれにあり、そのためのテーマがたまたまパズルだっただけ。

 ぼくはてっきりパズルを愛してやまないパズルマニアがつくった雑誌だとおもっていた。でも「他の何よりもパズルが大好き」という人たちでなかったのが逆に良かったのかもしれないね。思いの強い人が作っていたら、細部まで徹底的に作りこむ分、他者が参加する余地は少なかったんじゃないだろうか。

『ニコリ』の魅力はなんといっても、そのゆるさ、参加しやすさにあった。昔から今までずっと読者投稿にページを割いているし、掲載されているパズルの多くは読者の投稿によるものだ(ぼくも中学生のときに投稿したことがある。採用されなかったけど)。

 また『ニコリ』の名物企画といえば『ゴメン・ペコン』のコーナー。これは、前号の内容に不備があったことをお詫びするコーナーだ。読者から指摘されたパズルのミス(どうやっても解けない、別解あり)や、誤植、校閲ミスをお詫びするコーナーだ。これがレギュラーコーナーとして毎号載っている。このゆるさこそが『ニコリ』の魅力で、これによって読者は「自分もいっしょに雑誌をつくっている」という感覚を味わうことができる。ぼくも誤植を指摘したことがある。

 つまり『ニコリ』編集部は謙虚なのだ。それは創業メンバーが「パズルの知識なら誰にも負けない」といった思いを持っている人でなかったからこその謙虚さだったのだろう。



 時代も良かったのだろう。

 ニコリが創刊された1980年代は雑誌が元気だった時代だ。『ぴあ』(1972年~)や『本の雑誌』(1976年~)など、資本をもたない若者が、手作り雑誌によって世に出ることができた時代。

 だからこそ『ニコリ』もパズル雑誌としてスタートできたのだろう。きっと今の時代だったら、若者たちが何かを作りたいとおもったとしても、集まって雑誌を作るなんて面倒なことはせず、SNSやYouTubeでかんたんに発信・発散してしまうだろうから(それはそれで新しい文化としていいんだけど)。

 そこまでパズル好きというほどでもない三人がつくったパズル雑誌が出版不況の今でも続いていて、世界中で愛されているというのはなんともふしぎなものだ。



 ぼくは『ニコリ』という雑誌や会社は大好きだが、創業者の鍜治真起さんについては名前しか知らなかったので、この本に書かれている鍜治さん個人のエピソードについては興味を惹かれなかった(特に生い立ちのあたり。波乱万丈な人生送ってるわけでもないし)。

 いちばんおもしろかったのは、安福良直さんという人の入社の経緯。

 安福さんは中学時代、「虫くい算」というパズルに関する本を親に買ってもらい、夢中 になった。虫くい算とは、完成していた計算式(おもに筆算)が虫に食われて「口」の穴になり、その口に0から9までの整数のどれかを入れて、元の計算式を復元しようという計算パズルである。安福さんは独自に研究し、巨大な虫くい算の作りかたを発見、あとは計算を進めて完成させるだけだ、という地点にまでたどり着く。
 孤独で壮大な研究成果が完成した暁には、どこかで発表したい、と考えた安福さんは、本屋に行き、パズル雑誌を二、三冊購入した。そのひとつが、『パズル通信ニコリ』だった。一九八六年夏、京都大学理学部の一年生のときのことである。
 読み比べてみると、ニコリが最も投稿作品を受け付けているし、虫くい算も載っているし、数独など、ほかの数字パズルも載っていた。虫くい算ができたらニコリに送ろうと決め、ニコリに掲載されていた各種パズルを解いてみたところ、見事にハマった。すぐに自分でも数独やカックロなどを作り、ニコリへ投稿するようになる。
 投稿生活と並行して完成させた虫くい算も、満を持して、ニコリに送ったのだった。
 その虫くい算は割り算の筆算で、一二桁+小数点以下一桁の数を一二桁の数で割り、その計算を延々と小数点以下、二万四一〇桁まで進めたものだった。しかもすべての数字が口になっていて、明かされている数字はひとつもない。パズルなので、答えはもちろんひとつだけだ。
 ひとつの口を五ミリ角で紙に書いたこの筆算は、広げると横約一〇〇メートル、縦約一八〇メートルもの超巨大サイズとなった。安福さんはその紙をひたすら折りたたんで、段ボール箱に入れた。さらに、この虫くい算の答えがひとつであることの証明と、この作品ができるまでの過程などを書き綴った一冊の大学ノートも添え、ニコリに送りつけたのである。

 すげえなあ。二万桁以上の虫くい算……。

 ちなみにこの安福さん、これが縁で後にニコリに入社し、現在は鍜治さんの跡を継いで社長になっているというからなんともドラマチック。すごい縁だなあ。

 そういやこの本を読んでいるときにふとおもいだしたんだけど、ぼくが大学生のとき、就活に疲れてふと「『ニコリ』で働くのは楽しそう」とおもって、ニコリに電話をしたことがあった。「新卒採用やっていますでしょうか?」と尋ねて「現在はやっていません」と言われてあっさり諦めたんだけど、それじゃあダメだよなあ。そこで超大作パズルをつくって送りつけるぐらいのことをしないとニコリには入れなかったんだよなあ。


 鍜治さん個人の人となりについては食指が動かなかったが、ニコリという会社の浮き沈みについて書かれたあたりはおもしろかった。

 一読者から見れば『ニコリ』は順調にやっているように見えたけど、経営の失敗でつまづいたり、借金を抱えたり、けっこういろいろあったんだなあ。おもいだせば、季刊→隔月刊→月刊になったころは迷走していたなあ。

 またいつ危なくなるかわからないから、ファンとしてちゃんと買わなくちゃなあ。




 ところでこの本の書名になっている「すばらしい失敗」とは、海外で数独ブームがきたのにニコリが「SUDOKU」を海外で商標登録していないために儲けそこなったことを指す。

 鍜治さんはこの〝失敗〟をむしろ誇りにしていて、それによって数独が世界中に広まったことを喜んでいたらしい。まあ数独自体が鍜治さん考案のパズルではないので(名付け親であり、育ての親ではあるが、産みの親ではない)、商標登録をしなかったのはいいことだとぼくもおもう。こういうところが『ニコリ』が愛される所以なのだ。


 ついでに、この本に載っている好きな逸話。

 椎名誠が朝日新聞で創業間もないニコリを紹介したときに書いた「これが売れても大手は荒らすなよ」という言葉。

 せっかく若者が総合パズル雑誌という大手未開拓の海に船出したのだから、大手が資本にものをいわせて市場を荒らすんじゃねえぞというメッセージ。じつに粋だ。

 そうやって船出したニコリがパズル界のトップランカーになったとき、「SUDOKU」を商標登録せずに海外のパズル制作者たちに門戸を開いたというのはなんとも素敵な話じゃないか。ねえ。


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2022年10月31日月曜日

【読書感想文】『ズッコケ脅威の大震災』『ズッコケ怪盗Xの再挑戦』『ズッコケ海底大陸の秘密』

   中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読んだ感想を書くシリーズ第十三弾。

 今回は37・38・39作目の感想。

 すべて大人になってはじめて読む作品。


『ズッコケ脅威の大震災』(1998年)

 三人組の住むミドリ市付近で、漁獲量が急減する、海の魚が川に上ってくる、鳥が集団移動する、変わった形の雲が観測されるなど次々に不気味な異変が起こる。そしてついにミドリ市を襲う大地震が発生。ハチベエの家は燃えて父親が骨折、ハカセの住むアパートは倒壊、モーちゃんは百貨店で地震に襲われる。三人とも無事だったが、避難所暮らしを余儀なくされる……。


 ドキュメンタリータッチで描かれた異色の作品。特に前半は地震の前触れや被害状況を説明するのにたっぷりページが割かれて、三人組の物語というより群像劇。

 震災というテーマをエンタテインメントにするわけにはいかないのはわかるが、それにしても書くのが早すぎたんじゃないだろうか。阪神大震災が1995年。その三年後に発表された作品なので、まだ震災の記憶が生々しすぎたのでは。もう少し時間をおけば、作者の中でも読者の中でも記憶が整理されて、楽しめる物語になったんじゃないかな。まだ消化不十分のままアウトプットしちゃった感じだな。

 地震の予兆にはじまり、地震の生々しい描写、震災直後の街の様子(ただし死者や重傷者は描かれない)、避難所での暮らし、避難生活におけるトラブル、被災者間での格差や軋轢などを丹念に書いている。よく取材して書いたのだろう。が、その結果、新聞記事みたいな内容になってしまった。「書かなきゃいけないこと」をぎゅうぎゅうに詰めこんだ結果、遊びがない。特に前半。

 この作品に意味がないとは言わないが『ズッコケ三人組』でなくてもよかったとおもう。ここまでリアリティを持たせるのなら、いっそ舞台を神戸にしてドキュメンタリーにすればよかったのに。


 良かった部分は、子どもたちが避難所での暮らしを楽しんでいるところ。そうそう、いっちゃ悪いけど、小学生にとっては震災って心躍るイベントなんだよね。もちろん近しい人が無事だからこそ、だけど。

 奇しくも、ぼくも三人組と同じ小学六年生のときに阪神大震災を体験した。といっても我が家はガスが数ヶ月止まったぐらいの被害だったが。

 阪神大震災の記憶

 親はたいへんそうにしていたが、ぼくにしてみれば震災後の日々はちょっとしたキャンプぐらいのイベントだった。ガスが止まったことで日々の料理が変わり、風呂に入れなくなり、エアコンが使えなくなったので家族みんなで狭い部屋に固まって過ごした。多少の不便は強いられたが、しょせんは小学生。財産とか地震保険とか家のメンテナンスとかこれからの暮らしとかの心配はまったくしなくていい。

 だから、地震後に子どもたちが活き活きと働くところを描いているところは真実味があっていい。三人組はハチベエの店の再建を手伝ったり、避難所のトイレを掃除したり、自主的に学校を片付けたり、たいへんながらもとても楽しそうだ。小学生にとって大きな天災は、「人から必要とされる喜び」を感じられるチャンスなのだ。

 避難所生活に慣れてくる後半以降は、冒険感があってなかなかわくわくさせる。震災そのものよりも、避難所生活や復興のほうに重点を置いた話を読みたかったな。




『ズッコケ怪盗Xの再挑戦』(1998年)

 三人組の活躍で逮捕寸前まで追い詰められた怪盗Xは逃走し、仲間たちを脱走させた。さらにXは催眠術を使って三人組に骨董品を盗み出させた。そして百貨店で開催される世界の宝石展で盗みをはたらくと予告。三人組は警察や百貨店の店長と協力してXの犯行を阻止するために奮闘する……。


 ズッコケシリーズは50作あるが、基本的にすべて独立した話だ。『ズッコケ脅威の大震災』でミドリ市は壊滅的な被害を受けたが、他の作品ではみんな平和に暮らしている。別次元で起こっている話といってもいい。そうでないと、彼らは六年生の夏休みの間に漂流して無人島で暮らし(『探検隊』)、モーちゃんの親戚の家に行き(『財宝調査隊』)、ハカセの祖父母の家に行き(『恐怖体験』)、山で遭難し(『山岳救助隊』)、隣の小学校の連中と戦争し(『忍者軍団』)、ハワイに旅行した(『ハワイに行く』ことになってしまう。

 と、そんなパラレルワールドだらけのズッコケシリーズではじめての続編がこの『ズッコケ怪盗Xの再挑戦』だ。『ズッコケ三人組対怪盗X』と同じ世界線の話である。この年(1998年)に映画『ズッコケ三人組 怪盗X物語』が公開されたので、それにあわせて続編を書いたようだ(しかし映画公開が7月でこの本の刊行が12月なので遅すぎる気もするが)。


 映画公開にあわせて発表された続編、ということでイヤな予感がしていたのだが、まんまと的中。ひどい出来栄えだった。

 冒頭のXの部下を脱走させるところはいいとして、壺を盗みだすところやデパートの宝石を盗みだすところは読むに堪えない。まず催眠術を使って三人組を思い通りに動かす、ってのが無茶苦茶だ。いやもうそれができるなら何でもありじゃない。催眠術が出てくる作品嫌いなんだよね。それもう「犯人は実は超能力を使えるんです!」ってのといっしょだから。推理ものでそれをやっちゃおしまいだ(宮部みゆき『魔術はささやく』も大嫌い)。あ、西澤保彦作品みたいに先に超能力を明かしておくのならオッケーだよ。

 っていうかXが催眠術が使えるならなぜこれまでは使わなかったのか。そもそも「催眠術を使って小学生を動かし、壺を盗ませる」ってのが意味不明。そんな都合のいい催眠術が使えるなら、壺の持ち主に催眠術をかけろよ。

 さらにひどいことに、壺にしても宝石にしても「催眠術を使わなくてもXには盗むチャンスがあった」んだよね。まったく無駄かつアンフェアな催眠術が出てくる時点でこの作品は失敗だ。

 ラストの「ハチベエがルアーを投げてXから札束を取り返すシーン」こそ見ごたえがあったものの、そこに至るまでの流れはたんなる偶然。結局、ハカセは推理力を発揮することもなく、モーちゃんは例によって何の活躍もなく、終了。

 推理物の常として、大怪盗を登場させてしまうとそっちが主役になってしまうんだよね。「主人公たちは怪盗をあと一歩までは追い詰めるが結局は逃がしてしまう」になってしまうので。

 そしてこの巻では怪盗X自身の魅力もまるで感じられない。『ズッコケ三人組対怪盗X』では、X一味は倒産した会社の元社員らしいという過去が垣間見えたのだが、今作はそういう背景も一切なし。ほとんど読み応えのない作品だった。



『ズッコケ海底大陸の秘密』(1999年)

 ハチベエのおじさんの家に泊まりに来た三人は、ひとりのダイバーが行方不明になったという話を聞き、ダイバーの娘の恵といっしょに捜索をすることに。捜索中に謎の生物に出会って気を失った四人が連れてこられたのは、なんと海底人の住む世界だった……。


『あやうしズッコケ探検隊』で登場したタカラ町のおじさんが再登場。『探検隊』といい今作といい預かった子どもたちが行方不明になってしまう展開で、おじさんとおばさんがなんとも気の毒だ(自分が親になったのでどうしてもおじさん側に感情移入してしまう)。

 読んだ感想は「なんか大長編ドラえもんみたいだな」。ひょんなことから別の文明に遭遇し、彼らと人類との意外な過去が明らかになる。そして環境破壊をする人類に警告を鳴らしつつ、一応平和的に解決……。完全に、説教くさくてつまらなかった頃の大長編ドラえもんだ。

 導入はわりと良かったんだけどね。無駄に細かい釣りの描写、行方不明になったダイバー、謎の大金持ちの別荘、と丁寧にお膳立てをした上で満を持して海底人登場!

 ここ数作はずっと狭いスケールの話が続いていたので、『ズッコケ宇宙大旅行』以来じつに14年ぶりの未知との遭遇系ストーリーだ! とわくわくした。けど……。

 中盤以降のズッコケシリーズのつまらなさって「三人組が巻きこまれるだけで活躍しない」ことに原因があるんだよな。そしてこの作品もその例に漏れない。

 海底人に出会ってからは、案内されて海底大陸を見学し、海底大陸での快適な暮らしを提供され、海底人たちの歴史を教えられ、わけもわからぬまま地上に戻される。その間ずっと受け身。ずっとなりゆきに身を任せている。ここ数作はほんとにこのパターンが多い。『ミステリーツアー』も『死神人形』も『ハワイに行く』も『怪盗Xの再挑戦』も、ただただめずらしい出来事に巻き込まれただけで後は流れに乗っているだけ。もううんざりだ!

『ズッコケ海底大陸の秘密』は、話の展開としては『ズッコケ山賊修業中』と似ている。しかし『山賊修業中』では山賊の連中と喧嘩をしたり、脱走したり、その間の心中描写があったりで退屈させない。それに比べて『海底大陸の秘密』はそれらが何にもない。ハカセの心中だけはわずかに描写されるが、他のメンバーは機械的に動いているだけ。

 やれ環境破壊だやれ原発だって説教もしゃらくさいし(そういう教訓めいたことがないのがズッコケシリーズの魅力だったのに)、導入は良かっただけに肩透かしを食らった気分だ。

「かつて地上で栄えた種族が、遺伝子操作によって海底で生活できる種族を作りあげた」ってほら話はわりと好きだったけどな。ただそれがストーリーとあんまり関連なかったな。


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【読書感想文】『それいけズッコケ三人組』『ぼくらはズッコケ探偵団』『ズッコケ㊙大作戦』



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2022年10月28日金曜日

美人局

 美人局。

 びじんのつぼね、ではなく「つつもたせ」と読む。でも春日局は「かすがのつぼね」が正解。


 それはそうと、すごい名前だよね。美人局って。

 要は犯罪者じゃん。弱みを握らせて恐喝するっていう。それを「美人局」と呼ぶ。「美人」は褒め言葉だし、「局」は位の高い人につける敬称。犯罪者なのに褒めそやしすぎじゃないか?

 なんだか、美人局という名前をつけた人の「あわよくば騙されてみたい。でへへ」という気持ちが透けて見える。


 犯罪者を「褒め言葉」+「肩書」で呼ぶシリーズを他にも考えてみた。

  • 男前を活かして結婚詐欺師をするやつは「二枚目関白」
  • 頭脳をはたらかせて詐欺をはたらくやつは「切れ者上皇」
  • ひったくり犯は「俊足金メダリスト」
  • 知名度だけを生かして代議士になったロクデナシは「タレント議員」
 あ、最後のやつはそのままか(しかも必ずしも犯罪者とはかぎらない)。