2021年12月27日月曜日

2021年に読んだ本 マイ・ベスト12

 2021年に読んだ本は110冊ぐらい。

 去年は130冊ぐらいだったのでちょっと減った。おうち時間が減ったからかな。

 その中のベスト12。

 なるべくいろんなジャンルから選出。
 順位はつけずに、読んだ順に紹介。


堀江 邦夫
『原発労働記』


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 ノンフィクション。

 いくつもの原発で作業員として働いた著者による渾身のルポルタージュ。まさに命を削って書かれている。
 ここに書かれている原発の実態は、ごまかしと隠蔽ばかりだ。原発の管理がいかにずさんかがよくわかる。

 この本を読んでまだ「日本に原発は必要なんだ」と言える人がいるだろうか。



石井 あらた
『「山奥ニート」やってます。』


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 エッセイ。

 廃校になった小学校の分校で、ニートたちが集まって集団生活を送っている。その日々をつづったエッセイ。ぼくもかつては無職だったが、きっとその頃こういう人たちがいると知ったら気が楽になっただろう。

 山奥ニートという生き方に眉をひそめる人もいるだろうが、ぼくはこういう生き方を選ぶ人がいてもいいとおもう(ただし我が子が山奥ニートになりたいと言いだしたらやっぱり反対するとおもう)。本当の〝一億総活躍社会〟ってこういうことだとおもうんだよね。


前野ウルド浩太郎
『バッタを倒しにアフリカへ』


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 ノンフィクション。

 文句のつけようがないぐらいおもしろい。「おもしろい本」は多いし「すごいことをやっている本」も多いけど、「おもしろくてすごいことをやっている本」はそう多くない。これは類まれなるおもしろくてすごい本。

 近い将来、この人がアフリカを救うとぼくは信じている。


ブレイク・スナイダー
『SAVE THE CAT の法則』


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 ハウトゥー本なんだけど、なんか妙に感動してしまった。

 ロジカルに、手取り足取り脚本の書きかたを教えてくれる。
 これを読んだら自分にもハリウッド映画の脚本が書けるような気になってしまう。

 ストーリーをつむぎたいとおもっている人にとっては読んでおいて損はない本。


マルコ・イアコボーニ
『ミラーニューロンの発見』


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 ノンフィクション。

 他人の行動を観察しているときにまるで自分がその行動をとっているかのように活性化する脳細胞・ミラーニューロンについて書かれた本。

 この本を読むと、我々の行動がいかにミラーニューロンによって支配されているか気づかされる。人間はものまねによって動くのだ。笑っている人を見れば楽しくなるし、暴力映像を見れば暴力的になる。「暴力映像を観たからといって暴力的になるわけじゃない! 人間はそんなに単純じゃない!」と言いたくなる気持ちはわかる。だが、残念なことに人間は単純なのだ。目にしたものを無意識に真似してしまうのだ。


佐藤 大介
『13億人のトイレ 下から見た経済大国インド』


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 ノンフィクション。

 2020年に読んだM.K.シャルマ『喪失の国、日本』も猛烈におもしろかったが、この本もすばらしい。インドに関する本はどうしてこんなにおもしろいのか。

 インドのトイレ事情について語りはじめるんだけど、そこから話がどんどん広がっていって、政治、経済、貧困、犯罪、宗教対立、民族問題、環境問題、そして今なお根深く残るカーストなどについて斬りこんでいく。
 内容ももちろんおもしろいんだけど、なによりワンテーマを軸にいろんな問題に切りこんでいく手法が画期的。


橋本 幸士
『物理学者のすごい思考法』


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 気鋭の理論物理学者によるエッセイ。

 餃子のタネと皮を残さずに包むための最適解を求めたり、エレベーターに何人まで詰め込めるかを計算したり。最高なのは「僕は1時間、ニンニクを微分し続けていたのだ」という強力なフレーズ! これまでニンニクを微分しようとおもった人いる?

 物理学者の、常人離れした思考の一端に触れることができるエッセイ。


伊藤 計劃
『虐殺器官』


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 SF小説。

 今まで読んだSFの中でもトップクラスにおもしろかった。はじめから最後までずっと興奮した。主人公が属する暗殺組織もおもしろいが、なによりターゲットであるジョン・ポールがおこなっている「人々に殺し合いをさせる手法」のアイデアがすごい。
 ほらの吹きかたがすごくうまかった。ぜんぜん現実的じゃないのに、でも「ここじゃないどこかにはこういう世界もありそう」とおもわせてくれる。


荒井 裕樹
『障害者差別を問いなおす』


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 ノンフィクション。

 一部ではあるが、健常者社会に対して激しい闘いをしかける障害者がいる。この本を読む前のぼくは「そんなことしたらみんなから嫌われるだけじゃん。喧嘩をふっかけるんじゃなくて、友好的な関係を築かないと障害者の権利は拡がらないよ」とおもっていた。

 だがこの本を読んで、そうした考えは浅はかなものだと気づかされた。ときに差別されている側から(無意識に)差別している側に闘争をしかけないと差別は是正されないのだ。黒人奴隷が「白人から愛される存在」を目指していたら、いつまでたっても奴隷制はなくならなかっただろう。差別是正のいちばんの敵は、ぼくのような高いところから「お互い仲良くやりましょうや」と言う人間だったのだ。


奥田 英朗
『沈黙の町で』


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 小説。

 いじめをテーマにした小説はいくつも読んだことがあるが、『沈黙の町で』は今までに読んだどの小説よりもリアルに学生のいじめを描いていた。

 いじめの被害者は、小ずるく、自分より弱いものに対しては攻撃的で、平気で他人を傷つける言葉を口にし、他人を裏切る卑怯者で、すぐに嘘をつく少年。またいじめっ子グループにつきまとわれていたのではなく、むしろ逆に自分からいじめっ子グループについてまわっていた。逆に加害者とされるのは、人よりも正義感の強い少年である。

 それでも、いじめられていた子が命を落とせば「イノセントないじめられっ子」「悪いいじめっ子」という単純な構図に落としこまれてしまう。そして我々は「自分とは関係のない凶悪なやつがいじめをするのだ」と安心して目を閉じるのだ。


藤岡 拓太郎
『夏が止まらない』


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 二コマ~数コマのショートギャグ漫画。

 タイトルがおもしろくて、一コマ目がもっとおもしろくて、二コマ目でさらにおもしろいという、二コマ漫画なのに三段跳びみたいな作品もある。「適当に捕まえたおばさんに、自販機の飲み物をおごるのが趣味のおっさん」とか「仲直りをしたらしい小学生をたまたま見かけて、適当なことを言うおっさん」とか、タイトルだけでもおもしろいのに漫画はもっとおもしろい。

 二コマ漫画界の巨匠と呼んでいい。


永 六輔
『無名人名語録』


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 『無名人名語録』『普通人名語録』『一般人名語録』の三部作どれもおもしろかった。

 市井の人々(タクシードライバーとか飲み屋にいるおっちゃんとか定食屋のおばちゃんとかホームレスとか)がなにげなく言った一言を集めた本。SNSで交わされる言葉ともちょっとちがう。もっとプライベートな発言だ。これがしみじみ含蓄がある。

 ただ言葉を載せるだけで、余計な解説を挟んだりしていないところもいい。


 来年もおもしろい本に出会えますように……。


2021年12月24日金曜日

【読書感想文】横山 秀夫『ノースライト 』~建築好きに贈る小説~

ノースライト

横山 秀夫

内容(e-honより)
北からの光線が射しこむ信濃追分のY邸。建築士・青瀬稔の最高傑作である。通じぬ電話に不審を抱き、この邸宅を訪れた青瀬は衝撃を受けた。引き渡し以降、ただの一度も住まれた形跡がないのだ。消息を絶った施主吉野の痕跡を追ううちに、日本を愛したドイツ人建築家ブルーノ・タウトの存在が浮かび上がってくる。ぶつかりあう魂。ふたつの悲劇。過去からの呼び声。横山秀夫作品史上、最も美しい謎。

 バブル崩壊の影響で離婚して失意の中にあった建築士・青瀬は、「あなた自身が住みたい家を建てて下さい」という施主・吉野の依頼を受け、設計を請け負う。完成した「Y邸」は建築界から高い評価を受け、青瀬の代表作となる。だが数ヶ月後、Y邸には誰も住んでいない、それどころか引っ越した形跡すらないことが判明する。Y邸にあったのは一脚の椅子だけ。
 はたして吉野一家はどこへ行ったのか。青瀬は、残された「タウトの椅子」を手掛かりに吉野の行方を探す……。


 青瀬の少年時代の記憶、離婚前の家庭の記憶、ブルーノ・タウトの椅子、雇い主との関係、同僚の不倫のにおい、入札コンペ、かつての恋敵との再会……。様々な出来事が語られる。
 あれやこれやと詰め込んでいるが、終盤までなかなか収束しない。大丈夫か、これ風呂敷畳めるのか……とおもっていたら、ちゃあんと決着。さすが横山秀夫氏。うまい。

 うまいが、これだけの分量を割いてこれか……という気持ちも若干ある。

「吉野一家はどこへ行ったのか、なぜ青瀬にY邸の建築を依頼したのか」という最大の謎も、わかってみれば「なーんだ」というぐらいのもの。「えっ、あの人がまさか!?」「そんな意外な真実が!?」と驚くほどのものではない。
 というか「いくら父親の遺言だからってそこまでやらんだろ……」って感じなんだけどね。

 これまでの人生で数多く傷ついてきた中年の悲哀を描いた小説、とおもって読めばしみじみ味わい深いかもしれないけど、ミステリだとおもって読んだぼくにとっては正直期待外れだった。
 すごくうまく風呂敷を畳んだけど、畳んでみたらものすごくこじんまりとしてた。そんな気分。




 ミステリとして読むより、建築小説として読んだほうがいいかもしれない。

「北向きの家」を建てる。その発想が浮かりと脳に浮かんだ時、青瀬はゆっくりと両拳を握った。見つけた。そう確信したのだ。信濃追分の土地は、浅間山に向かって坂を登り詰めた先の、四方が開けた、この上なく住環境に恵まれた場所だった。ここでなら都会では禁じ手の北側の窓を好きなだけ開ける。ノースライトを採光の主役に抜擢し、他の光は補助光に回す。心が躍った。光量不足に頭を抱えたことのない建築士がいるなら会ってみたい。住宅を設計する者にとって南と東は神なのだ。その信仰を捨てる。天を回し、ノースライトを湛えて息づく「木の家」を建てる。北からしか採光できない立地条件でやむなくそうするのではなく、欲すればいくらでも南と東の光を得られる場所でそれを成す。究極の逆転プラン。まさしくそう呼ぶに相応しい家だった。
 青洲は憑かれたように図面を引いた。平面図。立面図。展開図。断面図。描いては捨て、描いては直しを繰り返した。採光のコンセプトが家の外形を決定づけたと言っていい。北面壁を最高軒高とする一部二階建て。北向きの一辺を思い切り長く引き、南側の辺を大胆に絞り込んだ台形状の片流れ屋根。縮尺二十五分の一の大きな模型を作って内部の光の当たり方を吟味した。季節ごと、時間ごとの入射角を計算し、屋内の構造と窓の位置・形状を決めていった。そして、それでも足りない光量を補うために、いや、この家を真に「ノースライトの家」たらしめるために、苦心惨憺の末考案した「光の煙突(チムニー)」を屋根に授けた。

 こんな感じで、随所に建築に関する記述が出てくる。正直言って建築に興味のないぼくにはちんぷんかんぷんだ。「よう調べたなあ」とおもうばかりだ。

 よく「医師が書いた医療ミステリ」とか「元銀行員が書いた経済小説」とかはあるじゃない。むやみに専門用語が並ぶやつ。

『ノースライト』も、油断しているとあの類かとおもってしまうんだよね。建築士が書いたんじゃないかと。横山秀夫氏の経歴を知らない人が読んだらそう信じるんじゃないかな(ちなみに横山秀夫氏は元新聞記者)。

 とにかく、「よう調べたなあ」という感想がまっさきに出てくる。建築好きならもっと楽しめるのかもね。


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2021年12月23日木曜日

【読書感想文】朝井 リョウ『世にも奇妙な君物語』~性格悪い小説(いい意味で)~

世にも奇妙な君物語

朝井 リョウ

内容(e-honより)
異様な世界観。複数の伏線。先の読めない展開。想像を超えた結末と、それに続く恐怖。もしこれらが好物でしたら、これはあなたのための物語です。待ち受ける「意外な真相」に、心の準備をお願いします。各話読み味は異なりますが、決して最後まで気を抜かずに―では始めましょう。朝井版「世にも奇妙な物語」。


 テイストもテーマもばらばらの五篇からなる短篇集。

 いずれも切れ味がいい。
 こういう「ショートショートよりも長い、意外性のあるオチが待ってる短篇集」って久々に読んだ気がするなあ。昔は阿刀田高さんがよく書いてたけど。

 個人的には短篇が好きなのでこういうのをもっと読みたいけど、そういや星新一さんや井上夢人さんが「アイデアを出すたいへんさは長篇も短篇もさほど変わらない。短篇のほうが難しいぐらいだ。なのにギャラはページ数に比例するから短篇は割に合わない」と書いていた。だからみんな書かないのかなあ。文学賞でもあんまり短篇は相手にされないしなあ。
 もっと短篇が報われる世であってほしい。


〝コミュニケーション能力促進法〟の下に非リア充が裁かれる『リア充裁判』やYahoo!ニュースやライブドアニュースのようなライト系ニュースサイトを題材にした『13・5文字しか集中して読めな』(誤字じゃなくてこういうタイトルです)は、展開に無理がありすぎて個人的にはイマイチ。特に『13・5文字しか集中して読めな』は主人公の息子の行動が嘘くさすぎた。
 登場人物の動きがあまりに作者にとって都合が良すぎて。行動の背景に保身やプライドの一切ない登場人物って嫌いだなあ。


 仲良しシェアハウスが一転サスペンス調に変わる『シェアハウスさない』もよかったが、いちばん好きだったのは『立て! 金次郎』。

 保育園での行事で、我が子の活躍が少ないことに口出ししてくる保護者に悩まされる保育士の主人公。彼は、どの子も平等に扱うことよりも、それぞれの子の特性にあった場を用意してやることこそが保育士の仕事だという信念を持っている。
 先輩保育士や保護者との軋轢も覚悟しながら、子どもたちをいちばん輝かせたいという信念を貫き通そうとした結果……。

 さわやかな青春小説のような展開から、急角度で放りこまれるブラックなオチ。「なるほど、そうくるか」とおもわず唸らされた。伏線もさりげなく、お手本のような短篇だった。
 つくづく往年の阿刀田高作品の切れ味のよさを思いだした。




 小説としていちばん好きだったのは『立て! 金次郎』だったが、おもしろかったのはラストの『脇役バトルロワイヤル』。

 いろんな意味でチャレンジングな小説だった。

 とあるドラマのオーディションとして集められた数名の役者。年齢も性別のばらばらの彼らに唯一共通しているのは「脇役が多い」ということだった……。

「『ほらほら、冷める前に食おうぜ』」
「ふっ」
 思わず、淳平は噴き出してしまった。確かに、『脇役』からあまりにもよく聞くセリフだ。
「大体食事のシーンでね、ちょっと主人公が悩んでたりしてブルーな気分のときですよ。行け行け金次郎みたいなやつでも俺これ言ってますよ確か。冷める前に食おうぜ、とか言って無理やり盛り上げて、それでも笑顔にならない主人公の表情がアップになって、はしゃいだ俺がお茶こぼしちゃってる音だけ入ってるみたいな」
「すごくわかるよ! なぜならボクもけっこう似てるとこあるからね!」
 思わず立ち上がった八嶋が、涼と握手を交わしている。 「ボクの場合は外見もあるだろうけどね。小柄でめがねってだけで、早口でよくしゃべるおとぼけな役ってのが多いんだよ。小柄でめがねが全員そういうヤツなわけじゃないのに」もう四十五なのにさ、とボヤく八嶋の姿は、見ようによっては大学生くらいにも見える。「いーっつも、刑事モノ、検察モノ、弁護士モノとかのチームに一人はいるちょっとヌケた小柄めがねだよ。重たくなりすぎないようにバランス取る調整役みたいな」
「あー……」
 淳平は思わずうなずいてしまう。確かに、いくら重たい事件を扱ったドラマだったとしても、八嶋が出てくるシーンになると、視聴者は一息つけるイメージがある。

 こうした「脇役あるある」が次々に語られる。これがなんとも底意地の悪い視点で、おもわずにやりとさせられる。

 この小説に出てくる「八嶋智彦」なんて八嶋智人さんほぼそのまんまだ。隠す気すらない。


「前やった法廷モノもさ、それも『世にも』だったかな? 完全にそういう役だったな。ボクがちょっと席外した隙に状況が変わっててさ、ボクだけついていけてないみたいな。えっ、どういうこと? みたいな表情できょろきょろするみたいなの、もう何回やったことか」
「【だけど○○だよね、まさか××が△△なんて】……このスタイルは、脇役のセリフとしてあまりにも多い。だけど、や、しかし、などの逆接から話し始めれば、前のシーンまで一体どんな状況だったのか、たった一言で視聴者に説明することができるからな。これが、ベテラン脇役界では有名な、【逆接しゃべり始め説明】だ」
「確かにさっき、桟見さん言ってたわね」そう言う板谷の顔色が、少しずつ、元に戻ってきている。「最近出たドラマでも、『でも大変だね。それやりながら、本の執筆も続けるんでしょ?』みたいなこと言わされて、それでうんざりしてたって」
「そう」
 渡辺は、不合格、と書かれている床に視線を落とす。
「主役は、絶対にこんな話し方をしない。場面の説明をするのは、いつだって脇役の仕事なんだ……」


 さらにこの短篇に出てくる役者は、『世にも奇妙な君物語』の一篇目~四篇目の小説をドラマ化したときの出演者、という設定。これまでの短篇の中で使われた台詞が五篇目の「脇役あるある」として小ばかにされるのだ。セルフディスリスペクトといったらいいだろうか。

 この短篇は、朝井リョウ氏の底意地の悪さが特に顕著に出ていて好きだった。




 どの短篇も、朝井リョウ氏の底意地の悪い視点が存分に発揮されている。

「シェアハウスって単語にイライラする人って、そういう、刺激ある仲間! とか、唯一無二の空間! とか、ぽやっとしてるけどやけにポジティブな言葉で何かをごまかしてる感じにむかついてるんじゃないかなって思うの。ほら、高校生とかに人気のあの番組もそうじゃん。若い男女が夢を追いながらひとつ屋根の下で暮らす日々を追いかける、何だっけ、似非ドキュメンタリーみたいな」

  (『シェアハウスさない』)


【覚えておきたい新世代法律特集①コミュニケーション能力促進法】
 20XX年4月、「コミュニケーション能力促進法」がついに成立した。内容について様々な議論がなされてきたため、成立したときには大きな話題となった。
 ○○年ごろから、どこの企業の人事部も、新入社員に最も期待する能力として「コミュニケーション能力」を挙げている。しかしどうやらそれは、語学力、語彙など、資格試験や検定等で測定することのできるものとは限らないらしい。条文の中でも、「年齢や性別、立場の違う者とスムーズに自分の考えていることや相手の思いをやりとりすることができる能力」と説明されているように、確固たる定義がされていない。ある人にとっては挨拶ができることが「コミュニケーション能力」であり、ある人にとっては食事の席で上司を上手に持ちあげられることが「コミュニケーション能力」なのかもしれないのだ。
 だが、定義に関して十分な議論がなされる前に法案は可決され、「クール・ジャバン戦略」に続いて「コミュニケーション・ワールド戦略」が発表された。優秀な人材を確保しますますの経済発展を目指すべく、国としても「日本人らしい豊かなコミュニケーション能力」の向上に費用を投じることになったのだ。国はまず「人と人との豊かな交流を生むに足る場所」の増加に重点をおき、フットサル場や野外バーベキュー施設等のレジャースペースの拡大、当時すでに流行の兆しを見せていた女子会の奨励、そしてそれをSNS等で共有し合う活動の促進など、様々な施策がとられた。「コミュニケーション特区」に定められた地区では、飲食店において一人がけのテーブルをなくす、一人暮らしを禁止しシェアハウスでの生活を徹底する等の実験的な特別措置がとられ、特区内と特区外におけるSNS上の「いいね!」の差を示すデータなどが主にインターネット上で大きな話題となった。

  (『リア充裁判』)


 この厭味ったらしい文章。いいねえ。

 シェアハウスにしてもフットサルにしても女子会にしてもアクセス数稼ぎのニュースサイトも、いい大人は「本人たちが楽しんでるんだからいいじゃん」でそっとしておくもんだけど、朝井リョウ氏は「それおかしくないですか」と言わずにいられない人なんだろうね。
 性格悪いなあ(褒め言葉です)。楽しく読めました。 ぼくも性格悪いからね。


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2021年12月21日火曜日

M-1グランプリ2021の感想


 M-1グランプリ2021の感想です。

 個人の感想です、って書く人がいるけど個人のじゃない感想とかある? 法人の感想? それとも国民の総意としての感想?


<1本目>


モグライダー (さそり座の女)

「美川憲一さんって気の毒ですよね」と、一瞬にしてあれこれ考えさせられる不穏な導入がすばらしい。単発のツカミかとおもったら本ネタへの導入とは。
「いいえ」のワンフレーズからそこまで想像を広げるのかと呆れさせ、「そうよ私はさそり座の女」と言わせるためだけに無駄な努力をふたりでくりひろげる。その緻密に計算された構成と、根底を貫く徹頭徹尾意味のないばかばかしさに大いに笑わされた。

 トム・ブラウンの「合体」ネタもそうだけど、バカなネタ、不条理なネタにこそ、背景にしっかりとした論理が求められる。言ってることは荒唐無稽だけど、「少なくともこの人の中では首尾一貫してる論理があるんだろうな」とおもわせなければならない。
 モグライダーのネタにはその〝狂人の論理〟があった。だから笑える。モグライダーを見習いなさい、敗者復活戦のさや香よ。ただむちゃくちゃやればいいってもんじゃないぞ。

 ツッコミもうまいし、ボケのあぶなっかしさも魅力的。後半出番だったら最終決戦に進んでいてもぜんぜんおかしくないネタだった。出番順に泣かされたなあ。

 反省点があるとすれば、歌に入るまでが早かったことだろう。1組目だったこともあるが、多くの観客にとっては「知らない人が出てきてまったく意味のわからない話をはじめた」わけで、早々に脱落してしまった人も多かったのではないだろうか。『さそり座の女』を知らない観客も少なくなかっただろうし。
 限られた時間とはいえ、前半の説明はもっと時間をかけて丁寧にやるべきだったのではないか。キャラクターが浸透してくれば、今回ぐらいの短さでもいいんだけど。

 ネタよりバラエティ番組で活躍しそうなふたりだなとおもった。


ランジャタイ (風の強い日に飛んできた猫が体内に入る)

 準決勝とは異なるネタをここで持ってくる度胸もすごい。2番手という出番順をものともせずに自分たちの空気で包みこんだ剛腕っぷりもさすが。

 ただ、設定もぶっとんでいて、中身のボケもぶっとんでいるのはいかがなものか。奇想天外な世界でベタなことをやりつづけるとか、オーソドックスな設定で奇抜なボケをするとかのほうが見やすかったんじゃないだろうか。

 しかし審査員がみんな甘い。このコンビは、どうせならぶっちぎりの最下位にしてあげたほうがよかったのに(本人たちも少なからずそれを期待していたフシがある)。70点とかつけてあげろよ!


ゆにばーす (ディベート)

 今大会の個人的最下位。好きじゃなかった。

 結局、内輪ネタなんだよね。去年のアキナといっしょで。このふたりの関係性やキャラクターありきで話が進んでいってしまう。

「うちらの関係性は何なの?」で笑いをとるためには、その前に「原さんのことを恋愛対象として見ることはできない」ことをちゃんと説明しないといけない。
 20年前だったら説明しなくてもよかったんだよ。説明しなくても「ああこの女は不美人だから恋愛対象として見られない扱いを受けても当然だ」とおもってもらえた。でも今の時代はそうじゃない。不美人だろうと、女芸人だろうと、「おまえは女じゃない」はセクハラで断罪される時代だ。ブスをブスといじっていい時代は南海キャンディーズが終わらせてしまった。
 まだ川瀬名人が超絶イケメンなら「おまえには恋愛感情持てへんわ」が説得力を持つかもしれないけど、川瀬名人のほうもアレなので「誰が言うてんねん」になっちゃう。そこをちゃんと言いかえせばいいんだけど、原さんが一方的に言われっぱなしなのでとても見ていられない。

 終始ふたりの関係性ありきのテーマだったので、ゆにばーすに思い入れのない者としては、まったく知らない人同士の合コントークを聞かされているような気分だった。

 ところで、そもそもの話になっちゃうけど「ツッコミだけが関西弁でキレ気味にツッコむ」って聞いていてつらいんだよね。攻撃的になりすぎてて。関西人のぼくですらちょっと怖い(ネプチューンとかにも同じものを感じる)。関西人同士なら気にならないんだけど、「関西弁じゃない人に関西弁でまくしたてる関西人」って、そっちのほうが異常者じゃん。
 おまけにゆにばーすは「背の高い男が背の低い女に高圧的にツッコんでる」から特にDV感が強い。よほどボケが強くないとしんどいなあ(このあたりのことはオズワルドの項で書く)。


ハライチ(敗者復活) (頭ごなしに否定)

 予選でも敗者復活でも古いネタをやっていて、なんで新ネタもないのに久々に参戦したんだろう、もう十分売れてるんだからネタがないなら出なくてもいいのに……とおもっていたが、なるほど、本当にやりたかったのはこれか。敗者復活戦とはまったくべつのネタを隠し持っていた。これはネタ番組じゃやらせてもらえなさそうだしなあ。

 クレイジーなネタで、ここでこのネタを持ってくる心意気はすごいけど、いかんせんボケが1種類しかないからなあ。おまけにランジャタイがむちゃくちゃやった後だから、「この大舞台でこれをやるか」という驚きも少ない。

 やりたいネタをやって清々しい顔で去っていった姿が印象的だった。


 ちなみに敗者復活戦は久々に生で視聴したんだけど、ぼくはカベポスターと男性ブランコ、あと1組は迷ったので娘が爆笑していたからし蓮根に入れました。ハライチもおもしろかったけど、時間オーバーしても続けていたのが印象悪かったのと、もう今さら敗者復活で上げなくてもいいでしょとおもったので。


真空ジェシカ (一日市長)

 個々のボケの強さはピカイチだった。台本で読んだらいちばんおもしろいのはこのネタじゃないかな。まあでもそれだけでは勝てないのが漫才のおもしろいところで。

 一日市長という枠組みを与えているとはいえ、基本的には大喜利の羅列なんだよね。「Q.沖縄の言葉にありそうでないものは?」「A.罪人(つみんちゅ)」「Q.この和菓子屋、不穏な気配がする。なんで?」「A.店のおばあちゃんがハンドサインで『ヘルプ・ミー』とやってきた」みたいな。
 めまぐるしく笑いの角度が変わるので、ついていけない客や審査員もいたんじゃないかな。

 台本はまちがいなくおもしろいので、後は技術が身につけばすごいだろうね。今回は表現にアラが目立った。
「沖縄の苗字」が十分伝わっていないのに「罪人(つみんちゅ」を持ってきたり、「青山学院が見くびられている」の笑いを引きずっている状態で「名門のタスキは重い」を発したためにかき消されてしまったり。本番の空気に対応できる技術はこれからなんでしょう。

「ミッキーはひとりじゃないですか」は良かったなあ。昭和なら「ミッキーなんていっぱいいるじゃねえか!」と裏を暴くだけで笑いになったけど、平成では「タブーに物申す」がダサくなった。そこで裏の裏をかいて「ミッキーはひとりじゃないですか」「そ、そうだよね」とやるのは令和の笑いって感じがしたなあ。タブーに切り込むんじゃなくてタブーをひと撫でするような笑い。

 ところで、最初から最後までずっとおもしろかったけど、最後の酸性雨だけは完全に蛇足だったようにおもう。あれのせいで突然ぶった切られたようなオチになってしまった。そこまでして入れなきゃいけないボケだったのか。「名門のタスキは重い」で落としてもよかったんじゃなかろうか。


オズワルド (友だちがほしい)

 準決勝を見たときもおもったけど、完璧なネタだとおもう。欠点がまったくない。

 モグライダーの感想でも書いた〝狂人の論理〟。言ってることはおかしいけど、「他人の気持ちがまったくわからなくて友だちができたことのない人ならこれぐらいのことは言うかも」の絶妙なラインを巧みに表現していた。
「いちばんいらない友だちでいいからさ」や「履かなくなったズボンと交換」の、他人の気持ちがわからないっぷりったら!

「友だちがいないやつのふるまい」というたったひとつのお題に対して、いちばんいらない友だち、一斉に解き放って5秒後においかける、脈拍、詐欺なんてしないなど、次々にくりだされるパンチのあるボケ。真空ジェシカとちがってお題はひとつなので、観ている側もついていきやすい。
 もちろんツッコミのワードもことごとく切れ味鋭く、非の打ち所がないネタだった。

 オズワルドといえば、昨年審査員から「序盤はロートーンで入ったほうがいい」「序盤から声を張ったほうがいい」と真逆のアドバイスをされていたが、このネタを見るとそんなことは実はどうでもいい問題だと気づかされる。

 あの問いに対する答えはかんたんで、「強くツッコむ理由があれば強くツッコめばいい」だとおもう。
 昨年のネタを例に出すと、「〝はたなか〟って発声すると口の中に何か詰め込まれるかもしれないから改名しようとおもってる」と聞かされた場合、理解不能な理屈ではあるがしょせんは他人事なので強くツッコむ理由にはならない。
 だが今年の「友だちいないから君の友だちひとりちょうだい。いらないやつでいいからさ」は、自分や友人の名誉にかかわる話なので、強く反発する理由になる。それだけの話だ。

 だからオズワルドは昨年の審査員からの問いに対して、「声を張るに値するボケを導入に持ってくる」という回答を用意した。完璧な回答だ。


ロングコートダディ (生まれ変わったらワニになりたい)

『座王』ファンとして、個人的にもっとも応援していたのがロングコートダディ。だけどあのローテンションなコンビでは爆発的にウケることはないだろうなとおもっていたので、今回の4位は上出来中の上出来だとおもう。
 しかし、観客が暖まっていてかつ疲れてもいない7番目(しかもオズワルドが盛り上げた後)という最高の出番順でこの結果だったということは、今後はこれを超えることはむずかしいんじゃないかという気もする。
 GYAO反省会で他の芸人が「あのネタの発想はすごい」と口々に褒めていたので、昔のキングオブコントのように現役の芸人が審査する形式だったら優勝できるかもしれないけど。

 このネタもたいへんおもしろかったのだけど、去年の準決勝で披露した『棚の組立』のネタがあまりにすばらしかったので、それと比較すると「おもしろいけどロングコートダディのおもしろさはこんなもんじゃないぞ」ともおもってしまう。『棚の組立』はコントに入らないし。あれこそ決勝の場で披露してほしかった。

「生まれ変わったらワニになりたい」→「肉うどん」までは正直いって凡庸な発想かもしれない。しかし二周目に入ってからの、「法則があるらしいですよ。あんまり大きな声では言えないんですけどね」といったさりげないやりとりがすばらしい。ああいう奇をてらっていない台詞こそが天空世界を強固なものにしている。あの台詞のおかげで、もうすっかり誰の目にも「天空の世界」が見えているはずだ。

「ラコステ」という軽めのボケや、「おまえは」をすぐにツッコまないところなど、本当におしゃれ。おもしろすぎないところがおもしろい。あそこで真空ジェシカのように強力なパンチが飛んできたら、たちまちこの繊細な世界が壊れてしまう(真空ジェシカは真空ジェシカでいいけど)。
 このネタを観て、つくづくおもう。やっぱりロングコートダディは漫才師ではなくコント師だと。

 ところで、反省会でこのネタの制作秘話を兎さんが語っていたんだけど、
「堂前がやってきて『生まれ変わるとしたら何になりたい?』と訊かれたので『ワニ』と答えた。そしたら次の日に堂前がこのネタを作ってきた」
だって。めちゃくちゃすごくない? そこから一日でここまで広げられる?

 他にも「堂前は一枚のアルバムを聴いて、そこから着想を得て単独ライブのネタをつくる」というとんでもない逸話も披露されていた。天才か。


錦鯉 (合コン)

 ばかばかしいだけでなく、「おじさんが合コンに行って若い子に相手にされない」という状況がずっとペーソスを漂わせていてよかった。やっぱりただおもしろおかしいだけじゃなくて、そこに悲哀や狂気や恐怖といった別の感情を揺さぶってくれるものが観たい

 審査員からも言われていたけど、緊張からかツッコミが強くなっていたのが気になった。そんなに頭を叩かなくても、という気になってしまう。だってべつに悪いことしてるわけじゃないもん。独身のおじさんが合コンに行ったっていいじゃない。ジェネレーションギャップがあるのもしょうがないじゃない。叩くことないじゃない。

 頭を叩く一辺倒じゃなく、ときに諭したしなめたり、ときに痛みに寄り添ったり、球種をおりまぜたツッコミを見せてほしいな。それができる技術のある人なんだから。
 はしゃいでるおじさんが叩かれてるのはかわいそうだ。悲哀を感じるのは好きだけど、それはあくまで漫才の設定の中だけでの話で。

 そこへいくと、オードリーの「おまえそれ本気で言ってるのか」「本気で言ってたらおまえと楽しく漫才やらねえだろ」「へへへへへ」はすばらしい発明だよな。あれがあるおかげで、どれだけ叩いていても嫌な感じにならないもの。


インディアンス (怪談動画)

 記憶を頼りに感想を書いてるんだけど(だからここに書いているセリフなどは実際とは微妙に異なるはず)、インディアンスのところではたとキーボードを打つ手が止まってしまった。はて。どんなネタしてたっけ?

 このネタにかぎらず、インディアンスの漫才は記憶に残らない。どんな設定だったか、どんなボケがあったか。観終わった後に何も残らない。そこがインディアンスのすごさでもあるんだけど、個人的にはM-1グランプリの舞台で観たいとはおもわない。近くのショッピングモールに営業で来たらいちばん笑うのはインディアンスかもしれないが。

 ロングコートダディとは対照的に、とにかくわかりやすく老若男女楽しめる漫才。たしかに楽しい。だが楽しい以外の感情は動かされない。

 理由のひとつが、インディアンスのボケは徹頭徹尾「ふざけ」であることだろう。狂気も悲しみも不条理もなーんにもない。作りだす世界はなにひとつおもしろくない。というよりそもそも世界なんて作っていない。現実と地続きの世界で、ただひょうきんな人がふざけている。だからインディアンスの漫才を見ても「田淵さんっておもしろい人ね」とおもうだけで「インディアンスの漫才の世界っておもしろいね」とはならない。

 強パンチとか中キックを隙間なくくりだす漫才。たしかに隙はないんだけど、こっちが見たいのは一か八かのスクリューパイルドライバーなんだよ!


もも (○○顔)

 ついにこういうコンビがM-1に出てきたか。
 2年ぐらい前に関西のネタ番組に「新星あらわる」みたいな紹介の仕方で出てきたときにも「M-1グランプリで勝つために特化したようなコンビだな」とおもったが、その印象は変わらない。
 もはや彼らは「漫才師」というより「M-1グランプリ師」といったほうがいいかもしれない。

 風貌からしゃべりかたからネタの構成まで、すべてがM-1グランプリのために作られている。もちろん他のタイプのネタもあるのだろうが、ぼくがテレビで5回ほど見たのはすべて「なんでやねん○○顔やろうが!」のネタだった。たったひとつのスタイルを極限までつきつめたコンビ。

「M-1に勝つためだけの漫才」をしていたコンビは以前にもいたが、ももはもっとすごくて「M-1に勝つためだけのコンビ」であろうとしているように見える。ええんかそれで

 2009年の夏。現在シアトル・マリナーズにいる菊池雄星投手は高校三年生だった。甲子園で背中の痛みを抱えながら登板を続け、負けたときに「一生野球ができなくなってもいいから、人生最後の試合だと思って投げ切ろうと思った」と語っていた。
 そのときにもおもった。ええんかそれで
 たしかに甲子園はほとんどの高校球児にとっては最終目標だけど、それはあくまでアマチュアで終わる凡百の球児にとっての話。プロ入りを目指す者からしたら通過点のひとつにすぎない。野球人生を棒に振るほどの価値はない。(菊池雄星選手の花巻東高校はあそこで負けててよかった。あのまま勝ち進んでいたら、メジャーリーガー・菊池雄星は存在していなかったかもしれない。)

 同じように、M-1グランプリに参加するアマチュアコンビなら「M-1に勝つためだけのコンビ」を目指すのはまちがってないが、プロの芸人として生きていくのであればその道は命を縮めているように見えてしまう。

 ミルクボーイも昔からずっとあのシステムを続けているけど、あれは題材を変えればいくらでも広がるからなあ。ももの「見た目と中身のギャップ」では先が見えてしまうので不安になる。心配です。

 あっ、今回のネタの感想書くの忘れてた。ええっと、練習の跡が見えすぎる一字一句がっちがちに固まった漫才は個人的に好きじゃないです。以上。


<最終決戦>


インディアンス (ロケ)

 いやあ、ほんとにどんなネタかぜんぜんおぼえてない……。どんなネタだったっけとおもって公式YouTube動画のコメント欄見にいったけど「おもしろかった!」「好き!」みたいなのばっかりで、「○○というボケが良かった」「○○というフレーズが好き」みたいな具体的な感想がぜんぜんない。やっぱり、おもしろかったと感じた人ですら内容は印象に残ってないんだな……。

 各組の漫才を無音で再生してどれがいちばんおもしろい? と訊いたら、インディアンスが優勝するかもしれない。


錦鯉 (逃げた猿をつかまえる)

 まず題材選びがすばらしい。逃げた猿をつかまえる人をやりたい、って絶妙にばかだもんね。「あれならおれのほうが上手につかまえられるわ!」って、まさに小学生の発想。いい大人は逃げた猿にむやみに近づかない。

 肝心のボケの内容は、ちょっとばかが過ぎた。「罠をしかけたことを5秒後に忘れちゃう」はさすがにやりすぎ。小学生相手にはばかウケだろうけど。

 ただ、全体的にばか一色な中「猿が森に逃げた!」「それでいいじゃねえか」とか、最後の「ライフ・イズ・ビューティフル!」とか、妙に考えさせる笑いやシュールなオチを用意しているのは見事。ばかばっかりだからこそ、ああいう角度のちがうボケがよく映える。

 あと、おじいさんをそっと寝かせていたシーンは、ラストのまさのりさんを寝かせるくだりへの伏線になってるんだね。よく練られてる。


オズワルド (おじさんに順番を抜かされる)

 これはネタが悪いというより、この状況にふさわしくなかったね。12本のネタを見た後に楽しむには、話が小難しすぎた。M-1グランプリって年々放送時間が長くなっていってて、今年は3時間半。テレビで観るだけでもしんどいのに、当然スタジオの観客や審査員はもっと前から準備していたわけで。もう最終決戦ともなるとまともに頭が働いてないんだよね(ミルクボーイの2本目の「最中一族の家系図」をリアルタイムで正しく頭に描けていた人がいただろうか)。

 あの時間にやるネタは、緻密な論理ではなく強烈なパワーが必要なんだろうね。マヂカルラブリーの『吊り革』のように、何も考えずに見られる、すべてをふっとばしてくれるようなパワーが。
 この時間にモグライダーやランジャタイを見たら大爆笑だったんだろうな。

 オズワルドが、ABCお笑いグランプリでやったもう一本のネタ『ダイエット』をここで披露していたら結果はどうなっていただろうか……。そんなことを考えてしまう。




 というわけで優勝は錦鯉。おめでとう。納得の優勝でした。

 しかし、島田紳助がM-1グランプリを創設した動機のひとつが「才能のない芸人に引導を渡すため」だったはず。10年たっても芽が出ないやつはやめなさい、という理由で。

 残酷なようで、引導をつきつけてやることこそが本当の優しさなんだよね。将棋の奨励会もそうだけど。
 10年やって芸人やめてもまだ30歳ぐらい。いくらでも他の道がある。

 だが、皮肉なことにM-1グランプリという目標ができたせいで芸人を目指す者、やめられない者が増えた。もものようにM-1グランプリに特化した芸人まで生まれた。
 そして、錦鯉・長谷川さんの50歳での優勝。

 錦鯉の優勝は文句なくすばらしいんだけど、おかげでますますやめられない芸人が増えるだろうな。
 M-1グランプリの存在意義が変わってしまった。青少年の心身の育成のために開かれる高校野球甲子園大会のせいで多くの青少年が心身を壊すように。




 今大会もおもしろかったが、M-1グランプリという大会はまた硬直状態に入ってきたなという印象を持った。2008~2010年頃もそうだった。
 審査員が固定化され、準決勝審査員はおじいちゃんばかり。真におもしろいものを追及した結果の個性ではなく、M-1グランプリで勝つための芸を磨いたコンビが決勝に進む。

 今回は初出場組5組などと言われていたが、ふたを開けてみれば、昨年も決勝に進んだ3組が3組とも最終決戦に進んだ。驚くほど新陳代謝が進んでいない。

 このままだと大会全体が停滞してしまうんじゃないかと勝手に危惧している。準決勝と決勝の審査員はがらっと変えたほうがいいんじゃないだろうか。
 新しい風を入れるってのはモグライダーやランジャタイのような変化球ばかり放りこむことじゃないぞ。正統派が多数を占めるからこそああいうコンビが輝くんだぞ。

 あと決勝経験者は敗者復活戦に出られないようにもしてほしいな。せめてあそこは新しい才能を発掘する場であってほしい。


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2021年12月20日月曜日

M-1グランプリ2021準決勝の感想(12/4執筆、12/20公開)


 オンライン配信で鑑賞。

 感想自体は準決勝の翌日に書いていたが、ネタバレ禁止とのことだったので決勝終了後まで公開を待っていました。もういいよね?

 以下感想。


滝音 (ダイエット)

 おもしろかった。特に「ブブブブブンブブン」。

 滝音は安定しておもしろいんだけど、その安定感が滝音の弱みでもあるような。ボケがツッコミで笑いを取るためのフリにしかなってないから、加速しながら笑いが増幅していきにないんだよね。

 ボケが強くなったら文句なく決勝だろうな。


ヨネダ2000 (YMCA寿司)

 ほぼ全編音声カットされてたので内容わからず。でも動きだけでもシュールでおもしろそうだった。

 

ニューヨーク (ドラマ)

 演技力を見せつけると言いながら、差別発言を口にしまくるというネタ。

 すっごく好きなんだけど、これが決勝に行けなかったのもよくわかる。テレビではまずいよ、これは。

「昨今はちょっと問題のある発言をすると、たとえそれが芝居の台詞であっても炎上する」を前提知識として持っていれば笑えるけど、そういう人ばかりではないからなあ。

 問題提起で終わるオチはすごく好きだった。


カベポスター (文化祭)

 好きだったフレーズは「道の駅みたい」。

 個人的には好きだけど、コンテストの準決勝にかけるネタとはおもえないほど地味な題材。まあこの地味さこそ彼らの魅力なのでこれはこれでいいけど。


マユリカ (結婚相談所の仲人)

 最初のボケ「パソコンとかないんですか」がピークだったなあ。

 結婚相談所という設定だったら、誰しもが「魅力のない相手ばかり紹介される」を想定するだろうけど、想定通りのボケが続く。はじめは紹介相手ではなく仲人にスポットを当てたボケでおもしろかったんだけど。こっち方面で続けていってほしかった。


ハライチ (ダイエット)

 ウケてなかったなあ。3回戦でもやったネタなので客もほとんど見たことあったんだとおもう。

 最初に見たときもおもったけど、このネタって大麻を扱ってるからチャレンジングなことしてるようで、ネタの構造的にはすごく単純なんだよね。おれたち大麻をネタに入れちゃうんですよ、すごいでしょ、っていう狙いが透けてしまう。

 とはいえ表現力はすごい。そのへんはさすがハライチ。


真空ジェシカ (一日市長)

 好きだったのは「ハンドサイン」「名門のタスキは重い」。

 オーソドックスな漫才コントなんだけど、ボケもツッコミも一発一発が重たい。全部のボケがはずしてなかった。このネタ、台本を読んでもおもしろいだろうな。

 この人たちのネタ、はじめて観たんだけど、これからもまだまだおもしろくなりそう。今これだけウケるんなら、キャラが浸透すればものすごくウケるだろうな。


東京ホテイソン (スマホゲームのガチャ)

 配信の最初に審査員が紹介されてるんだけど、年配の人ばかりなのね。五十前後の。はたしてこの題材、審査員に伝わるんだろうかと心配になった。そして決勝審査員にはもっと伝わらないんじゃないだろうか。

 そしてネタの中身も、単発大喜利の連続で一本のネタとしてのつながりがほとんどなかった。「ゲームのガチャで出てきたのはどんなキャラ?」というお題だから、なんでもアリになっちゃうんだよな。


見取り図 (地元のスター)

 好きだったボケは「飛沫エグい」「ラルフローレンのワクチン」。しかしまだテレビでネタにしていい時期じゃないかも。

 後半怒涛のボケが並ぶので、ああ勝ちにきてるなあと伝わってきた。Mー1に向けて作ってきたネタだなあ。

 おもしろかったとはいえ去年までの見取り図と比べて飛躍的に良くなったかというと、うーん……。でも、準決勝の審査員はそんなこと気にせず、「このメンバーの上位9組に入ってるか」だけで選んでほしいな。だったら入ってるでしょ。


ゆにばーす (ディベート)

 登場するなり拍手で盛り上げてからツカミ、は見事。一気に会場をつかんだ。

 個人的には好きなネタじゃなかった。根本のテーマが古いんだよね。こいつは女として見れないとか男としてアリどか、百年前から男女コンビがやってたようなテーマなので。古さをひっくり返すような展開があればよかったけど、古いままで終わってしまった。


ロングコートダディ (天界)

「ワニになりたい」で兎さん(ややこしいけど芸名)のほうがボケとおもわせておいて、まさかの堂前さんがボケというパターン。いや、ツッコミはいないからふたりともボケか。

 シンプルな漫才コント。ロングコートダディは好きなんだけど、個人的には昨年の「棚を組み立てる」ネタの方がずっと好きだった。漫才としての完成度も高いし、他にいないタイプのネタだし。


男性ブランコ (焼肉屋)

「メニュー名うるせえ」がおもしろかった。あと、いろいろやった後のシンプルな「生レバー」と。

 おもしろいボケはいくつもあるけど笑いどころが多くないので、しゃべり中心の漫才に対抗するのはむずかしいよな。コントに専念してもいいんじゃないかな。


アインシュタイン (宇宙からのお迎え)

 そんなにウケてなかったけど、個人的には今まで見たアインシュタインのネタの中ではいちばん良かったな。身の周りの題材ではなく、これぐらいぶっとんだシチュエーションのほうがアインシュタインには向いてるんじゃないかとおもう。和牛は逆に身近な題材を扱うようになってよくなったけど。


もも (決めごと)

 いつもの「なんでやねん、○○顔やろが」パターン。基本的には見た目とのギャップとあるあるネタなので何本か見ると飽きてしまう。わかりやすいし、はじめて観る人にはウケるだろうけど。

 しかしうまいというか、うますぎるというか。練習の痕が見えてしまうなあ。

「このパターンだけで大丈夫か」と余計な心配をしてしまうが、ハライチや東京ホテイソンのようにいったんワンスタイルで顔と名前を売ってからいろんなパターンに挑戦するのが売れるための早道なんだろうね。


オズワルド (友だちがほしい)

 いやあ、よかった。好きなフレーズは「お気に入りのズボン」「足の遅い友だち」など。

 準決勝観て「これはまちがいなく決勝行ったな」とおもわせてくれたのはオズワルドだけでした。非の打ち所がない。

 ツッコミのセンスはそのままに、ボケの狂気性がパワーアップ。これぐらい狂気みなぎるボケなら、かなり強めのツッコミでもバランスが取れるよね。優勝候補筆頭でしょう、これは。


ランジャタイ (高校最後のバスケの試合)

 著作権の事情で半分ぐらい音声カットされてたけど、だいたい何をやってるかがわかるのがランジャタイのすごさ。

 しかし、準決勝の客だから大ウケただけで、初見の客の前ではここまでウケないだろうという気もする。

 まあここは決勝に上がった時点で勝ちだよね。半端に五位とかにならずにぜひ最下位をとってほしい。


金属バット (スーパーのカート)

 金属バットにしちゃあ毒っ気が少なかったな。

 というのは、個人的な話で申し訳ないけど、ぼくが住んでるところは民度が低いのでスーパーのカートを持って帰るババアがいっぱい生息してるんだよね。だから「カートは無料」のボケが笑えなかった。実践してるやつがたくさんいるんだもん。

 どや顔の「もうええわ」は、準決勝イチ笑った。しかしあれは金属バットを知ってるから笑えるだけだな。


ダイタク (葬式)

 良かった点は「アメリカの未亡人スタイル」。

 他はだいたい「双子が葬式を題材にしたネタを作ったら」の想像の範囲内。


からし蓮根 (先輩刑事と後輩刑事)

「キッザニア」「人間の外来種」あたりがおもしろかった。

 あとは特に印象に残らず。


インディアンス (怖い動画)

 アンタッチャブルのコピーとよく言われるけど、このネタはノンスタイルみたいだったな。

 前説みたいな漫才だった。笑わせるというより盛り上げる漫才。今年も決勝トップバッターやってほしい。


ヘンダーソン (街コン)

 なかなか漫才中のコントに入らない……というネタ。これは完全に漫才を題材にしたコントだな。

 ちょっと台本に表現力がついていってなかったかなあ。


キュウ (境目をとっつかまえる)

 漫才で遊んでる。漫才の枠組みで何ができるかを実験してるようだった。この人たちのネタは「いかにすごいとおもわせるか」「いかに客の想像を裏切るか」が強すぎて、肝心の「いかに笑わせるか」がおろそかになっているようにおもう。


アルコ&ピース (鳥になりたい)

 アルコ&ピースらしいメタ視点のネタ。

 ウケてたけど、準決勝の客向けのネタだったなあ。他のコンビを引き合いに出してるので、これが決勝1組目だったら成立しない。

 ヘンダーソンと同じく完全にコントだけど、こういうネタってキングオブコントでは評価されないのかね。


錦鯉 (合コン)

 ボケのばかばかしさは昨年通りだが、ツッコミにスピード感が。渡辺さんに自信がみなぎっている。

 大会に向けて作りこんできたなー。

 個人的には、錦鯉にはあんまり「M-1で勝ちやすい」タイプのネタをやってほしくないな。彼らはおじさんであることが最大の強みなんだから。博多華丸大吉みたいに、おじさんにしかできない漫才をやってほしい。


モグライダー (さそり座の女)

 ほぼ全篇音声カットだったのでよくわからず。たぶん3回戦の玉置浩二のネタとほぼ同じ構成かな?


さや香 (かけ算は必要ない)

 序盤から熱量がありすぎた。余裕がなさすぎて見ていてしんどい。ギアを上げる場所はそこじゃないだろう。

 笑わせようとしてるんじゃなくて、勝とうとしているように見える。客よりも審査員を見ているというか。

 最近のさや香を見ていると、晩年のハリガネロックを思いだす。若くしてM-1グランプリで高評価をされてしまったがために、その後M-1にふりまわされて自分たちの漫才を見失ってしまったコンビ。ハリガネロックもボケとツッコミを入れ替えたりしてたなあ。

 ハリガネロックは解散してしまったけど、同じ道をたどらないことを願う。




 去年もおもったけど、準決勝の配信は決勝放送後にしてくれたらいいのに。

 準決勝で落ちた組がどんなネタをやったのかは観たいけど、決勝進出組のネタは当日まで楽しみにしておきたいから。

 去年、マヂカルラブリー以外のコンビは準決勝のネタを決勝一本目で披露した。多少のアレンジは加えていたけど。
 今年もほとんどの組がいちばん自信のあるネタ(準決勝のネタ)を決勝一本目に持ってくるだろうから、先に準決勝を見てしまうと決勝のおもしろさが目減りしてしまうんだよね。

 だから準決勝の配信は、決勝放送後にしてくれたらいいのになー。ネタバレも気にしなくていいし。




 今年の決勝進出組は、

  • 真空ジェシカ
  • ゆにばーす
  • ロングコートダディ
  • もも
  • オズワルド
  • ランジャタイ
  • インディアンス
  • 錦鯉
  • モグライダー
  • (敗者復活組)

 去年もそうだったけど、準決勝の出番順前半の組は極端に進出率が低い。去年は8組目のマヂカルラブリーまで合格者なし、今年も7組目の真空ジェシカまで合格者なし。だいたい3分の1ぐらいが合格してるのに、明らかに前半組の分が悪い。

 決勝は独特の空気もあるからしかたないけど、準決勝はもうちょっと冷静に審査してあげてほしいなあ。運も実力のうちとはいえ。


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