祈りのカルテ
知念 実希人
少し前、通勤電車内で隣に立っていた小学生が文庫本を開いていた。
電車通学しているので私学のかしこい小学生なんだろうが、それにしてもめずらしい。学校の図書室には文庫本はまず置いてないので、文庫本を読んでいる子はほんとの本好きだけだ。
しかもちらっと見たら、医師とか捜査とかの文字が見える。ライトノベルではなく正統派ミステリっぽい感じだ。
小学生が読むミステリってなんなんだろ。気になったぼくは、横目でちらちら見て、彼の読んでいる本の題名を突き止めた。『祈りのカルテ』。
小学生が駅で降りていくと、スマホで『祈りのカルテ』を検索した(さすがに本人の横で検索するのは気が引けた。もしも小学生がぼくのスマホ画面を見てしまったら相当気持ち悪いだろうから)。
そして購入。どれ、〝かしこい小学生が読むミステリ〟とやらを読んでみようじゃないか。
うん、おもしろかった。やるじゃないか、かしこい小学生くんよ。
主人公は研修医。総合病院で、あちこちの診療科をまわって研修をおこなっているのだが、その先々でふしぎな行動をとる患者に遭遇する。
精神科では、毎月5日に退院するようなスケジュールで服薬自殺未遂をおこなって入院してくる女性。
外科では、早期癌の内視鏡手術に同意していたのに、ある面会客に会ったとたんに手術を拒否した老人。
皮膚科では、火傷での入院・治療の後になぜか火傷痕が増えた母親。
小児科では、喘息の子どもに処方された薬がごみ箱に捨てられている。
循環器内科では、秘密裏に入院していた女優の情報が知らぬうちにマスコミに漏れている。
それぞれ殺人ほどヘビーでもないが、「日常の謎」と呼ぶにはいささか深刻な謎。その謎を、主人公である研修医が解き明かす。
好感が持てるのは、あくまで研修医の立場から推理をおこなっていること。研修医だから忙しいし、治療の方針を決める権限もない。もちろん警察じゃないから強権的な捜査もできない。本業はおろそかにせず、研修をこなしているうちに偶然にも助けられてたまたま解決してしまう、というストーリー。
で、それぞれにハートフルな結末が用意されている。
いい、ちゃんとしてる。
シリーズもののミステリの難しさって、トリックとか謎とき部分よりも「主人公を誰にするか」にかかってるんじゃないかとおもう。
一般人が殺人事件を捜査することはまず不可能。むりやりやってしまうとおもえばナントカ田一とか江戸川ナントカみたいに、「行く先々でたまたま殺人事件が起こる死神のような探偵」になってしまう(まあマンガならギリギリ許されるかもしれないけど)。
探偵でも同様。私立探偵のところに事件が持ちこまれる見込みは相当低い。大金持ちの遺産相続でもからまないと、わざわざ大金払って探偵に依頼する動機がない。
じゃあ刑事を主人公に……となると、それはそれで難しそう。警察はきちんとした組織なので、権限や縄張りが決まっている。刑事が勝手にあちこち捜査するのには限界がある。
数々の署員が集めてきた証拠をもとに丁寧な捜査をくりかえして着実に犯人を絞り込んでゆく……というのは現実的だが、小説としてはおもしろみに欠ける(横山秀夫氏のようにそれをおもしろく書ける人もいるけど)。
『祈りのカルテ』は、研修医という(推理に関しては)素人を主人公に据えながら、研修医の立場を超えた出すぎた真似をせず、それでいてきちんと証拠を集めて推理をする。うん、よくできた小説だ。
五つの謎を解きながら、五篇を通して「主人公はどの科を選択するのか」という小さな(当人にとっては大きい選択だけど)謎も語られる。
ミステリでありながら、研修医の成長物語にもなっていて、いやほんとよくできた小説だ。
そして、よくできた小学生だぜ、あいつ。
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本当に面白い作品ですよね。
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