堀江 邦夫
いい本だった。ものすごく読みごたえがある。これぞプロレタリア文学、という読後感。
著者は1978年から1979年にかけて美浜原発(福井県)→福島第一原発(福島県)→敦賀原発で働き、その体験記を『原発ジプシー』として発表。絶版になっていたが、2011年の福島第一原発事故を受けて内容の一部を削除して再刊したのがこの本だ。
2011年3月の東日本大震災の影響で福島第一原発で事故が起こったことはみんな知っているだろう。
ぼくは「想定を超える大きな地震と津波が起きたせいで事故が起こった」とおもっていた。だが『原発労働記』を読んでその認識は変わった。たしかに地震と津波は事故の引き金になったが、もし地震が起きていなくてもいつか必ず事故は起きていただろう。
実際に現場で働く労働者から見た『原発労働記』を読むと、その安全管理の杜撰さに驚かされる。
(注:100ミリレムは1ミリシーベルト)
こんな話ばかり出てくる。
電力会社は「厳しい基準で運用されているのでぜったいに事故が起こることはありません」と主張している。たしかに厳しい基準はある。だが、問題は現実にその基準が守られていないということだ。
「一定以上の被曝をした労働者は働けない」というルールを作ったって、
「あと五分だから」「せっかく来てもらったのに追い返すわけにはいかないから」「人手が足りないから」となんのかんのと理由をつけて破られる。
『原発労働記』には、
「検査の結果、基準値を上回ったから何度も検査を受けなおさせる。基準値を下回るまで再検査をする」
「放射能測定器が壊れていたから基準をオーバーする放射能を被曝してしまったが、そのまま報告すると始末書を提出しないといけないので嘘の数値を書くように指示された」
「息苦しくて作業にならないので全員規定のマスクを取って作業している」
「急に汚染水があふれたから防護服を着ないままあわてて水をかきだした」
といったエピソードがくりかえし語られる。
めちゃくちゃ杜撰だ。これでよく「原発は安全です」なんて言えたものだ。
原発に限らず、どんなルールもどんどんゆるくなるのは世の習わしだ。当初に作ったルールが何十年も厳密に守られることなんてない。まして現場を知らない人間が作ったルールなんて。
今の新型コロナウイルス対策だってどんどん基準がゆるくなっている。当初は「〇人以上の新規感染者が出たらレッドゾーン」みたいなことが言われていたのに、感染者数が増える一方だからその基準はどんどんゆるくなり、とうとう最近では国や都道府県は明確な数字を言わなくなった。やっていることは四十年前とまったく変わっていない。
そもそも、ルールをばか正直に守るメリットがまったくないんだよね。
厳密に基準を守っていたら、人手が足りなくて原発が運用できなくなる。労働者も、働けないと給料がもらえない。
働かせる側も働く側も、嘘をつくほうがメリットがある。これでルールを守るはずがない。
そして、どんどん環境が悪くなっていく。
過酷かつ危険な仕事をしているので、原発労働者の体調が悪くなる
→ 働き手が減る
→ 人手が足りないから無理して働かせる
→ 事故や健康被害が増える
→ さらに働き手が減る
→ 労働者が集まらないからいろんなところに声をかける
→ 仲介会社が入ることで労働者の給料が減る
→ ますます働き手が減る
という悪循環。
ここに書かれている原発の実態は、ごまかしと隠蔽ばかりだ。
原発内で事故があっても救急車を呼ばない。付近の住民やマスコミに知られて「やっぱり原発は危険だ」とおもわれたくないから。原発構内でゴミを燃やすと煙が上がって近隣住民に嫌がられるので、外に持っていってこっそり燃やす。
安全や生命よりイメージ操作に腐心している。「原発は安全だ」という嘘のイメージを守るために、安全性を犠牲にしている。本末転倒だ。
原発労働者は常に危険にさらされている。
こんなふうに「どっちも危険だけどどっちがまだマシか」という選択を常に迫られている。
「酸欠でぶったおれるほうがマシか、マスクをはずして放射能を浴びるほうがマシか」とか。
そして当然ながら筆者たちも身体を壊している。白血球数が減少した、歯ぐきから血が出た、目まいがする……。
身体を壊した労働者に対する電力会社からの補償は、ない。
この本を読んでよくわかった。そもそも原発は無理があったのだ。最初から。
地震が起きなくても、いつかは必ず大事故を起こしていた。
メルトダウンまでいかなくても、小さな事故はしょっちゅう起こっている。
そのとき、実際に対応する現場の人間はほとんど正しい知識を持っていない。
この本を読んでまだ「日本に原発は必要なんだ」と言える人がいるだろうか。
その他の読書感想文は
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