2019年8月7日水曜日

【読書感想文】失敗は見て見ぬふりの日本人 / 半藤 一利・池上 彰『令和を生きる』

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令和を生きる

平成の失敗を越えて

半藤 一利  池上 彰

内容(e-honより)
政治の劣化、経済大国からの転落、溢れかえるヘイトとデマ。この過ちを繰り返してはならない。平成の失敗を徹底検証する白熱対談!

世界情勢、政治、天皇、災害、原発、インターネットといったテーマを切り口に「歴史やニュースをわかりやすく伝えるプロ」のふたりが平成という時代をふりかえった対談。

たくさんのテーマを扱っているので、ひとつひとつの話はちょっと浅くて物足りない。たとえば「平成の政治史」だけで一冊ぐらいの分量だったらもっとおもしろかったとおもう。
でもまあ、これ以上深い話はこの人たちの仕事じゃないか。入口まで連れていくのが半藤さんと池上さんの仕事だもんな。




「平成の失敗を越えて」とサブタイトルがついているように、話の八割ぐらいは「平成の三十年で悪くなったこと」についてだ。
年寄りのぼやきっぽさもあるが、こと日本の経済と政治に関してはまちがいなく劣化しているとぼくもおもう。
平成の三十年で、日本は数えきれないほどの失敗してきた。そしてそのほとんどはきちんと総括できておらず、いまだ手つかずの問題も多い。

政治の不調の原因は、特定の個人や団体にあるのではないとぼくはおもう。
「小選挙区制」というシステムの問題だ。
小選挙区比例代表並立制を生んだのは、1994年に成立した政治改革四法である。
池上 あのとき、「政治改革」が正義でそれに反対するのは「守旧派」あるいは「抵抗勢力」とレッテルを貼られた。「改革に反対する者たち」と括られて。
半藤 わたくしもそう言われました(笑)。二党政治というのは日本人に向かないと、かねてわたくしは思っていました。戦前の日本は民政党と政友会の二党政治でした。野党になったほうは、ときの政権をひっくり返そうと思ってしばしばおかしな勢力と結びついた。昭和初期に政友会と結びついたのが軍部と右翼でした。そしてやがて、軍部は政友会を利用しつつ好き勝手をはじめてこの国を戦争へと向かわせることになるんです。と、いうような歴史があるのだから日本の二党政治は怖いよ、と言っても、おっしゃるように「守旧派」呼ばわりされてしまう始末でね。
池上 イギリスやアメリカのように対立する二党による政権交代があったほうがいい、という論調がたしかにメディアでも強かった。日本は中選挙区制だからずっと政権交代が起きないのだと。小選挙区制にすれば大量の死に票を出すことにはなるけれど、そのことよりも、どちらかが勝つという仕組みのほうがいい。そう言って制度を変えるわけですよね。
 じつはその頃イギリスでは、保守党と労働党だけではなく、第三の勢力として自由民主党が出てきていました。二党ではかならずしもうまくいかないということが明白になっていたからです。にもかかわらず日本では政権交代可能な二党が、競い合うような制度がいいと信じられていた。アメリカだってそうじゃないか、共和党と民主党で代わる代わる政権を担当しているよと。なんとなくこう、海外はこうなっているから日本もそうすべきだ、というような発想や主張は根強くありますね。「世界に遅れるな」とばかりに。
小選挙区制のダメなところは今までにもさんざん書いているのでここではくりかえさないけどさ。

小選挙区制がダメな99の理由(99もない)/【読書感想エッセイ】バク チョルヒー 『代議士のつくられ方 小選挙区の選挙戦略』

選挙制度とメルカトル図法/読売新聞 政治部 『基礎からわかる選挙制度改革』【読書感想】

民主主義を破壊しかねない小選挙区制だけど、導入されたときは
「民主主義をぶっこわすために小選挙区制にしよう!」
とおもっていた人はほとんどいないんだろう。当時の人たちは「小選挙区制こそすばらしい制度」と信じていたんだなあ。

民主主義をぶっこわしたのは当時の日本人みんなだったのだ。
半藤 こうして認めてみると、やっぱり小選挙比例代表並立制の導入は、日本の岐路でしたねえ。政治家がすっかり政党のロボットになっちゃった。死に票が山ほど出て選挙が民意を伝えるものではなくなってしまった。よく主権、主権といいますがね、主権には二種類ある。国内的な政治主権と、外政的な政治主権です。北方領土変換交渉のさなか、ブーチンが安倍総理にこう言いました。「そこにアメリカの基地など決してつくらせないと言うけれど、沖縄で新基地建設業反対があれだけ叫ばれているというのに、政府与党はそれを無視しているじゃないか」と。つまり日本はアメリカの要求に逆らえない国なのだから、なんでもイエスなんだから、北方領土でもまたおなじことになるという疑念を示した。それが意味するのは、安倍首相の国内的政治主権というものは、ぜんぜん国民に説得力がないということなんです。
 プーチンが指摘したように、日本の政府与党は、選挙で勝ったら好きなようにやっていいのだとばかりに世論なんか無視している。わたくしに言わせりゃ、もとはと言えば小選挙区比例代表並立制のせいなんです。

まあ失敗したこと自体はいいわけだよ。
現状を予想できた人は当時ほとんどいなかったんだろうし。
ダメなのは失敗を改める制度がないことなんだよね。

今の国会議員の多くは小選挙区制のおかげで当選できた人たちなので、それを変えようとしない。
政治制度なんて完璧になるはずないんだから、フィードバックが働かない制度をつくっちゃだめだよ。

現行の小選挙区制は裁判所もずっと違憲状態だっていってるのにいっこうに直らないんだから。
民意がそのまま反映されたら困る人がいるんだろうなあ。

選挙制度は利害関係者である政治家に決めさせちゃだめだよね。裁判所とかの独立した機関にやらせなきゃ。

特に最近は、情報の地域差はすごく少なくなったし、その一方で都市と地方の人口差は開くばかり。地域ごとに選挙区を分ける理由がどんどん薄くなっていっている。
個人的には、大選挙区制にしてしまってもいいんじゃないかとおもう。




原発について。
半藤 日本では送電網をもっている旧電力会社のカがあまりに強いので、地域に合った発電・供給を実現する新しいとりくみがうまくいかないようですね。いつもギクシャクしている。いまだに原子力発電にしがみついている。
池上 ドイツは、メルケル首相が福島第一原発の大事故を見てエネルギー政策をすぐさま転換しました。前の年にメルケルさんは従来の脱原発政策を緩和させて、運転延長の方針を打ち出したばかりだったんです。しかしあの事故を契機に原発廃止に明確に舵を切った。「あの日本ですらコントロールできないものは止めるべきだ」と言ったんです。
 イタリアでも、二〇一一年のフクイチの事故後の六月、原子力発電の再開の是非を問う国民投票があって、政府の再開計画が否決されているんです。街頭インタビューで反対票を投じたご婦人が、「原発は日本人ですらコントロールできない。街のごみ収集もちゃんとできないイタリア人が、管理できるわけないわよッ」と答えていました(笑)。
半藤 他山の石としたドイツもイタリアも、えらいもんです。ところが当事国である日本の政治家どもは福島の大災害からまったく学んでいない。で、原発輸出に熱心になっている。原発問題は、平成が残した大課題だと思いますねえ。

日本の原発の失敗を見てドイツやイタリアは原発廃止に舵を切ったのに、当事国である日本だけがいまだに原発にしがみついている。
失敗であることに気づきながら責任をとりたくないばかりに失敗から目を背け、取り返しのつかない事態へ突き進んでしまう。すごく日本らしい光景だ。

「日本軍が負けるわけがない」
「地価が下がるわけがない」
「原発が制御不能になることはない」
昭和も平成も、失敗に対する日本の体質は少しも変わっていないなあ。




ぼくはまだ三十数年しか生きていないけど、ここ数年で国内の空気はどんどん息苦しくなっているように感じる。

この本の中で池上さんと半藤さんが「我々もネットでは反日と呼ばれている」とボヤいている。
彼らは日本もアメリカも中国も北朝鮮も等しく「いいとこもあるし悪いとこもあるよね。悪いところはちゃんと批判しなければ」という立場をとっているとおもうんだけど、それでも「反日」になってしまうのだ。
日本政府礼賛でなければ「反日」、という風が吹いているように感じる。

もちろんそういう人がごく一部であることはわかってるんだけど、声が大きい(あるいは複数アカウントを使うなどして数を多く見せている)から多数派であるように感じてしまう。ああ、息が詰まるぜ。


この閉塞感は、経済と無関係ではないだろう。
残念ながら日本の経済力は(少なくとも相対的には)どんどん落ちていっている。日本は先進国ではなく衰退途上国だ、と誰かが言っていた。多くの日本人の実感に近いとおもう。

景気のいいときには「このままじゃ日本はだめだ。立ち止まって反省しよう」みたいな言説が主流だったのに、経済が成長しなくて閉塞感が高まるとかえって「威勢のいい話以外は認めないぜ!」という雰囲気になってしまう。
現実から目を背けたくなるのだ。

つぶれる会社ってこんな空気なんだろうなあ。
そういやぼくは以前書店にいたけど、出版業界ってもう衰退していくことが誰の目にも明らかだから、業界の集まりなんかでも逆に景気のいい話しか出てこないんだよね。
「こんな仕掛けをした本が売れました!」とか「〇〇出版社が業績アップ!」みたいな。

たぶん大戦に突入したときも同じような空気だったんだろうね。





以前、『失敗の本質~日本軍の組織論的研究~』という本の感想としてこんなことを書いた。

日本が惨敗した原因はいろいろあるが、あえてひとつ挙げるなら「負けから何も学ばなかった」ことに尽きる。

この体質は今もって変わっていない。

だからこそこうして半藤・池上両氏は「平成の失敗を振り返ろう」と警鐘を鳴らしているわけだが、そういう人は少数派で、多数派からは「せっかくの前向きな空気に水を差すなよ」と疎まれてしまう。

はたして令和時代は失敗を総括して軌道修正のできる時代になるんだろうか。
それとも、過去と同じように取り返しの失敗に突き進んでいく時代になるのだろうか。
ぼくの予想は、残念ながら……はぁ……。


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