2022年2月7日月曜日

【読書感想文】斎藤 美奈子『モダンガール論』

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モダンガール論

斎藤 美奈子

内容(e-honより)
女の子には出世の道が二つある!社長になるか社長夫人になるか、キャリアウーマンか専業主婦か―。職業的な達成と家庭的な幸福の間で揺れ動いた明治・大正・昭和の「モダンガール」たちは、20世紀の百年をどう生きたのか。近代女性の生き方を欲望史観で読み解き、21世紀に向けた女の子の生き方を探る。

 原書は2000年刊行。

『モダンガール論』とあるが大正時代に限定した話ではなく、「明治以降の女たちはどういった生き方を目指し、どういった生き方を選択した(あるいは強制された)のか」を読み解いた本だ。


 ご存じの通り、女の生き方はここ百年で大きく変わった。就学も就職も結婚も自由にできなかった時代から、それらすべてほぼ自由にできるようになった時代へと。男の生き方も変わったが、もっと大きく変わったのが女の生き方だった。

 ではどのような経緯で女の生き方は変わっていったのか。




 転機の一つは「良妻賢母」だと著者は書く。

 そこで話はもとへもどる。一八九九(明治三二)年、女子教育の流れを決める大きな決定が下された。この年は、不平等条約の改正を受け、改正条約が実施された年でもあるのだが、日本が国際的な法権を回復したその年に、文部省は、女子教育に関する初の法令を発令した。「高等女学校令」、すなわち女学校を中学校と同じ正式な学校(高等普通教育機関)として認定する法令である。
 女学生数を急増させた「なにか」とはこれのことにほかならない。女子の教育目的として、そこには力強い一文が含まれていた。「賢母良妻たらしむるの素養を為す」
 この規定は、二〇世紀の望ましい女性像=女の子の出世の道をはじめて明らかにするものだった、といっていい。二〇世紀の望ましい女性像とは何だったか。行をかえて強調しちゃおう。
 良妻賢母!
 ええええっ、りょーさいけんぼお? とあなたは眉をしかめるだろう。そんなもんのどこが二〇世紀的だっていうのよお、と。封建的。前近代的。後進的。儒教道徳的。なんでもいいが、良妻賢母ということばには、カビのはえた男尊女卑の匂いがする。
 しかし、これ、ほんとはそんなに古い概念じゃないのである。前近代的どころか、良妻賢母は近代の発明品。しかも、びっくり仰天、こいつは男女平等の新思想だった。

 現代の感覚では信じられないが、「良妻賢母」こそが女性の地位向上に貢献した思想だというのだ。

 それまでは「女に教育なんて必要ない!」が一般的だったのが、「良い妻、賢い母となるにはきちんと教育を受けねばなりません。妻が家計を管理して家族の健康を支え、母親が子どもに質の高い教育を施すには、女にも教育を受けさせる必要があるのです」という口実を得て女性の進学率が向上した。

 さらに、やはり良妻賢母となるには社会経験も積んだ方がいい、ということで就職率の向上にも貢献した。もっともここでいう就職とは会社や百貨店や役所や学校に務めるホワイトカラー層のことで、農業や工場での労働をせざるをえなかった層のことではない(その層の人たちに働かないという選択肢はなかった)。


 男女等しく教育を受けることがあたりまえになっている現代の感覚のままだと見失ってしまいそうになるが、「良妻賢母」とは近代になって生まれた新しい思想だったのだ。「女は夫や家長に意見するな」が当然だった時代からすると、「良妻賢母」は飛躍的な進歩である。

 差別の解消や人権の確立って、まるで〝正解〟があっていっぺんにそれが叶えられたような気になってしまうけど(まあ戦後日本の場合は連合国支配時代に一気に改革が進んだから余計に)、ほんとは一歩一歩少しずつ変わっていくもんなんだよな。
「良妻賢母」は女性の立場の漸進的な変革において、重要なステップだった。「改革」「維新」といったドラスティックな言葉が好きな人にはなかなか理解できないかもしれないが。




 また、昭和に入ってから女性の社会進出に大きく貢献したのは「戦争」だったと著者は語る。

 日中開戦を機に、女学校の教育内容も心身一体の皇国民を育てるという方向に軌道修正された。それによって女学校は、中途半端な花嫁学校ではなくなった、といってもよい。
 女学校に課せられたのは、母性教育の強化と、目的意識のはっきりした奉仕活動である。(中略)戦地に送る慰問文や慰問袋の作成、戦没遺族の訪問、陸軍病院の慰問、街頭での募金活動、献金……。学校外での活動は、刺激的であり、誇らしくもあっただろう。ましてそんな活動が、新聞雑誌で派手に紹介でもされてごらんなさい。お嬢さん、いやな気がするでしょうか。
 女学生のボランティア活動のうち、特筆すべきは「勤労奉仕」というやつだ。男性労働力を失った農村におもむき、田植えや草刈り、子守り、炊事洗濯などを手伝う。あるいは工場で機械工や旋盤工のまねごとをする。いまから思えば「そんな農村婦人や労働婦人みたいなこと、よくやる気になったわねえ」だが、なにせ非常時。女学生という身分のままで働けるなら、たまにやる肉体労働も悪くない。「勤労奉仕」はすべての未婚女性に期待されたから、女学校を出て花嫁修業(結婚浪人)中だったお嬢さんの多くも、これに飛びついた。

 朝ドラなんかだと、「庶民(特に女)は、望みもしない戦争に国が突入したことで苦労を強いられた」という悲劇のヒロイン的な描かれ方をするが、そんなことはない。男も女も軍人も民間人も、喜んで戦争に協力したのだ。特に初期の頃は。

 そして実際、戦争は女性の社会進出に貢献した。労働力が足りなくなり、「女が働くなんて」から「働く女性が国を支える」になった。国家における女の重要性が増す。

「社会から求めらる」こんなうれしいことはない。

 良妻賢母と戦争、これこそが敗戦までの日本において女の社会進出に貢献したキーワードだった。




 戦前にも「育児と職業の両立」に関する議論はあった。だが、それはあくまで特権階級に限った話だった。

 母性保護論争で注目したいのは「育児と職業の両立」という今日的なテーマが大正中期の時点でもう議論されていたってことだ。というか、職場の待遇差別から主婦の自立論まで、現代の私たちが直面しているような問題は、戦前に、ほとんどすべて先取りされていたのである。当時の女学生や職業婦人や主婦の不満や要望は、いまのそれとかわりがない。しかし、彼女らの悩みは、個別には論じられても、大きな社会問題にまでは発展しなかった。なぜだったのか。
 最大の理由は、やはり階級(階層)の問題である。なんのかんのいっても、女学生や暗業婦人の愚痴などは、「ブルジョア婦人のぜいたくな悩み」でしかなかった。性差別よりも、階級的な矛盾のほうが、当時ははるかに深刻だったのである。貧しい農村から身売りしてきて重労働にあえぐ女工や女中や芸娼妓、あるいは農村婦人の惨状にくらべたら、女学校がつまらんとか職場で雑用をさせられるとかは、「プチプルねえちゃんのワガママ」と思われてもしかたがない。

 女は学問をするべきか、仕事をするべきか、仕事をするとしたらいつまで続けるべきか。そんなことで悩めたのは、アッパークラスの女性だけである。

 この本には農村の女性の暮らしぶりも書かれているが、

「出産後も横になっていられるのは、たった一日」

「農村婦人の死亡率は、出産子育て期にあたる二五~四四歳で特に高かった」

「決定権は一切なく、口答えもできず、舅や姑や夫の監視下で、早朝から深夜まで働きづめ」

といった暮らしが書かれている。しかもそっちが多数派である。こんな時代に、お嬢様の「女でも学問をしたいし仕事をしたいわ」が社会的な議論になるはずはないのである。




 さて。

 戦争も終わり、日本は豊かになった。女の進学率は飛躍的に向上し、就職する女性もめずらしくなくなった。現実的にはまだ男女の間に格差はあるが、少なくともタテマエ上は男女雇用機会均等が成立した。

 では、女は生きやすくなったのか。

 著者はこんなふうに書く。

「新しい女」も「リブ」も、運動という以前に「個人の生き方」を示す語だと本人たちは自覚していた。「じゃあ、どういう風になりたいわけ?」とは、女性解放論者にいつも投げかけられる質問だが、彼女ら自身も「わからない。でも、いまのままはイヤ」が本音だったのではなかろうか。
 このころの女の人たちは、もう「OL」にも「主婦」にも飽き飽きしていた。花の0Lも、夢にまでみた主婦の座も、いざ手にしてみたら、思っていたほど楽しくなかった。いや、もともとべつに楽しくなかったのかもしれないが、それが「選ばれた少数派のステイタス」であるうちは我慢もできた。しかし、いまや、世の中じゅうがOLだらけ、主婦だらけ。気がつけば、それは「ただのOL」「ただの主婦」と呼ばれる平凡の代名に成り下がっていた。
 敗戦から三〇年。おりしも七三年の石油ショックを機に日本経済は低成長期に入る。働きづめだった祖母や母の仇は、もう十分すぎるほど討った。というか、このころの娘たちにとって、母親はすでに生まれたときから専業主婦であるのが当たり前の人だった。
 娘はいつも母の生き方に反発する。ママみたいな平凡で退屈な人生、あたしはいや!
 それが幸せへの道と信じて主婦になった母たちも、娘に刺激されて考えはじめた。夫や子どものためにご飯を作りつづけるあたしって、なんなのかしら……。
 彼女たちは新しい目標をみいだした。「脱OL」「脫専業主婦」である。

 そうなのだ。

 ぼくは女の人生を送ったことがないけど「この道を選べば幸せ」なんてないことはわかる。専業主婦になっても兼業主婦になっても共働きで子育てをしてもDINKs(共働きで子どもを持たない夫婦)になっても結婚しなくても、不満は残る。仮に「男は女にかしづく奴隷になる」となったとしても、それはそれで不満が出てくるだろう。退屈だ、とかいって。

 結局、性別に関係なく、すべての人が満足のいく働き方なんてないのだ。


 昔は「こうなりたい」というビジョンがもっと明確にあったんじゃないだろうか。学校に行きたい。主婦になりたい。ばりばり働きたい。達成できるかどうかはさておき、今よりは明確な〝夢〟があったんじゃないだろうか。

 で、それらの〝夢〟はがんばれば手の届くところまできた。進学だって専業主婦だって正社員だって社長だって、「夢みたいなこと言ってんじゃないよ」ではなくなった。

 でも、どの道を選んでも、楽で、安定していて、刺激があって、達成感を得られるわけじゃない。ああ、人生はつらい。


 なんで女の働き方がことさら問題になるかというと、選択肢があるからじゃないかな。
 フルタイム労働者、専業主婦、パート兼業主婦。どれを選んでも「選ばなかった道」がちらつくから、余計に納得いかないんじゃないだろうか。

 男のほうは選択肢がないに等しい。そりゃあ専業主夫とか親の金で一生遊んで暮らすとかの道もあるにはあるが、99%の男はそんな道は選択肢にすら入らない。「働くか、働かないか」で迷うことはないのだ。それはつらいことでもあるけど、楽でもある。煩悩は選択肢によって生まれるのだから。

 自由は必ずしも人間を幸せにはしてくれないんだなあ。


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