モダンガール論
斎藤 美奈子
原書は2000年刊行。
『モダンガール論』とあるが大正時代に限定した話ではなく、「明治以降の女たちはどういった生き方を目指し、どういった生き方を選択した(あるいは強制された)のか」を読み解いた本だ。
ご存じの通り、女の生き方はここ百年で大きく変わった。就学も就職も結婚も自由にできなかった時代から、それらすべてほぼ自由にできるようになった時代へと。男の生き方も変わったが、もっと大きく変わったのが女の生き方だった。
ではどのような経緯で女の生き方は変わっていったのか。
転機の一つは「良妻賢母」だと著者は書く。
現代の感覚では信じられないが、「良妻賢母」こそが女性の地位向上に貢献した思想だというのだ。
それまでは「女に教育なんて必要ない!」が一般的だったのが、「良い妻、賢い母となるにはきちんと教育を受けねばなりません。妻が家計を管理して家族の健康を支え、母親が子どもに質の高い教育を施すには、女にも教育を受けさせる必要があるのです」という口実を得て女性の進学率が向上した。
さらに、やはり良妻賢母となるには社会経験も積んだ方がいい、ということで就職率の向上にも貢献した。もっともここでいう就職とは会社や百貨店や役所や学校に務めるホワイトカラー層のことで、農業や工場での労働をせざるをえなかった層のことではない(その層の人たちに働かないという選択肢はなかった)。
男女等しく教育を受けることがあたりまえになっている現代の感覚のままだと見失ってしまいそうになるが、「良妻賢母」とは近代になって生まれた新しい思想だったのだ。「女は夫や家長に意見するな」が当然だった時代からすると、「良妻賢母」は飛躍的な進歩である。
差別の解消や人権の確立って、まるで〝正解〟があっていっぺんにそれが叶えられたような気になってしまうけど(まあ戦後日本の場合は連合国支配時代に一気に改革が進んだから余計に)、ほんとは一歩一歩少しずつ変わっていくもんなんだよな。
「良妻賢母」は女性の立場の漸進的な変革において、重要なステップだった。「改革」「維新」といったドラスティックな言葉が好きな人にはなかなか理解できないかもしれないが。
また、昭和に入ってから女性の社会進出に大きく貢献したのは「戦争」だったと著者は語る。
朝ドラなんかだと、「庶民(特に女)は、望みもしない戦争に国が突入したことで苦労を強いられた」という悲劇のヒロイン的な描かれ方をするが、そんなことはない。男も女も軍人も民間人も、喜んで戦争に協力したのだ。特に初期の頃は。
そして実際、戦争は女性の社会進出に貢献した。労働力が足りなくなり、「女が働くなんて」から「働く女性が国を支える」になった。国家における女の重要性が増す。
「社会から求めらる」こんなうれしいことはない。
良妻賢母と戦争、これこそが敗戦までの日本において女の社会進出に貢献したキーワードだった。
戦前にも「育児と職業の両立」に関する議論はあった。だが、それはあくまで特権階級に限った話だった。
女は学問をするべきか、仕事をするべきか、仕事をするとしたらいつまで続けるべきか。そんなことで悩めたのは、アッパークラスの女性だけである。
この本には農村の女性の暮らしぶりも書かれているが、
「出産後も横になっていられるのは、たった一日」
「農村婦人の死亡率は、出産子育て期にあたる二五~四四歳で特に高かった」
「決定権は一切なく、口答えもできず、舅や姑や夫の監視下で、早朝から深夜まで働きづめ」
といった暮らしが書かれている。しかもそっちが多数派である。こんな時代に、お嬢様の「女でも学問をしたいし仕事をしたいわ」が社会的な議論になるはずはないのである。
さて。
戦争も終わり、日本は豊かになった。女の進学率は飛躍的に向上し、就職する女性もめずらしくなくなった。現実的にはまだ男女の間に格差はあるが、少なくともタテマエ上は男女雇用機会均等が成立した。
では、女は生きやすくなったのか。
著者はこんなふうに書く。
そうなのだ。
ぼくは女の人生を送ったことがないけど「この道を選べば幸せ」なんてないことはわかる。専業主婦になっても兼業主婦になっても共働きで子育てをしてもDINKs(共働きで子どもを持たない夫婦)になっても結婚しなくても、不満は残る。仮に「男は女にかしづく奴隷になる」となったとしても、それはそれで不満が出てくるだろう。退屈だ、とかいって。
結局、性別に関係なく、すべての人が満足のいく働き方なんてないのだ。
昔は「こうなりたい」というビジョンがもっと明確にあったんじゃないだろうか。学校に行きたい。主婦になりたい。ばりばり働きたい。達成できるかどうかはさておき、今よりは明確な〝夢〟があったんじゃないだろうか。
で、それらの〝夢〟はがんばれば手の届くところまできた。進学だって専業主婦だって正社員だって社長だって、「夢みたいなこと言ってんじゃないよ」ではなくなった。
でも、どの道を選んでも、楽で、安定していて、刺激があって、達成感を得られるわけじゃない。ああ、人生はつらい。
なんで女の働き方がことさら問題になるかというと、選択肢があるからじゃないかな。
フルタイム労働者、専業主婦、パート兼業主婦。どれを選んでも「選ばなかった道」がちらつくから、余計に納得いかないんじゃないだろうか。
男のほうは選択肢がないに等しい。そりゃあ専業主夫とか親の金で一生遊んで暮らすとかの道もあるにはあるが、99%の男はそんな道は選択肢にすら入らない。「働くか、働かないか」で迷うことはないのだ。それはつらいことでもあるけど、楽でもある。煩悩は選択肢によって生まれるのだから。
自由は必ずしも人間を幸せにはしてくれないんだなあ。
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