天空の蜂
東野 圭吾
大型ヘリコプターが遠隔操作で乗っ取られ、原発の真上でホバリング。国内すべての原発を使用不能にしないと原発の上に落下させて爆発させると犯人から政府に声明が届いた。
はたして犯人は誰なのか、そして目的は何か……。
文庫で600ページ以上の重厚なサスペンス。
乗り物をジャックするというのはわりとよくある手法だが、「犯人の目的が謎」「人質にとられているのが原発」という要素のおかげでぐっと奥行きが増している。
これが「バスジャックをした。人質を解放してほしければ十億円よこせ」みたいな話ならわかりやすい。
警察は人質保護を最優先させながら、犯人逮捕に全力を尽くす。他に被害を出さないよう、周囲の住民には避難を命じる。
ところが人質が原発だと話はそう単純ではない。
政府や電力会社は「原発は絶対安全だ」と嘘をついている。
福島第一原発の事故があった今ではそれが嘘だったとみんな知っているが、『天空の蜂』が刊行された当時(1995年)はまだその嘘が生きていた。まあみんな薄々気づいていたのかもしれないが、少なくとも建前としては「原発は絶対安全だ」ということになっていた。大地震があろうがテロがあろうが職員が発狂しようが事故は起こらない、という設定になっていた。嘘だったわけだけど。
『天空の蜂』の事件はその嘘を巧みについている。
「原発は絶対安全だ」ということになっている以上、テロがあろうが地震があろうが近隣の住民を避難させるわけにはいかない。「原発は絶対安全だ」を錦の御旗にして誘致を進めてきた手前、「原発事故が起こるかもしれない」と口が裂けても言うわけにはいかないのだ。
えてして、大事故になるのは「危ないかもしれない」ものではなく「ぜったいに大丈夫」なものだ。
多くの国民の反対意見を押し切ってまもなくはじまろうとしている東京オリンピックもそうだ。
「新型コロナウイルスの流行がまったく収まっていない今、オリンピックを開催するのは危険だ。多くの犠牲者も出るだろう。だがそれでも開催する」
というスタンスであれば、まだ被害を最小限に抑えるための手も打てるだろう。観客を入れないとか、外国人の入国を厳しく制限するとか、厳しすぎるぐらいに検査を徹底するとか。ほんとに危険になったら中止にすればいい。
だが「安全安心のオリンピック」という嘘を建前にしてしまった以上、被害はどんどん大きくなるだろう。だって安全安心なんだもん。検査を徹底するとか完全無観客にするとかしたら「安全安心」という言葉と矛盾してしまうもん。
オリンピック期間中に感染者数がどれだけ増えても中止にはできない。だってオリンピックは「安全安心」なのだから。感染者増はオリンピックとは無関係ということにしないといけないのだから。
絶対に安全なものはいちばん危険だ。危険性を認められなくなるから。トラブルが起こったときの解決策が〝隠蔽〟だけになってしまうから。
原発の嘘、「絶対安全」の嘘を見事に書いた小説だった。
正直いってサスペンスとしてはさほどおもしろくない(予想通りの展開になるので)が、東野圭吾作品にはめずらしい社会派作品としては成功しているとおもう。
小説なのでもちろん嘘ばっかりなのだが、「ありえそう」とおもわせるリアリティがあった。作者の腕だね。
ただ、2021年の今読むと「これはないな」とおもうところが一箇所。
それは政府の決断が速いこと。
前代未聞の出来事に、次々と決断をおこなってゆく。その決断には正しいものもあれば保身的なものもあるんだけど、とにかく決断のスピードが速い。
だけどコロナ騒動での政府の右往左往を見ていたぼくには「そんなわけねえだろ」としかおもえない。
こんなに素早く意思決定をおこなえるはずがない。責任重大な決断を引き受ける人間が政府中枢にいるわけがない。
たぶん現実にこんな事件が起きたら、政府は何ひとつ決断できないまま時間切れで最悪の結末に……ってことになるんじゃないかな。オリンピックみたいに。
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