キャンセルされた街の案内
吉田 修一
なんでもない一瞬を切り取った短篇集。
うーん、ほんとになんでもない……。ちょっとした一瞬にもほどがあるというか……。あまりにも何も起こらない。たしかに文章はうまいけど、それにしても内容がなさすぎる。
吉田修一作品はこれまでに何作か読んでるけど、文章力がうまいだけでなく、ストーリーもちゃんとおもしろかった。
ミステリ要素も含む『怒り』『悪人』はもちろん、作品中では大した事件の起こらない『パレード』『元職員』も背景には大きな事件が隠れていた。
ただこの短篇集、特に前半に収められている作品は凪すぎた。あまりにイベントが起こらなさすぎる。一度も敵に遭遇しないままクリアしてしまうロールプレイングゲームみたいなもので、いくらグラフィックや音楽がきれいでも楽しめない。
その中で『奴ら』は、明確に事件が起こる。
主人公である専門学校生の男は、ある日電車内で痴漢に遭遇する。目撃したのではない。自身が痴漢に遭うのだ。男が、男から、尻や股間をまさぐられる。
痴漢に遭った男は動転して、犯人を捕まえることはおろか、抵抗することも声を上げることすらできない。そして後になってから怒りがこみあげてくる。痴漢に対して、そしてそれ以上に何もできなかった自分に対して。
ぼくは痴漢に遭ったことはないが、理不尽な暴力の被害に遭ったことはある。夜中に自転車に乗っていたら、すれ違った男にいきなり肩を殴られたのだ。
何が起こったのかまったくわからなかった。痛っ、とおもってそのまましばらく自転車で走りつづけて、少ししてから殴られたのだと気づいた。だがなぜ殴られたのかまったくわからない。呆然としていたが、少ししてからやっと恐怖や怒りがこみあげてきた。とっさには何が起こったかわからなくて恐怖も怒りも感じることができなかったのだ。あのやろう、とおもったときには殴った相手はどこかへ行った後だった(追いかける勇気はぼくにはなかった。返り討ちに遭う可能性もあるのだから)。
突然殴られてからしばらくの間はショックを引きずっていた。
今おもうと、単に殴られたことがショックだったというより「こいつは理由なく殴っていいやつ」とおもわれたことがショックだったんじゃないかとおもう。
「肩ぶつかっておいてあいさつもなしかよ」みたいな明確な理由があって殴られたほうが、まだ納得できたんじゃないかとおもう。
ぼくは経験がないから想像するしかないけど、痴漢に遭う怖さもそれに似ているんじゃないだろうか。
尻をさわられることよりも「こいつなら触っても反発しないだろう」「こいつならいざとなってもねじ伏せることができるだろう」とおもわれることが恐怖なんじゃないだろうか。
自分のことを屈服させることができるとおもっていて、そして実際屈服させようとしてくるやつがすぐ背後にいる。これはすごく怖い。
力関係とかだけの話ではない。もし自分が世界一腕っぷしの強い男だったとしても、「おまえなんかいつでも殺せるんだからな」と言われたら怖い。悪意を向けられること自体が怖い。
ぼくは男だから「痴漢に遭ったら声を上げて警察に突きだせばいいじゃない」とのんきに考えてたけど、やっぱり実際痴漢に遭ったらめちゃくちゃ恐怖だろうな。ぼくもとっさには声を出せないかもしれない。
女性からしたら何を今さらって話なんだろうけど。
『大阪ほのか』の中の一節。
たしかになあ。
ぼくは結婚していて、独身で遊び歩いている男がうらやましくなることもあったけど(最近はあまりない)、それは「男」だから楽しそうに見えるんだよな。
「独身男」はうらやましくても、「独身おじさん」や「独身じいさん」をうらやましいとおもう人はほとんどいないもんなあ。
独身男は独身女よりは社会的に許容されやすいけど、あくまで独身「男」でいる間だけの話だよね。高齢になったらむしろ独身おばさんや独身ばあさんより居場所がないかもしれない。
でも子どもが二十代の生活を想像できないように、二十代には四十代五十代の生活が想像できない。
ぼくは三十代後半になったことで四十代五十代の生活が見えてきたけど、二十代の頃にはわからなかった。とりあえず、こんなに性欲が減退するなんておもってもみなかったなあ。
二十代の男なんて脳内の半分は性欲なんだから、「性欲減退」って人格ががらっと変わるぐらいの変化なんだよな。想像できなかったなあ。
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