2021年7月2日金曜日

【読書感想文】バカ経団連を一蹴するための知識 / 小熊 英二『日本社会のしくみ』

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日本社会のしくみ

雇用・教育・福祉の歴史社会学

小熊 英二

内容(e-honより)
日本を支配する社会の慣習。データと歴史が浮き彫りにする社会の姿!!「この国のかたち」はいかにして生まれたか。“日本の働き方”成立の歴史的経緯とその是非を問う。

 〝日本的な働き方〟というと、どんな働き方を思い浮かべるだろうか。

 終身雇用、年功序列賃金、遅くまで残業、飲み会・接待、会社都合で転勤、六十ぐらいで定年退職して老後は悠々自適な生活……。みたいなイメージを持つのではないだろうか。
 ぼくが子どもの頃思い浮かべていた「ふつうのサラリーマン」もそんな感じだった。というのも、ぼくの父親(大企業勤務)がまさにそんな働き方をしていたからだ。

 だが自分が社会に出てみると、そんな甘いもんじゃないとわかった(いや父親の働き方だって甘かったわけではないんだろうが)。

 まず終身雇用なんてどこの世界の話? という感じだ。
 まあこれはぼくがウェブ系の仕事をしているからでもある。業界自体が新しいこともあり、転職なんてあたりまえの世界だ。一社に五年勤めていたら「長いね」と言われるような世界だから「新卒で入社してから十年以上この会社です」なんて人には会ったこともない。

 当然ながら年功序列賃金もない。もちろん長く勤めていれば給与が上がることもあるが、それはスキルや経験が評価されてのことであり、転職を機に年収アップすることも多い。

 残業や飲み会は会社によるとしか言いようがないが、転勤とか定年退職もほとんど聞かない。全国各地に支社や子会社がある会社がほとんどない上、転職が容易なのだから半強制的な転勤を命じられることもない。

 というわけで個人的には日本的な働き方とは無縁な仕事をしているが、それでもまだまだ世間一般のイメージでは「(特に男は)ひとつの会社で骨をうずめる覚悟で働くもの」という意識が強い。ぼくも就活をするときはそういうもんだとおもっていたし(だから妥協できなくて失敗した)、両親なんかは息子の転職に眉をひそめた。




 しかし〝日本的な働き方〟は、ちっともふつうの働き方ではないことが『日本社会のしくみ』を読むとよくわかる。

 欧米の働き方はまったく違うし、日本でも〝日本的な働き方〟が一般的な働き方だったのは高度経済成長期~バブル崩壊ぐらいまでのごくわずかな期間だけだったことがわかる。
 またその頃だって、終身雇用や年功序列があたりまえだったのは大企業に勤める男性サラリーマンにかぎった話だった。

 一九九三年は、まだバブル経済の余韻が続いていた時期である。その時代でも、三分の一程度の人しか、年金だけでは生活できなかったのだ。
 この三分の一という数字は、経産省若手プロジェクトが試算した「正社員になり定年まで勤めあげる」という人の比率と、ほぼ一致している。前述したように、二〇一九年の厚生労働省の発表では、「正社員になり定年まで勤めあげる」という人生をたどれば、夫婦二人で月額二二万一五〇四円の年金が受給できる。この金額ならば、貯金から毎月数万円ずつ補なうか、出費をかなり切りつめれば、年金だけでも生活できるだろう。ちなみに二〇一七年の総務省「家計調査」では、「高齢者夫婦無職世帯」の一ヵ月の支出は二六万三七一八円とされている。
 だがこうした人々は、少数派である。定年後のすごし方に悩むとか、生きがいとして働くといったことは、こうした人々に限った話である。
 これは今に始まったことではなく、昔からそうなのだ。『読売新聞』二〇一九年六月一四日付の報道によれば、厚労省の年金局長は一三日の参議院厚生労働委員会で、「私どもは、老後の生活は年金だけで暮らせる水準だと言ったことはない」と述べた。もともと「大企業型」以外の人は、高齢になっても働くことが前提の制度なのだともいえよう。

〝老後は悠々自適な生活〟ができたのは、ごくわずかな時期のごくひとにぎりの人たちだけ。
 隠居なんてほんの限られた金持ちだけに許されたことなのだ。
 十年ぐらい前に「歳をとっても引退できない時代になった」なんてことが声高に叫ばれていたが、歴史的にはそっちのほうがふつうなのだ。




 年齢(≒社歴)を重ねるにつれて出世していき、給与も増えていく。そんな島耕作的なサラリーマン人生は決してポピュラーなものではなく、むしろ例外だった。
 たしかに高度経済成長期は順調に出世コースを歩むサラリーマンも多かった。だがそれはいくつかの歴史的背景に支えられてのものだった。

 当時の四〇~五〇代の男性たちは、戦争と兵役を経験し、軍隊の制度になじんでいた。職能資格制度がこの時期に急速に普及したのは、総力戦の経験によって、各企業の中堅幹部層がこうしたシステムに親しんでいたことが一因だったかもしれない。
 だが彼らは、重要な点を見落としていた。彼らが軍隊にいた時期は、戦争で軍の組織が急膨張し、そのうえ将校や士官が大量に戦死していた。そのためポストの空きが多く、有能と認められた者は昇進が早かった。(中略)
 そして彼らがこの報告書を出した一九六九年も、日本のGNPが年率一〇%前後で急成長していた時期だった。その時期には、現場労働者レベルにまで「社員の平等」を拡張しても、賃金コストの増大に対応できた。
 だが一九七三年の石油ショックを境に、そうした時期は終わりを告げた。それでも、いったん拡張した「社員の平等」は、もはや撤回できなかった。そのあとの時代には、正社員の範囲だけに「社員の平等」を制限するという、「新たな二重構造」が顕在化していくことになる。

 一般企業が年功序列賃金を実現できていたのは、
「戦死により上の世代が少なかった」
「人口増や高度経済成長により経済規模自体が大きくなっていた」
という背景があればこそだったのだ。
(コストにとらわれなくていい公務員はそのかぎりではないから名前だけの役職者を置くことができる)

 人口は減り、若手よりも中高年のほうが多い現代日本で同じことを実現できるはずがない。元来が無茶な制度なのだから、無理にやろうとおもえばそのしわ寄せは非正規労働者に向かうことになる。

 年功序列や終身雇用制度は、非正規社員が割を食うことで成り立っているのだ。




 海外(欧米だけだが)との比較もおもしろい。

 日本ならば、「大企業か中小企業か」「どの会社か」といった区分が重要になる。だから「A社に就職したい」という言い方が出てくる。A社の正社員になってしまえば平等だ、という「社員の平等」を前提にしているからだ。
 しかし欧米その他の企業では、「社員の平等」というものは存在しない。ここでは、「A社に就職したい」という言葉は意味をなさない。「A社」の現場労働者や下級職員になるのは、むずかしくないからだ。
 その代わり、欧米その他の企業では「職務の平等」とでもいうべき傾向がある。たとえば財務に強い上級職員であれば、A社であろうがB社であろうが、NGOであろうが国際機関であろうが、高給取りの財務担当者になるだろう。逆にいうと、現場労働者はA社であろうがB社であろうが、勤続年数が多かろうが少なかろうが、現場労働者のままなのが原則だ。
 図式的にいうと、日本企業では一つの社内で「タテの移動」はできるが、他の企業に移る「ヨコの移動」はむずかしい。しかし欧米その他の企業では、「ヨコの移動」の方がむしろ簡単で、「タテの移動」のほうがむずかしい。
 こうみてくると、「欧米企業は成果主義が徹底していて収入に大きな差がつく」というのは、経営者や上級職員の話であるのがわかる。また「欧米企業では専門職務に徹するが日本企業はゼネラリスト志向だ」というのは、下級職員にはあてはまるが、幹部候補生レベルの上級職員は必ずしもそうではない。「日本は年功制だが欧米は厳しく査定される」というのは、下級職員や現場労働者には当てはまらないことが多い。

 なるほど。
 たしかに日本の会社ではふつう「同じ会社の正社員であれば平等」である。
 会社であれば定期的に部署移動がある。そうでない会社でも、職種によって極端な賃金格差が生じることはない。同じ年齢・同じ性別・同じ学歴であれば同じような給与体系になる。 

 その一方で、会社が異なれば給与が異なってもしかたないと受け止められる。
 だから転職に二の足を踏む人も多い。会社を移ることで給与が大幅に下がる可能性があるからだ。

 だがアメリカなどでは職務の平等が重要視される。同じ会社の同じ年齢の社員であっても、経営部門か現場労働者かでまったく待遇が異なる。

 どちらが良いというものでもない。それぞれにメリットとデメリットがある。
 だが「社員の平等」があたりまえとおもわれている日本で同じ会社の社員に極端な差をつけるのはむずかしいだろうし、「社員の平等」を実現するためには「親会社と子会社の平等」や「正規社員と非正規社員の平等」などは切り捨てざるをえず、さんざん言われている〝同一労働同一賃金〟も実現するのはかなり困難だ。

 この本の中で著者も書いているが、日本には日本の、アメリカにはアメリカの、ドイツにはドイツの働き方がある。それは経営者の事情、労働者の事情、教育体制、税制、社会保障制度などが混然一体のなった結果として成立しているものだから、「アメリカの企業ではこんな働き方が主流だ。だから日本でも取り入れよう!」という取り組みは無意味だし、強引にやっても失敗する。ゾウの鼻とライオンの牙とウサギの俊敏性だけを取り入れることはできないのだ。


 この本自体には「こういう働き方をするべきだ!」といった主張はない。
 ただ歴史的な背景や各国との比較をもとに「日本の働き方はこうなっている」という説明をしているだけだ。

 でも、目先の利益しか考えていない経営者が「こういう働き方をするべきだ!」と言いだしたときに「バカ言ってんじゃねえよ」と一蹴するための知識を与えてくれる。


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