日本社会のしくみ
雇用・教育・福祉の歴史社会学
小熊 英二
〝日本的な働き方〟というと、どんな働き方を思い浮かべるだろうか。
終身雇用、年功序列賃金、遅くまで残業、飲み会・接待、会社都合で転勤、六十ぐらいで定年退職して老後は悠々自適な生活……。みたいなイメージを持つのではないだろうか。
ぼくが子どもの頃思い浮かべていた「ふつうのサラリーマン」もそんな感じだった。というのも、ぼくの父親(大企業勤務)がまさにそんな働き方をしていたからだ。
だが自分が社会に出てみると、そんな甘いもんじゃないとわかった(いや父親の働き方だって甘かったわけではないんだろうが)。
まず終身雇用なんてどこの世界の話? という感じだ。
まあこれはぼくがウェブ系の仕事をしているからでもある。業界自体が新しいこともあり、転職なんてあたりまえの世界だ。一社に五年勤めていたら「長いね」と言われるような世界だから「新卒で入社してから十年以上この会社です」なんて人には会ったこともない。
当然ながら年功序列賃金もない。もちろん長く勤めていれば給与が上がることもあるが、それはスキルや経験が評価されてのことであり、転職を機に年収アップすることも多い。
残業や飲み会は会社によるとしか言いようがないが、転勤とか定年退職もほとんど聞かない。全国各地に支社や子会社がある会社がほとんどない上、転職が容易なのだから半強制的な転勤を命じられることもない。
というわけで個人的には日本的な働き方とは無縁な仕事をしているが、それでもまだまだ世間一般のイメージでは「(特に男は)ひとつの会社で骨をうずめる覚悟で働くもの」という意識が強い。ぼくも就活をするときはそういうもんだとおもっていたし(だから妥協できなくて失敗した)、両親なんかは息子の転職に眉をひそめた。
しかし〝日本的な働き方〟は、ちっともふつうの働き方ではないことが『日本社会のしくみ』を読むとよくわかる。
欧米の働き方はまったく違うし、日本でも〝日本的な働き方〟が一般的な働き方だったのは高度経済成長期~バブル崩壊ぐらいまでのごくわずかな期間だけだったことがわかる。
またその頃だって、終身雇用や年功序列があたりまえだったのは大企業に勤める男性サラリーマンにかぎった話だった。
〝老後は悠々自適な生活〟ができたのは、ごくわずかな時期のごくひとにぎりの人たちだけ。
隠居なんてほんの限られた金持ちだけに許されたことなのだ。
十年ぐらい前に「歳をとっても引退できない時代になった」なんてことが声高に叫ばれていたが、歴史的にはそっちのほうがふつうなのだ。
年齢(≒社歴)を重ねるにつれて出世していき、給与も増えていく。そんな島耕作的なサラリーマン人生は決してポピュラーなものではなく、むしろ例外だった。
たしかに高度経済成長期は順調に出世コースを歩むサラリーマンも多かった。だがそれはいくつかの歴史的背景に支えられてのものだった。
一般企業が年功序列賃金を実現できていたのは、
「戦死により上の世代が少なかった」
「人口増や高度経済成長により経済規模自体が大きくなっていた」
という背景があればこそだったのだ。
(コストにとらわれなくていい公務員はそのかぎりではないから名前だけの役職者を置くことができる)
人口は減り、若手よりも中高年のほうが多い現代日本で同じことを実現できるはずがない。元来が無茶な制度なのだから、無理にやろうとおもえばそのしわ寄せは非正規労働者に向かうことになる。
年功序列や終身雇用制度は、非正規社員が割を食うことで成り立っているのだ。
海外(欧米だけだが)との比較もおもしろい。
なるほど。
たしかに日本の会社ではふつう「同じ会社の正社員であれば平等」である。
会社であれば定期的に部署移動がある。そうでない会社でも、職種によって極端な賃金格差が生じることはない。同じ年齢・同じ性別・同じ学歴であれば同じような給与体系になる。
その一方で、会社が異なれば給与が異なってもしかたないと受け止められる。
だから転職に二の足を踏む人も多い。会社を移ることで給与が大幅に下がる可能性があるからだ。
だがアメリカなどでは職務の平等が重要視される。同じ会社の同じ年齢の社員であっても、経営部門か現場労働者かでまったく待遇が異なる。
どちらが良いというものでもない。それぞれにメリットとデメリットがある。
だが「社員の平等」があたりまえとおもわれている日本で同じ会社の社員に極端な差をつけるのはむずかしいだろうし、「社員の平等」を実現するためには「親会社と子会社の平等」や「正規社員と非正規社員の平等」などは切り捨てざるをえず、さんざん言われている〝同一労働同一賃金〟も実現するのはかなり困難だ。
この本の中で著者も書いているが、日本には日本の、アメリカにはアメリカの、ドイツにはドイツの働き方がある。それは経営者の事情、労働者の事情、教育体制、税制、社会保障制度などが混然一体のなった結果として成立しているものだから、「アメリカの企業ではこんな働き方が主流だ。だから日本でも取り入れよう!」という取り組みは無意味だし、強引にやっても失敗する。ゾウの鼻とライオンの牙とウサギの俊敏性だけを取り入れることはできないのだ。
この本自体には「こういう働き方をするべきだ!」といった主張はない。
ただ歴史的な背景や各国との比較をもとに「日本の働き方はこうなっている」という説明をしているだけだ。
でも、目先の利益しか考えていない経営者が「こういう働き方をするべきだ!」と言いだしたときに「バカ言ってんじゃねえよ」と一蹴するための知識を与えてくれる。
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