2021年7月26日月曜日

【読書感想文】高野 秀行『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』

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移民の宴

日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活

高野 秀行

内容(e-honより)
日本に住む二百万を超える外国人たちは、日頃いったい何を食べているのか?「誰も行かない所に行き、誰も書かない事を書く」がモットーの著者は、伝手をたどり食卓に潜入していく。ベリーダンサーのイラン人、南三陸町のフィリピン女性、盲目のスーダン人一家…。国内の「秘境」で著者が見たものとは?

 「日本に住む外国人たちの食事会」にまぎれこませてもらい、日本在住外国人たちがどこで食材を買っているか、どんな料理をしているか、さらにはどんな生活を送っているかをつづったルポ。まあルポというほど堅苦しくないが。

 たしかに、ぼくが子どもの頃は(田舎育ちだったこともあって)外国人を目にする機会は少なかったが、今は日本にいる外国人の姿もめずらしくない。
 コロナ禍で旅行者の数は激減しているのにそれでも街を歩く外国人(っぽい見た目の人)は少なくないのだから、住んでいる人も多いのだろう。

 だが、ぼくは彼らがふだん何を食べているのかほとんど知らない。
 たしかに中国人のやっているお店には中国人っぽいお客さんが多いし、ネパール料理屋ではネパール人らしき人をよく目にする。とはいえ彼らだって年中外食をしているわけではなく、自炊したり買ってきたものを食べたりしているのだろう。どんなものを食べているか、ほとんど知らない。

 でも、よくよく考えてみればべつに外国人にかぎらず、周囲の人が家でどんなものを食べているかほとんど知らない。なんとなく同じ日本人だから同じものを食っているだろうとおもっているが、もしかしたらぼくの友人や同僚は毎日カレーだけを食べたりバッタを食べているのかもしれない。




 正直言って「外国人の料理レポート」部分は、高野秀行さんの本にしてはあまりおもしろくなかった。まあこれはぼくが食にあまり関心がないせいだけど……。

 結局、外国人であろうとそれほど変わったものを食っているわけではないんだよな。日本に暮らしていて日本のスーパーに行っていれば買うものだって似たようなものになる。一部の食材は祖国から取り寄せることもあるだろうが、日本で買い物をせずに暮らしていくことはできない。
 調理法に多少の違いはあるが、それは日本人同士でもおなじこと。

 たとえば同じく高野秀行さんが書いた『辺境メシ ~ヤバそうだから食べてみた~』に出てくる強烈な料理の数々に比べると、「日本で暮らす外国人の料理」はインパクトが小さい。




 とはいえ「日本在住外国人の暮らしぶり」や「価値観のちがい」についてはおもしろかった。

 レストラン業のベテラン二人に「どうしてフランスでなくわざわざ日本に店をオープンしたのか」と訊くと、異口同音に「フランスで店を開くのは日本の十倍難しい」という答えが返ってきた。
 フランスでは店舗をレンタルするという習慣がなく、丸ごと買わねばならない。しかも「商業権」というものがある。前の店の一年分の売上を支払わねばならない。例えば一月の売上が二百万の店なら二千四百万円。仕事も顧客もすべて買うという発想らしい。しかも、アルコールを売る、料理をするという全てにライセンスが必要で、とにかくお金がかかるのだそうだ。
 日本でのレストラン経営のコツは? と訊くと、「きめ細かくサービスすること」。フランスのビストロなら客が来ても「あ、その辺に座って!」と声をかける程度だが、日本ではテーブルを整え、席まで案内する。「日本人はちょっとしたことを大切にするからね」。ナビルさんは日本に初めて来たとき、日本式の接客を一から学ぶため、あえて一番下の見習いから始めたのだという。

 フランスのレストランのほうが接客とかマナーとかうるさそうだけど、意外にも日本のほうがうるさいんだね。

 ヨーロッパって職人組合とかが発達した歴史があるから、レストラン業界にも保護権益があるのかもしれない。
 消費者からするといろんなお店が林立して味やサービスや価格で競ってくれるほうが安くておいしいものが食べられていいんだけど、労働者の立場で考えると商業権があるほうがいいよね。無理な値下げ競争とかする必要がないから。

 そういやぼくもイタリアに行ったことがあるけど、レストランの店員がだらだらしているし、日本ほどメニューも多くないし、その割にけっこういい値段をとるんだなとおもった。サイゼリヤのほうがずっと安くて同じくらいおいしくていろいろ食べられる。あれは商業権のおかげで楽に商売ができていたからなんだろうな。




 ロシア正教会ではユリウス暦を使っているので、グレゴリオ暦(いわゆる西暦)とは日付がずれる。ロシア正教会のクリスマスは一月だ。

 そのせいで過去にはこんな〝大事件〟が起きたそうだ。

 なんと、昭和天皇はロシアン・クリスマス当日に亡くなったのだ。在日ロシア人たちは動揺した。世間は祝い事をみな「自粛」している。パーティなどもってのほかだ。しかし、彼らにとってのクリスマス・パーティとは遊びではない。主イエス・キリストの生誕を祝うという宗教行事なのだ。
「だから窓もカーテンをぴったり閉めて、音が外に漏れないようにして、ひっそりと『メリー・クリスマス!』ってやったのよ」
 付け加えれば、在日ロシア正教会は日本にひじょうに気を遣っている。この教会では、ミサの度に、「天皇陛下と日本政府の幸せと長命」を祈るのだそうだ。

 クリスマスパーティーなのにまるで黒ミサだ。

 日露間は国交は続いているが、アメリカ寄りである日本にとってロシアとの関係は決して良好とはいいがたい。
「警察に監視されていた」なんて話もあるし、日本で暮らすロシア人はいろいろ嫌な目にも遭ってきただろう。
 だからこそ、こうして「我々は日本人の敵じゃないですよ」というアピールを懸命におこなっているのだ。なんとも健気な話だ。
 天皇陛下と日本政府の幸せと長命を祈るなんて話を聞くと「さぞかしつらいおもいをしたんだろうなあ……」と同情してしまう。




 この本に出てくる海外の料理は、日本人がふだん食べているものより手が込んでいるものが多い。 まあ食事会の料理だからふだんよりは手が込んでいるのだろうが、それでも四時間煮込むとか、前の日から仕込んでおくとかとにかく手間ひまをかけている。

 だが日本人が楽をしているということではない。

 取材を重わて行くうちにだんだんわかってきた。日本人の食事はあまりに幅が広いのだ。和食、中華、洋食と大きく三種類は作れないといけない。油一つとっても、サラグ油、ごま油、オリーブ油は常備している。酒も日本酒、焼酎、ワイン、ビールと飲みわけ、肴もそれに合わせる。その他、テレビ・雑誌・ネットのレシピでは、タイ料理や北アフリカのタジン鍋、インド・カレーなどをせっせと紹介する。
 昨日は麻婆豆腐だったから、今日はマリネとアンチョビ・パスタにしよう。で、明日はさんまの塩焼きで日本酒にするか」なんていうのは、日本人の主婦(主夫)としてごく普通だ。こんなでたらめなメニューで動いている主婦は世界広しといえども、日本だけではないか。
 多くの外国人は「私たちの料理は作るのは大変だけど、一回作ると同じものを何日も食べる」と言う。日本人は目先をころころ変えないと気が済まないのだ。

 海外の料理は手間ひまをかける。その代わり大量につくって、同じものを何日もかけて食べる。
 日本の料理はシンプルなものが多いが、毎日べつのものを食べる。そもそもの考え方がちがうのだ(たぶん湿度が高いから作りおきができないという事情もあるのだろうが)。

 しかし日本の料理はいつからこんなにバラエティに富んだものになったんだろう。昔の日本人は毎日同じものを食べていたはず。火を使うのだって今みたいにかんたんではなかったんだから。

 たぶん戦後だろうね。女性が専業主婦になり(専業主婦が一般的になったのは戦後)、調理家電が発達して時間ができたことで、さまざまな料理をつくる余裕ができた。
 小林カツ代さんの評伝を読んだことがあるが、料理研究家の大家である彼女は結婚当初まったく料理ができず、テレビ番組に「料理コーナーを作ってほしい」と投書をしたことで料理研究家の道を歩むことになったそうだ。ちょうどその頃が、日本人が食にこだわりだした時代だったんだろうね。

 しかしもう時代は変わった。専業主婦の数は再び減り、商業権のない日本では労働時間は減らない。家庭料理にかけられる時間は減りつつある。
 この先日本も「大量に作って何日もかけて食べる」になっていくのかもしれない。今は保存技術も発達したわけだし。


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