ポネット
ジャック・ドワイヨン(著)
青林 霞(訳) 寺尾 次郎(訳)
1996年公開のフランス映画の原作だそうだ。
交通事故で母親を亡くした四歳の少女ポネットの心の動きを描いた物語。
ぼくも親として、「自分が死んだらこの子たちはどうなるだろう」「妻が死んだら……」「ぼくと妻がそろって死んだら……」と考える。
ただ結論としては「どうしようもない」としか言いようがない。生命保険には入ってるし、祖父母は健康だし、ぼくの姉や妻の妹もいるから、まあ最低限の暮らしは送れるだろう。悲しむのは悲しむだろうけど、その心配をしてもどうしようもない。悲しまないようにすることなんてできないし、悲しまなかったらそれはそれでぼくがつらいし(死んでるからつらさも感じないけど)。
ぼくは幸いにしてまだ親の死を経験していないけど、親の死、とりわけ母親の死というのは身を切られるほどつらいものあることは容易に想像がつく。
ぼくの父は、父親(ぼくの祖父)が亡くなったときの葬儀では泣いていなかったが、母親(ぼくの祖母)の葬儀では号泣していた。
この感覚、なんとなくわかる。ぼくの父はべつに父親に対して情がなかったわけではないとおもう。父にも母にも情は感じていたはずだ。だが情の質が根本的にちがうのだとおもう。
理屈の上では父親も母親も同じく血がつながっている。でも母親は父親よりもずっと特別な存在だ。なにしろかつては自分と文字通り一体化していたのだから。
だから、祖母が亡くなってもまったく泣かなかったぼくも「母親を亡くした父親の気持ち」を想像して涙が出た。
穂村弘さんが『世界中が夕焼け』という本の中で、こんなことを書いていた。
もういいおじさんになった穂村氏でさえ、母親をなくしたときは他では決して埋められない喪失感を味わったという。それぐらい母親の「愛」はとほうもない。傍から見ているとたまにぞっとするぐらいに。
おじさんですら号泣する出来事なんだから、四歳である ポネットが母親を亡くす、しかも何の予兆もなく交通事故である日突然に、というのはとうてい受け入れられる出来事ではないだろう。
我が子(二歳)を見ていてもおもう。幼い子にとって母親は「最愛の人」どころの存在ではない。ほとんど我が身の一部なのだから。
かわいそうではあるが、『ポネット』は退屈な物語だった。
「こんなに幼くして母親を亡くすなんてかわいそうに」と子を持つ父親として同情はしたけど「とはいえ一定の確率で起こりうることだし、つらいけど時間をかけて乗りこえていくしかないよなあ」とおもう。そしてポネットもしばらくは母の死を受け入れられないがちょっとずつ新しい生活に慣れてゆく。
あらすじとしては「母親を亡くした四歳のポネットちゃんはなかなか現実を受け入れられませんでしたが、いとことの会話や寄宿舎での新しい生活を通して徐々に現実を受け入れてゆくのでした」というだけの話で、毎日世界のどこかで起こっている出来事だ。個人としては悲劇だがマクロでみれば「よくある話」だ。申し訳ないけど。
映画で観ればまたちがった感想があったのかもしれないけど、小説としては平凡すぎてまったくおもしろみに欠けるものだった。あとポネットを放置して現実逃避する父親がひどすぎる。
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