2021年4月22日木曜日

姉妹げんか

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 長女(七歳)と次女(二歳)。

 五つも離れてたら喧嘩することはないよねとおもっていたらおおまちがい。毎日のように喧嘩をしている。

 喧嘩の原因は
「次女が長女のおもちゃを勝手に使って、長女がとりあげた」とか
「次女がおもちゃで遊んでいたら長女が『貸して』と強引にとりあげた」
とか些細なものだ。

 まともにやりあえば次女に勝ち目はない。力でも口でも二歳児が小学生にかなうはずがない。

 だが要領は次女のほうがずっといい。次女は自分の持っている武器を心得ている。

 姉と喧嘩をすると「おかあさん、ねえねがばかっていったー」とか「おとうさん、ねえねがキックしたー」とか言いつけにくる(キックといっても足が軽くふれた程度だが)。

 ちゃんと「弱い自分」をわきまえていて、その弱さを武器に、もっと強い大人に訴えるのだ。しかも「ねえねがおもちゃをとった」とは言わない。なぜならそのおもちゃは姉のだから。その論点で戦うと分が悪いことをわかっているのか、「ばかっていった」「キックした」などの攻めやすいところを訴えるのだ。したたかだ。


 二歳ともなると、言葉こそまだまだ未熟なものの、いろんなことを理解している。
「これは姉のおもちゃだから勝手に使うと怒られる」ことはちゃんとわかっている。
 その証拠に、姉が近くにいるときはぜったいに手を出そうとせず、姉がトイレに立った隙を狙ってすかさず手を伸ばすのだ。

 ぼくはそれをにやにやしながら見ている。「あーあー。長女が戻ってきたら怒られるぞー」とおもうが、何も言わない。どうなるんだろうと楽しみながら見ている。
 案の定、長女が戻ってきておもちゃをとりあげる。泣く次女。しかしこのときは「ねえねがとったー」とは言いつけにこない。使ったらいけないものを使ったとわかっているのだ。

 そう。「弱い自分」という武器も、使いすぎれば力を失う。いつもいつも被害者面していてはやがて相手にされなくなるとわかっているのだ。だからここぞというときに使う。やるやん。



 次女が「ねえねがばかっていった―」と言いにきても、ぼくは長女をしからない。
 基本的に姉妹げんかはほったらかしだ。
 次女を「ばかちゃうのになー」「そっか。キックされたんかー」と慰めはするが、現場を見ていない人が一方的に裁くことはしないよう心がけている。

 ぼくの姪は、よく四歳下の弟をいじめて怒られている。

 弟と喧嘩をする → まわりの大人が弟にやさしくする → 姉はおもしろくないからますます弟に厳しくあたる → ますます大人は弟にやさしくする

 これを何度も見た。
 弟のほうもかわいそうだが、姉のほうもかわいそうだ。年上というだけで、喧嘩をしたら罪が重くなるのだから。

 だからぼくは、娘たちが喧嘩をしていたらどちらの肩も持たないようにしている。
「ねえねに○○されたー」「(妹)が××してきた!」と言いにきても、「ふーん。おとうさんは見てへんかったわー」と言うだけだ。

 

 それにしても。次女のほうはほんとにうまくやっている。

 きょうだいの下の方は要領がいいというが、それにしたって二歳でここまでうまく立ちまわれるものだろうか。

 ぼくや妻が長女に注意をすると、次女はそれを真似する。

妻「脱いだパジャマかたづけてよ」
次女「ねえね、ぬいだパジャマおいてるー」

ぼく「椅子の下にごはん落ちてるから拾っといて」
次女「ねえね、ごはんおとしてるー。あかんなー」

 そのたびに長女は神経を逆なでされている。二歳児に説教されるほど腹の立つことはない。
 こいつ、ほんとはぜんぶわかっててわざと姉を怒らせるようなこと言ってるんじゃないか。次女を見ているとそんなふうにおもえてそらおそろしくなる。

 でも叱れない。だって二歳児かわいいもん。二歳児最強にして最恐。



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