思い出トランプ
向田 邦子
その世代の多くの女性がそうであるように、母は向田邦子作品が好きだった。
テレビで向田邦子脚本のドラマをやるときは熱心に観ていたし、本棚には向田邦子さんのエッセイが並んでいた。
『霊長類ヒト科動物図鑑』という興味深いタイトルに惹かれてぼくも手に取ってみたことがある(ぼくは母の本棚によって大人向けの本を読むようになった)。おもしろさがさっぱりわからなかった。まあそりゃそうだ。男子小学生向けじゃないもの。
それからに二十数年ぶりに向田邦子さんの本を手に取ってみた。いい。実にいい。
向田邦子さんってこんなに小説がうまかったんだ。
個人的に「うまい小説」ってあんまり好きだじゃないんだよね。鼻につく感じがして。正確に言えば「うまいことを見せつけてくる小説」が嫌いなんだな。技巧的な文章とかこれ見よがしな比喩とかをふんだんに使って。
でもこれは好き。にじみ出るようなうまさ。さらっと書いているようにおもえる。
じっさいはそんなことないんだろうけどさ。でも「推敲なんてしてません」って感じが漂ってくる。それぐらい自然な文章。
小説の題材も「そこを切り取るか!」と言いたくなるようなものばかり。
「よその家で火事が起きたときや葬式のときに妙にはりきる妻」
「妻が医者に対して甘えたような声を出す」
「魚屋の若い男がうちに来て犬の世話をするのが助かるがうっとうしい」
「小さい頃から守ってあげたくなるタイプだった妹が、夫と視線をからませていた」
「仕事に困っている写真屋に仕事を依頼したら、必要以上にへりくだってくるのが嫌になった」
「世渡りだけはうまい従兄弟に後ろ暗い秘密を知られてしまったのかもしれない。知られたところでどうということもないのだが、はっきりわからないので気がかりだ」
といった、大きなトピックではないけれど、当人にしたらのどに引っかかった小骨のようになんとなく気になる出来事を鮮やかにすくいとっている。
ふつうの人ならもやもやしても五秒で忘れてしまうことを一篇の短篇にしてしまうのだから、うまいと言わずしてなんという。
この人、俳句とか短歌とかもつくらせてもうまかったんじゃないかな。一瞬の感情の揺れを切り取るのがすごくうまい。
個人的に好きだったのは、
あまり器量のよくない女を愛人として囲っている男が、女が少しずつ垢ぬけてゆくたびに愛情が冷めてゆく『だらだら坂』と
不慮の事故で息子の指を切り落としてしまったことがきっかけで離婚した母親があれこれと考え事をする『大根の月』。
自分の人生とはまったく無縁の話なのに、なぜか「こういうことあるなあ」と共感してしまった。赤の他人の人生を追体験できる、小説の醍醐味を感じられる短篇だった。
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