向日葵の咲かない夏
道尾 秀介
説明しがたい小説だな……。
同級生のS君が殺されたのでその犯人探しをするミステリかとおもいきや、S君が生まれ変わって主人公の前に現れるので、犯人は序盤であっさりわかる。あとは証拠をつかむだけ……かとおもいきや、真相が二転三転。
「S君がクモに生まれ変わる。おまけにしゃべれる」
「S君が殺される前から、口に石鹸を詰め込まれて足を折られた犬や猫の死体が見つかっている」
「主人公の母親の様子が明らかにおかしい」
「S君はどうも重要なことを隠しているらしい」
「主人公の妹がとても三歳とはおもえない」
「主人公の妹が死ぬことが序盤に明かされる」
「S君の近所に住む老人もどうやら何かをしっているらしい」
「ふしぎな力で預言ができるおばあさんがいる」
「主人公たちのクラスの担任が小児性愛の趣味を持っている」
とにかくいろんな要素がこれでもかと詰め込まれていて、少々胸焼けする。
随所に〝違和感〟が散りばめられているので、読みながらけっこう頭を使う。この描写は絶対後で効いてくるやつだな……、この台詞は後から意味がわかるんだろうな……という感じで。
で、これらの伏線が終盤で一気に収束するのかとおもいきや……。
んー……。ま、収束はするんだけどね。一応。謎の答えは説明される。
でも同時にまた新たな謎がたくさん生まれて、それに関しては明らかになるようなならないような、なんとも曖昧な形で終わってしまう。
ことわっておくけど、作者が投げっぱなしたとか、風呂敷を畳めなかったとかじゃないよ。意図してやってるんだとおもう。あえて宙ぶらりんな結末にしたというか。
ただ、ぼく個人的にはすぱっと明快な解決を期待していただけに、この結末は「うーん……。意図はわかるけど……」と、どうも煮え切らないものだった。
マジックリアリズムという手法がある。
現実と非現実の境界を意識的に曖昧にして、空想と現実を融合させるような書き方だ。森見登美彦『太陽の塔』とかがわかりやすい。
『向日葵の咲かない夏』を読んだ感想は、
「ミステリとおもって読んでいたらマジックリアリズム小説だった」
というものだ。
数学の問題だとおもって文章を読みながら解を求めていたら、突然「作者の気持ちを答えなさい」と言われたようなもので、「それなら最初からそう言ってよ!」という気になる。
まあ、現実と空想の境が判然としないってのは、ある意味リアリティがあるんだけど。
特に子どもにはその傾向がある。うちの七歳の娘なんか、嘘をついているうちに、完全にその嘘が「ほんとにあったこと」として信じこんでしまってるもん。
まあちっちゃい子の場合は嘘が稚拙だから見破れるんだけど、中には大人になっても、現実を嘘で塗りかえてしまう人がいる。総理大臣にもそんな人がいた。たぶん嘘を嘘とおもってなかったんだとおもう。
人間の記憶なんて実にあいまいだから、現実と空想の境界なんてもともとあやふやなものなのかもしれない。現実だと信じればそれが現実だよね。
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