娘が小学校に行くようになった。
宿題をチェックするのだが、感じるのは「今の小学校でちゃんとしているなあ」ということ。
たとえば、ひらがな。
書き取りの宿題が出るのだが、先生のチェックはめちゃくちゃ厳しい。
字形がちょっとでもくずれていたら「おなおし」のチェックが入る。翌日また書いてこなくてはならないのだ。
「か」という文字だと、ノートのマス目を四分割して、左上の部屋と左下の部屋の真ん中の線から出発して、右上の部屋を経由して、右下の部屋ではねて……と事細かに決められていて、少しでもずれていたら「おなおし」だ。
これだと「おなおし」の対象 |
厳しいなーとおもうけど、でもそれぐらいきっちり教えてくれるほうがいい。
しかも「きれい」「きたない」じゃなくて、「右上の部屋を通っていないからダメ」と客観的な基準に基づいて指導してくれるのがすばらしい。
ぼくが子どもの頃なんか「読めればいいじゃん」と読むことすらままならない字を書いていた(そして先生もがんばって解読してくれていた)ので、ずっと字が汚いままだった。
自然にくずれていくことはあっても自然にきれいになっていくことはないのだから、はじめは厳しく教えてくれたほうがいい。
おかげで娘は教科書体みたいなきれいな字を書くようになった。
この前、作文の宿題が出された。課題は遠足のこと。
そこでも、きちんと作文の構成を伝えられていた。
まず「遠足に行った」と全体の説明をして、「何をしたか」を時系列に沿って書いていき、「特に印象に残ったこと」を挙げ、「なぜそれが印象に残ったのか、自分はどう感じたのか」を書き、最後に「今回の遠足の印象はどうだったのか」で締めるように、と指導されているらしい。
そして最後にタイトルをつけるように、とも言われているらしい。
すばらしい。
ぼくらのときは「段落のはじめは一字下げる」とか「句読点が行の先頭に来てはいけない」といった文章を書く上での決まりごとは伝えられていたが、内容に関してはぜんぜん指導してもらった記憶がない。
「『せんせい、あのね』で書きはじめてあとはおしゃべりするように書きましょう」みたいな適当な指導だった。今考えるとろくでもねえやりかただな。指導でもなんでもない。
もちろん「まず概要を伝えて、出来事を伝えて、特に印象に残ったことを書いて……」というのは唯一の正解ではない。
他人に読ませる文章を書くなら、話のピークや違和感を与えることをあえて冒頭に持ってきたほうが惹きつけられる。
とはいえはじめて作文を書く小学一年生は基本の型通りの文章で十分だ。まずは身体の正面で両手でキャッチできるようになってから、片手で捕ったり身体をひねりながら捕球したりするものだ。
ぼくもやってしまいがちだけど、「学校の教育なんて……」といちゃもんをつける人は「自分が教育を受けたときの印象(のうち自分がおぼえている部分だけ)」で語っていることが多い。
でも、改めて学校教育を見てみると、ちゃんと進歩している。
よく「学校の体育の授業はとにかくやってみろと言うだけでテクニック的な指導をしてくれない」という話を耳にするし、ぼくも自分の体験に基づいて「ほんとそうだよね」とおもっていたけど、今の体育の授業を見ているわけではない。
三十年前の記憶に基づいて語っているだけだ。
三十年間刑務所に入っていて、昔の肩にかけるタイプの携帯電話しか知らない人が「携帯電話なんてぜんぜんダメだよ」と語っていたら滑稽でしかないだろう。
それと同じことが教育の分野ではなぜかまかりとおっている。
学校教育は変わっていないようで意外と進歩している。
昔のイメージだけで批判しないように気を付けなければ。
ま、ぼくが見ているのはサンプル数1なので、他のクラス・他の学校がどんな指導してるか知らないけど。
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