小学校一年生のとき、近所に「かー坊」という五年生のおにいちゃんがいた。
本名は川口とか川崎とかだったとおもうが、みんなからかー坊と呼ばれていた。
ぼくたち一年生も「かー坊」と呼んでいた。
かー坊はぼくたち一年生とよく遊んでくれた。
集団登校のときも、放課後も、休みの日も。
公園で、かー坊 VS ぼくたち一年生三人組 でラグビーをしたのをおぼえている。
マツナガくんがかー坊の上半身にしがみつき、ぼくがかー坊の下半身にしがみつき、その隙にエビハラくんがボールを抱えてトライを決めた。
かー坊がうちに来ていっしょにドンジャラをしたこともある。
かー坊が鼻くそをほじった手で「のび太のママの7」のパイをさわったので、ぼくらの中では「ママの7」は引くと嫌がられるハズレパイになった。
うちの母は「あの子はちっちゃい子と遊んでくれてやさしいねえ」と言っていた。
かー坊はぼくが二年生になるぐらいでどこかに引っ越していった。
すぐにぼくらはかー坊のことを忘れた。
高校生ぐらいのときに部屋の片づけをしていて、ドンジャラが出てきた。
そういやのび太のママがババ抜きのババみたいな扱いを受けていたなあ。
ひさしぶりにかー坊のことをおもいだした。
そして、不意にわかった。
ああ、そうか。
かー坊は「ちっちゃい子と遊んでくれるやさしいおにいちゃん」とおもっていたけど、ほんとは「ちっちゃい子しか遊び相手がいないおにいちゃん」だったんだと。
一年生のときはわからなかったが、自分が大きくなればわかる。
ふつう、五年生は一年生と遊ばない。
ごくたまに遊んだとしても、毎日のように遊んだりしない。
一年生の家に遊びに行ったりもしない。
だっておもしろくないもの。
同級生と遊ぶほうがずっと楽しいもの。
かー坊は、当時の言葉でいう〝知恵おくれ〟だったんだとおもう(当時は知的障害も発達障害もみんなひっくるめてそう呼ばれていた)。
だから同級生の遊び相手がいなかった。一年生と遊ぶほうが楽しかった。
当時はなんともおもわなかったことが線でつながった。
集団登校のとき、かー坊が一年生といっしょに歩いていて、他の五年生は話しながら歩いていたこと。
人前で鼻くそをほじることからもわかるように、異様にだらしなかったこと。
五年生になっても「かー坊」と若干見下したようなあだ名で呼ばれていたこと。
母の「あの子は優しいねえ」という言葉も、たぶん素直な称賛ではなかったのだろう。
でも、当時のぼくらにとってはまちがいなくかー坊は「優しいおにいちゃん」だった。
一年生三人がかりで五年生にラグビーで勝ったことからは、いろんなことを学んだ。
でもママの7に鼻くそつけたことはまだ恨んでるからな、かー坊!
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