2020年12月10日木曜日

牛のいる生活

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 父母はともに昭和三十年生まれだ。
 だが生まれ育った環境は大きく違う。

 母の父は建設省(今の国土交通省)の国家公務員だった。地方都市を転々としていたが、その暮らしは決して苦しいものではなかったようだ。
「休みの日になると父の取引先の人が来て、庭の手入れをしてくれた」
「犬が死んで悲しんでいたら、その話を聞いた父の取引先の人が犬を贈ってくれた」
など、今の時代だったら贈収賄で完全アウトな話を母から聞いたことがある。
 当時は役人に贈り物をするのはあたりまえだったようだ。

 一方の父の育ちはまったく違う。
 福井県の小さな村で育った(今は町になっているが)。農家。
「囲炉裏を囲んでごはんを食べていた」
「冬は家の中に牛を入れていた」
 といった、日本昔話みたいなエピソードを持っている。農家なので、乳牛でも肉牛でもなく役牛だ。トラクター代わりの牛。
 豪雪地帯なので冬は雪をかきわけて小学校に通い、歩いて通える距離に中学校がなかったので中学生で既に下宿をしていたそうだ。

 母が手塚治虫の漫画やアニメに夢中になっていた頃、父は中学生にして下宿をする日々。とても同じ時代を生きた人とはおもえない。

「うちは親父が農閑期に運送業をやっていたので村の中で一軒だけ電話を引いていた。それが自慢だった。村中みんなうちに電話を借りに来た」と語る父と、
「電話なんかどの家にもあった。その頃うちは子どもたちがチャンネル権争いをしていた」と語る母。

 まったく生い立ちがちがう。
 たぶん結婚当初はいろいろたいへんだっただろうな。価値観がちがいすぎて。


 父は大阪の大学に出てきて、大阪で就職した。大阪で働き、横浜や東京やカイロに単身赴任をしていた。
 今は郊外の家でPCを使いリモートワークをしている。家に牛はいない。

 幼少期と老年期でここまでちがう暮らしをしている人は、人類の歴史をふりかえってもそう多くはいないだろうな。


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