2020年12月17日木曜日

【読書感想文】女が見た性産業 / 田房 永子『男しか行けない場所に女が行ってきました』

このエントリーをはてなブックマークに追加

男しか行けない場所に女が行ってきました

田房 永子

内容(e-honより)
世の中(男社会)には驚愕(恐怖)スポットがいっぱい!エロ本の取材現場を「女目線」で覗いて気づいた「男社会」の真実。


 かつてエロ本のライター・漫画家をやっていた著者による「女から見た性風俗/男」の話。

 なんていうか、著者のもやもや感がひしひしと伝わってきた。著者自身もまだうまく整理できていないんじゃないだろうか。
 風俗産業は男に都合よくできている、それは女性を人間扱いしていない、でもそれはそれなりのニーズがある、そんな風俗産業を必要としている男がいる、必要としている女もいる、自分自身もエロ本で仕事をしていた、だから一方的に断罪はできないがでもやっぱり変じゃないか……。という苦悩がストレートにぶつけられている。

 だから著者は男にとって都合よく作られた風俗もエロ産業も否定はしない。ただ「男にとって都合のよい世界だ」という事実を指摘し、同時に「女にとって都合のよい性風俗がもっとあってもよいのではないか」という希望を書いている。


 そう考えてみると、自分が10代の頃、周りがセックスをしはじめた時、くわえ方とか握り方とか、みんな彼氏から教わっていた。女から男への施しは、まず男のほうからの「こうして欲しい」という要望からはじまるのが、習わし、ぐらいの感じだった。そして、セックスがはじめての10代の女から、男に対して「こうして欲しい」と言うなんていうのは「概念」すらなかった。まず、男のほうからフンガフンガとむしゃぶりついてきて、それに対応しながら自分の気持ちよさを探すという受動的な感じだった。そこに「演技」が存在するのは当然だ。男たちが「演技してるんじゃないか」という点にやたら心配しているのが謎だったが、それはセックスの前提として、「男の体については、男が知っている」「女の体についても、最初は男のほうが知っている」みたいな法則、いや「知っているということにしておきたい」という願望が、男側にあるからじゃないだろうか。男は特に10代後半、20代前半の頃は往々にして女に対して威張りたがるところがある。女よりも物知りで頭がよい風に振る舞いたがる。現実がそれと違う場合は、自己を改めるのではなく不機嫌になることで女側に圧力を感じさせ「すごい」と言うように誘導する。そういった特徴は男によく見られる。
 女は、男のように思春期の頃からオナニーしたり自分の性器に興味を持つことを肯定されてこなかった。そういった背景と、男の特徴と圧力により、「女の体については男のほうが知っている」かのように女も思ってしまう。セックスする前から、女の「演技」ははじまっているのである。

 ぼくもたいへんエロ本のお世話になっていたし、そこに書かれていることの八割ぐらいは真に受けていた。
「〇〇するのは女がヤりたがっているサイン!!」なんて記事を読んで本気にしていた。

 考えてみれば、性に関する知識を得る場ってものすごく限られてるんだよね。
「教科書に載っている表面的なお勉強知識」か
「エロ本に載っている眉唾話」か
「実践で得た知識」しかない。極端だ。
 先輩・友人から聞いた話だってそのそれかだし、今はエロ本じゃなくてインターネットになったんだろうけど書かれている話の信憑性は大して変わらない。基本的に「男にとって都合のよい話」であふれている。

 BLや宝塚歌劇のようにフィクションとして楽しめばいいんだけど、問題は「男にとって都合のよい話を男は信じてしまう」ことなんだよな。
 いやほんと、「電車の中で痴漢されたがっている女の見分け方」なんて記事はほんとに犯罪を誘発してる可能性あるからね。「男の願望だから」で済まされる話じゃない。

 でも昔に比べれば「女から見た性」についても語られる機会が増えた。インターネットという匿名/半匿名で語ることのできるメディアができたおかげで。
 本当に少しずつではあるけど、「性の世界の主導権を握るのは男」という状況は変わってきているのかもしれない。




〝健康な〟男たちはいつでも、自分を軸にものごとを考える。ヤリマンの話をすれば「俺もやりたい」と口に出したり、「ヤリマン=当然俺ともセックスする女」と思って行動するし、男の同性愛者の話をすれば「俺、狙われる。怖い」と露骨に怯えたりする。そこに、「他者の気持ち」「他者側の選ぶ権利」が存在することをすっ飛ばして、まず「俺」を登場させる。そのとてつもない屈託のなさに、いつも閉口させられる。理由は、「だってヤリマンじゃん」「だってゲイじゃん」のみ。
 自分が「男」という属性に所属している限り、揺るがない権利のようなものがあると彼らは感じているように、私には思える。それは彼らが小さい頃から全面的に「彼らの欲望」を肯定されてきた証しとも言えるのではないだろうか。

 なんのかんの言っても、この社会はヘテロの男を中心にできている。

〝自分が「男」という属性に所属している限り、揺るがない権利のようなものがあると彼らは感じているように、私には思える。〟
 この文章はぼくに突き刺さった。ぼく自身、まさにそうおもっていたからだ。いや、そうおもっていることにすら気づいていなかった。ほんとに無意識に享受していたから。

 べつに「男が女に欲情するのは当然のこと」と考えることはいいんだよ。生物として当然のことだし。
 でも、だったら「女が欲情するのも当然の権利」「ゲイが男に欲情するのも当然の権利」と考えなくてはならないし、自分が望まない性的願望の対象になることも受け入れなくてはならない。だけどほとんどのヘテロ男性は「それは気持ち悪い」と考える。
「若い男が性的にやんちゃするのはむしろ健全」とおもう一方で、「ぶさいくな女が色気出すんじゃねえよ」「あいつゲイなの。俺もエロい目で見られてんじゃねえのか、気持ち悪い」と考える。考えるだけでなく、ときには平然と口にする。その権利が自分たちだけにあるとおもっている。




  AVモデル(セミプロみたいな感じ)をしている女性と話したときの感想。

 かなちゃんは私ともすごく友好的に話してくれて、私も心から「いい子だな」と思ったし、もっと話してみたくなった。しかし私自身とはものすごく離れた存在だと思った。
 私はそういう人たちや現象に人一倍興味を持っているくせに、同時に警戒している人間だから、遠い。警戒は、軽蔑とも言い換えられる。尊敬も軽蔑も、「自分にはできないと認める」という意味では、同じことだと思った。
 私はかなちゃんみたいな自分の力ひとつで稼いで一人暮らししている女の子をものすごく尊敬もしてるけど、同時に軽蔑もしてるんだ、と分かった。今まで、風俗嬢やAV嬢に対して自分が持っている、蔑みと劣等感、矛盾した過剰な感情、これは尊敬と軽蔑、どっちなのだろうかという思いがあった。それが、両方であるということが分かって、「敬蔑しているんだ」と自分で認めることができて、すごくスッキリとした。

 そうなんだよ。ほとんどの人のAV女優に対する接し方って「穢れた商売をしている劣った存在」とみなすか、あるいは逆に「AV女優マジ天使、超リスペクト」みたいな感じで、いずれにせよ同等の人間と見ていない。
 ぼくらと同じように飯食って寝てクソして笑って怒って泣いて……という同じ感情を持った人間として見ていない気がする。もちろんぼくも。

 だってつらいもん。AVに出ている人たちが、自分や、友だちや、家族と同じような人間だと認めてしまうと、社会の矛盾に押しつぶされてしまいそうになるもの。どっか自分とはぜんぜん違う世界に生きている人たちだとおもいたい。

 早く精巧なフィギュアやVRが性産業の主役になって生身の人間にとってかわるといいなあ。でも性産業って女性の最後のセーフティーネットみたいになっているので、それがなくなってしまうのははたしていいことなんだろうか……。


【関連記事】

【読書感想文】売春は悪ではないのでは / 杉坂 圭介『飛田で生きる』

【読書感想文】もはやエロが目的ではない / JOJO『世界の女が僕を待っている』



 その他の読書感想文はこちら


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿