凡人として生きるということ
押井 守
つれづれなるままにつづったエッセイ。
まったくのどに引っかかることのないゼリーのような文章。ゼリーももちろん需要はあるのだけど(主にファンからの)、仮にも新書として出すのであればもうちょっと骨のある文章を書いてほしい。腹へってんのに流動食出されたら怒るぜ。
奥付を見てみたら、2008年刊行。ああ、なるほど。
この時期に出版された新書ってゴミクズが多いんだよなあ。新書がよく売れて(というか他の書籍や雑誌が売れなくなって)、なんでもかんでも新書にしていた時代だから。
ぼくは押井守という人を名前しか知らない。アニメも映画もほとんど観ないので。そんな人間にとってはまったく読む価値のない駄文だった。
個人ブログをそのまま本にした文章。
終始こんな感じ。
社会問題を斬るのに、掲げる武器はただひとつ。「己の思いこみ」のみ。
一切の根拠はない。まず「児童虐待が増えている」「近ごろの若者はセックスに興味を持たない」という前提が正しいかどうかを調べようとすらしない。
ちょっと調べればいくらでも先行調査が出てくるのに「都合のいいデータを引っ張ってくる」ことすらしない。
思いこみを出発点にして、思いこみを元に考察を重ね、思いこみで結論を下す。
重ねていうが、仮にもこれが新書として出されてるんだよ。エッセイとしてもレベルが低いとおもうが(だって論が乱暴なだけでおもしろくないんだもの)。
思いこみ、偏見、くりかえし、よく聞く話のオンパレード。全国の居酒屋で一万人のじいさんが「俺がおもうには」としゃべってる「なんら新しい切り口のないつまんない持論」みたいなのがひたすら続く。
すっかりうんざりしてしまって、後半は
「もう、おじいちゃんったらしょうがないわねえ。いつまでも昭和を引きずってちゃだめよ」
と、介護するような気持ちで読んでいました。
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