騙し絵の牙
塩田 武士(著) 大泉 洋(写真)
俳優である大泉洋さんのキャラクターをイメージして書いた「あてがき小説」なんだそうだ。
その試みが成功しているかどうかは……残念ながらぼくがドラマも映画もほとんど観ない人間なので(『水曜どうでしょう』も観たことない)、大泉洋さんのキャラクターをよく知らないんだよね。
観たのは『アフタースクール』ぐらいかな。でもあんまり印象に残ってないな。見た目から「ユーモラスな芝居をする役者さんなんだろうな」と想像するだけで……。
大泉洋氏のファンでないぼくにとって、残念ながらこの小説は「期待はずれ」だった。
いや、けっこうおもしろかったんだよ。でも読む前のハードルが上がりすぎて。
「あてがき小説」という変わった趣向、『騙し絵の牙』という挑戦的なタイトル、騙し絵になっている表紙写真。
いったいどんな仕掛けがあるのかと身構えて読んじゃうじゃない。
『騙し絵の牙』ですよ。
「今から読者であるみなさんを騙します。最後にあっと驚くこと請け合い。さあ、見破ってごらんなさい」
っていうタイトルじゃん。
『騙し絵の牙』では最後に「意外な事実」が語られるんだけど、ものすごくささやかなんだよね。
「意外といえば意外だけど、人間誰にでもそれぐらいの秘密はあるよね」
ってぐらい。ささやかー!
『騙し絵の牙』というタイトルで読者に挑戦状を叩きつけるんなら、もっとすごい仕掛けがなきゃダメでしょ。
〇〇は二人いたとか、〇〇と□□は同一人物だったとか、1章と2章は別の時代の話だったとか。
小説の内容は悪くないんだけどタイトルがダメだなー。宿野かほる『ルビンの壺が割れた』もそうだけど。
読者を欺くんならなんとかの季節にとかなんとかラブみたいなさりげないタイトルをつけなきゃ(ネタバレになるので一応自粛)。
〝仕掛け〟部分は期待はずれだったけど、雑誌編集者の仕事っぷりを書いたお仕事小説としてはおもしろかった。
綿密に取材してることがうかがえる。
ぼくは大学時代「なんとなくおもしろそうだから」という適当すぎる理由で出版社数社にエントリーした。結果は全滅。地方の出版社も含めてことごとく不採用だった。
当時は「ぼくの能力を見抜けないなんて見る目のない採用担当だ」と不満だったけど、今にしておもうと「ちゃんと見抜いていたんだな」と感じる。
ぼくにはできない仕事だわ。編集って。
まず人と話すのが苦痛だもん。一日中パソコンに向き合ってるほうがずっといい。そんな人間に編集ができるはずがない。
『騙し絵の牙』の主人公・速水は雑誌の編集長。
あっちに頭を下げ、こっちを笑わせ、そっちを励まし、あっちを持ちあげ、こっちを売りこみ、そっちから夜中に呼びだされ……。
とんでもない仕事量とその幅の広さだ。おまけに速水はコミュニケーション能力の塊のような男で、プライベートを犠牲にする仕事の鬼。部下からの人望も厚く、上からもむずかしい仕事をこなせると期待されている。
そんなスーパーマンのような男でも、出版不況には逆らえず、雑誌廃刊一歩手前で東奔西走させられる。
もう読んでいてつらい。
速水の仕事はほぼ完璧だといってもいい。それでも結果がついてこないのは「もう出版業界がだめだから」以外にない。
速水氏もわかっている。それでも必死にもがきつづける。編集が、文芸、紙媒体が好きだから。
ぼくも書店という出版業界の端くれの端くれにいた人間なのでわかる。紙の出版が今後伸びることはない。個人の努力でどうこうなる問題じゃない。
毛筆業界やそろばん業界のように趣味のものとして細々と続いていくだろうが、あと二十年もしたら市場規模は今の数分の一になっているだろう。
だから「そこであがいても無駄だよ」とおもう。局地的に勝つことはできても大勝することはない。さっさと見切りをつけて他の業界で勝負したほうがいい。速水のような優秀な人間ならどこにいってもやっていける。戦い方が悪いんじゃなくて戦う場所をまちがっているんだ。
でも速水は必死にあがく。柳のように柔軟な人間なのに、根本のところは揺るがない。傍から見ると、その根本がまちがっているのだが。
終盤、速水たち労働組合と経営陣が団体交渉をする場面がある。
編集者、イラストレーター、フォトグラファー、印刷業者、作家、読者たちのために出版文化を残そうとする労働組合と、あくまで経営を第一に考え不採算部門を切り捨てようとする経営陣。
作中では経営陣が悪者側として描かれるが、ぼくは経営側に肩入れしながら読んだ。
出版文化だなんだのといっても経営者には利益を出す責務がある。文化を守るために会社をつぶすわけにはいかない。
知恵と努力で苦難を乗り切れる可能性があるならまだしも、今の出版業界が以前の水準に戻る見込みは万に一つもない。良くてほんの少し延命させるだけだ。
どう考えたって「紙をつぶしてデジタルに舵を切る」方針は正しい。
いまさらデジタル化したってうまくいくとはおもえないが、それでも紙と心中するよりはまだ可能性がある。
これは速水の心中を吐露した文章だが、なんと青くさい感傷か。気持ちはわかるが、作家ならともかく、編集長ともあろう立場にあってこの青くささはどうだ。
会社一筋に生きてきた人なら速水に共感できるのかもしれない。
だが幾度かの転職をしてきて、これから先も「今の仕事があぶなくなったら別の業界に移ろう」とおもっているぼくとしてはまったく同情できない。
こっちは一労働者だ。業界や会社と心中する義理なんかねえぜ。
まあ速水の場合は、単なる「業界への愛着」以外にも雑誌や文芸に執着する理由があるのだが、それにしてもこの浪花節に共感できるのは、まだ終身雇用制を信じられた1960年代生まれまでじゃねえのかな。
こっちはハナからそんなもの信じてないからなー。
(とおもったが著者の塩田武士さんは1979年生まれだった。ぼくとそう変わらないのにずいぶん無邪気に会社を信じている人物を主人公にしたもんだ)
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