日本の殺人
河合 幹雄
2009年刊行とちょっと古いが(裁判員制度導入のタイミングで出版されたようだ)、じつに読みごたえがあった。
新書でここまで重厚なものは他にちょっとない。いい本だった。
ぼくらは「殺人」についてよく知っているような気になっている。
殺人事件はニュースでも大きく扱われるし、小説や映画の題材にもなりやすい。詐欺や窃盗よりもよっぽど多く耳にするテーマだ。
だが、ニュースや小説になる殺人事件はごく一部だけ。
連続殺人事件とか、残虐非道な犯人とか、センセーショナルな事件だけだ。
暴力をふるう夫に追い詰められた妻が、夫が寝ているすきに首を絞めて殺害したもののすぐに我に返って警察に通報……みたいなケースはニュースにもならないし小説の題材にもならない。
だが、日本で起こっている殺人事件の大半はそのような「ごくふつうの市民による家庭内の殺人」なのだそうだ。
なるほど。
フィクションだと「積年の恨みを晴らすために殺す」というケースが多いが、じっさいはそんな事件はほとんどない。
心の底から憎らしい人物がいれば、ふつうは「近づかない」「法的な手段に訴える」「殺害以外の手段で攻撃する」などの行動をとる。
たとえば会社の上司が憎くても、殺すぐらいならふつうは会社を辞めるし、エネルギーのある人なら裁判に訴えるかもしれない。あるいは「ぶん殴る」という手もある。殴るのはよくないが、殺すよりはマシだ。
そもそも、憎い相手に一泡吹かせたいとおもったら、殺したってつまらないよね。
こっちは生きたまま苦しむ姿を見たいんだからさ。げっへっへ。
というわけで、殺したいほど憎くて、今後もつきあっていかなきゃいけない相手というと、これはもうほとんど家族に限られる。
親が自分の人生を束縛しようとするとか、配偶者と別れたいけど相手が別れてくれないとか、年老いた親の介護が苦しすぎるとか、「こいつが死ぬか、自分の人生を捨てるか」の二択になってやむなく殺す……というパターンが多いようだ。
もちろん殺人は悪いことだが、彼らが殺人に追い込まれるには「被害者にも問題があった」「助けてくれる家族がいなかった」「行政の手が届かなかった」などの事情があることが多く、加害者自身も反省していることが多いのでニュースとしては(言い方が悪いけど)おもしろみがない。
みんな「極悪非道の殺人鬼が捕まりました。よかったね。被害者かわいそうだね」みたいなスカッと話が聞きたいのであって、「ちょっとめぐり合わせが悪かったら殺人を犯していたのはあなただったかもしれません」みたいな講釈は聞きたくないんだよね。
フィクションだと「金銭目当ての殺人」もあるが、これも現実にはほぼないそうだ。
そりゃそうだよね。
殺すぐらいなら泥棒をするほうがずっと確実だもん。捕まったときの罪も軽いし。
被害者側だって「金を出せ」と包丁を突きつけられたらふつうは金を出す。殺されたら金持っててもしかたないし。
強盗殺人なんて、殺す側にとっても殺される側にとっても割に合わない犯罪だ。
仮に強盗殺人で首尾よく金を奪っても、その金をこっそり使うのもまたむずかしいだろうしね。
殺すことが割に合わない強盗とは違い、保険金殺人は「殺さなくては金が入らない」犯罪だ。
保険金殺人には、殺すだけの正当な(倫理的にではなく論理的に)理由がある。
なるほどー。
保険金殺人を調査するのは保険会社の人なんだな。
ミステリ小説を書くなら、保険会社の調査員を主人公にしてもいいかもしれないね。私立探偵とちがって調査する理由が明確だし、刑事よりも自由に動けそうだし。
「殺人はありとあらゆる殺人の中で最も凶悪な部類。だから当然罪も重いはず」とおもっていたが、意外とそうでもないことをこの本で知った。
たとえば介護疲れから姑を殺してしまった主婦の事件。
たしかに。
介護疲れから殺してしまった人は、要介護者が死んでしまった以上、たぶんもう罪を犯さない。殺人にいたった直接的な原因がなくなったのだから。
だが、釈放してしまえば今度は自分を責めて自殺してしまう可能性もある。だから一年ほど刑務所に入れて、自殺をできないようにしながら過剰な罪の意識を癒してやる。
「刑務所=懲罰の場」というイメージだったが、救済の場でもあるわけだ。
そして、人を殺しても刑務所に入らないケースもけっこうあるのだという。
やはり家族間の殺人であれば、再犯の可能性はきわめて低い。
「社会の秩序を乱す者を塀の中に閉じこめて更生させる」という刑務所の目的からすれば、追いつめられて家族を殺してしまった人は収監の必要がないわけだ。
「人を殺してしまった」という結果は重大でも、「殺すか人生捨てるかの状態まで追いつめられたらから殺してしまった」という人は、決して凶悪な人間ではないのだ。
むしろ、振り込め詐欺とか窃盗常習犯のほうが「他人に被害を与えるとわかっていて犯罪に手を染める人間」なので、よっぽど凶悪かもしれない。
バラバラ殺人というのも、その猟奇的なイメージとは逆に、弱い人物による事件が大半だという。
そういや桐野夏生『OUT』でも、とっさに夫を殺してしまった妻たちが死体をバラバラにして処分するシーンがあった。
読んでいるときは異常な光景だとおもったが、あれは意外とリアリティのある描写だったんだなあ。
『日本の殺人』を読んでいておもうのは、快楽殺人や強盗殺人や強姦殺人のような、我々がふつうイメージする「凶悪な殺人犯」というのは殺人犯の中でも例外的な存在で、大半は平凡な市民がちょっとめぐりあわせが悪かったせいで人を殺してしまっただけなんだということ。
つまり、ぼくやあなたもちょっと状況が変わっていれば人を殺していたかもしれないってこと。
存外、殺人犯予備軍という自覚を持って生きていくことが、殺人から遠ざかる一番の方法かもしれないよ。
その他の読書感想文はこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿