2020年11月24日火曜日

駒は二度取られる

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 将棋ってさ、駒を取られたら相手のものになるじゃない。

「寝返りだ、卑怯だ」なんていう人もいるけど、駒にしたらそれがふつうだとおもうんだよね。
 主君に対して忠誠を誓う兵士なんてごく一部で、大半は金とかに釣られてどちらかについてるだけで、もっといい条件を提示されたらそっちに移るのはあたりまえだ。
 同業他社に転職しました、心機一転がんばります、ぐらいの感覚なんじゃないかな。

 だから相手陣営に加わるのはいいんだよ。
 後足で砂かけて、「前の軍の弱点とか教えますよ!」みたいな感じで新天地でがんばればいい。

 問題は、もういっぺん取られたときね。
 古巣に戻るわけじゃん。
 しかも周囲は同業他社にいたことを知ってるわけ。
 みんな口には出さないけど「どのツラ下げて戻ってこれたんだ」っておもってる。

 あれはめちゃくちゃ気恥ずかしいだろうね。
 必要以上に被害者ぶったりするのかな。
「いやー後手に無理やり連れていかれたんすけど、あっちの労働条件最悪でしたわー。やっぱり先手側がいいっすわー。よかったわー戻ってこれて」
とか聞かれてもいないのにべらべらしゃべるんだろうね。


 太平洋戦争の後シベリアで強制労働させられてた人が日本に帰国した後、「あいつはソビエト共産党のスパイなんじゃないか」という目で見られていてなかなかまっとうな仕事につけなかったという話を聞いたことがある。

 二度転籍した将棋の駒も、同じような目で見られているかもしれない。
 どれだけチームに貢献しても「あいつは前に裏切ったやつだ」「どうせまた裏切るんだろ」という評価は拭い去れない。
 どんなにがんばっても外様扱い。

 シベリア抑留者も二度取られた駒も、自分で選んだ道ではないのに、気の毒だ。
 なんなら同胞のために犠牲になったのに。


 そんな「二度転籍した駒」がいちばん輝くのは、なんといってもかつてのボスであった王将に王手をして詰ませるときだろう。
 それまでずっと「結局あいつはどっちにも転ぶやつだから」みたいな目で見ていた同僚たちが「すまなかった、おまえこそがいちばんチームのことを考えていたんだな!」と胴上げしてくれることまちがいなし。


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