2020年11月19日木曜日

手のひらメカ

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子どものころは「手のひらにおさまるメカ」に対するあこがれが強かった。

今だと携帯電話を持つのがあたりまえになったので手のひらメカにあこがれたりしないけど、ぼくが子どもの頃は手のひらメカは希少だったし、まして子どもが触ってもよい手のひらメカなんて電卓ぐらいしかなかったからとにかく夢のアイテムだった。

特にほしかったのが時計とカメラだった。


小学四年生のとき、家族で香港旅行に行った。
おみやげとして、蚤の市で目覚まし時計を買ってもらった。

パスポートぐらいのサイズで、ケースもついていて、なんつうか超かっこよかった(ボキャブラリー貧困!)。

折りたたんで持ち運びできて、拡げたら置時計になって、デジタルで、世界各地の時刻がわかって、気温計もついていて、今おもうとぜんぜん〝メカ〟ってほどじゃないんだけど、これがぼくがはじめて所有した手のひらメカだった。

目覚まし時計として使っていただけでなく、どこへ行くにも持ち運んでいた。
夏の暑い日に公園に持っていって石の上に置いてたら温度が50℃になってて仰天した。
それでも壊れなかったのだからなかなかタフな時計だった。


カメラはなかなか買えなかった。
六年生のときにフリーマーケットでプラスチックのおもちゃみたいなカメラを五百円で買った。
おもちゃとはいえ一応写真は撮れるのだが、なんとパノラマ写真しか撮れないというわけのわからんカメラだ。
パノラマ専用のフィルムが必要だし、現像・プリントも特別料金が必要。
とにかくランニングコストが高くついたので、小学生に捻出できるはずもなく、けっきょくフィルム一本分しか撮らなかった。


1996年ぐらいにたまごっちとか携帯テトリスとかが爆発的に流行った。
ぼくはたまごっちは持っていなかったが、携帯テトリスは持っていた。何かの景品でもらったのだ。

あれがあんなに流行ったのは、みんな〝手のひらメカ〟に対するあこがれを持っていたからじゃないだろうか。
冷静に考えればわざわざちっちゃい画面でやりたいほど、テトリスをやりたいわけではなかった。〝手のひらメカ〟を使いたいから携帯テトリスをやっていたのだ。

中学生のときに気に入っていた〝手のひらメカ〟は電子辞書だった。
英和・和英辞典と漢字辞典。別々の機種だった。
どちらも家電量販店で1,000円で買った。
こんなすごいものが1,000円で買えるなんて! と感動したことをおぼえている。


中高生になってからは多少使えるお金も増えたので、使い捨てカメラ(いわゆる『写ルンです』)でよく写真を撮っていた。
これはこれで楽しかったのだが、やはり「メカ」という感じはしなかった。
何しろ現像に出したら手元に残らないのだから。

はじめてちゃんとしたフィルムカメラを買ったのは、大学生になって中国に行ったときのことだ。
北京の蚤の市で(蚤の市が好きなのだ)カメラを買った。その名も『長城』。
日本円で千円ぐらいだった。当時は中国の物価は今よりずっと安かったのだ。
だがけっきょく『長城』も長くは使わなかった。
ほどなくしてデジタルカメラを買ったからだ。

このあたりから〝手のひらメカ〟は特別な存在ではなくなった。


今の子どもって〝手のひらメカ〟にあこがれるのかな。
ものごころついたときからスマホやタブレットやデジカメに囲まれて育っているからあこがれないのかな。

とおもっていたが、こないだ娘の進研ゼミの景品カタログを見ていたら「トランシーバー」があって、おおっやっぱり今の子どももトランシーバーにあこがれるのか! とうれしくなった。

いいよなあ、トランシーバー。
スマホ持っててもやっぱりあこがれるぜ。

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