2020年4月14日火曜日

【読書感想文】良くも悪くもルポルタージュ風 / 塩田 武士『罪の声』

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罪の声

塩田 武士

内容(e-honより)
京都でテーラーを営む曽根俊也。自宅で見つけた古いカセットテープを再生すると、幼いころの自分の声が。それは日本を震撼させた脅迫事件に使われた男児の声と、まったく同じものだった。一方、大日新聞の記者、阿久津英士も、この未解決事件を追い始め―。圧倒的リアリティで衝撃の「真実」を捉えた傑作。

昭和の未解決事件である「グリコ・森永事件」が題材。
作中ではいろんな配慮からだろう、「ギンガ・萬堂(ギン萬)事件」となっているが、社名や個人名以外はほとんどが「グリコ・森永事件」そのままだ。

グリコ・森永事件が起きたのは1984~85年。ぼくが乳児のころなのでもちろん記憶にはないが、昭和をふりかえるテレビ番組などで事件の概要だけは知っている。
もしかすると「グリコ・森永事件」という名前よりも「キツネ目の男」の似顔絵の方が有名かもしれない(ちなみにぼくの父は若いころはつり目だったので同僚から「おまえちゃうか」などと言われたらしい)。

『罪の声』は、「幼いころにギンガ・萬堂事件の犯人に協力したかもしれない」男性と、ギンガ・萬堂事件をふりかえる記事を書かされることになった文化部記者が、事件の真相を突きとめるという物語だ。
フィクションなのだが、ついルポルタージュを読んだような気になる。「こんな背景があったのかー」と。どこまでが史実でどこまでが作者の創作なのかわからない。それぐらい上手に嘘をついている。

ぼくは、小説のおもしろさの大部分は「いかにうまく嘘をつくか」にかかっているとおもっている。
もっともらしく細部を積み重ね、ときには大胆に読者を騙す。リアリティがなくてもいい(創作なんだからないのがあたりまえだ)。
ありそうな嘘のときはまことしやかに、なさそうな嘘のときは強気でほら話っぽく。

『罪の声』は嘘のつきかたがすごくうまかった。真実と嘘を巧みに織りまぜ、省略すべき点は省略し、読者が説明してほしいところは微細漏らさず。
まんまと嘘の世界に引きずりこまれた。


ただしルポルタージュっぽいということは、裏を返せば小説としてのケレン味に欠けるということでもある。
犯人グループを追う様子が丁寧に書かれているんだけど、正直にいって冗長だ。さして重要でもない登場人物も多いし派手な展開も意外な事実もない中盤は読むのがしんどかった。
元々グリコ・森永事件のことをよく知っている人が読んだらもうちょっとおもしろく読めるのかもしれないけど。

さっき「嘘のつきかたがすごくうまかった」と書いたけど、うますぎたのかもなあ。もっとハッタリを効かせてくれたほうが小説としてはおもしろかったとおもう。勝手な感想だけど。



ネタバレになるので詳しくは書かないが、『罪の声』では犯人が明らかになる。犯行動機も。
犯人を突きとめ、犯人が動機を語る。ふつうの推理小説ならここで終わる。

だが『罪の声』の読みどころはその先だ。
真相が明らかになっても、まきこまれた人たちの苦しみが消えるわけではない。
被害者側の人たちはまだ同情もしてもらえるし徐々に苦しみも癒えてくるかもしれない。だが加害者側は、事件が終わってからもずっと現在進行形で責められつづける。

加害者の家族になるのと被害者の家族になるの、どっちもイヤだけど、どっちかっていったら加害者側のほうがよりつらいんじゃないだろうか。
目に見えない「世間」から攻撃されつづけるのだ。誰を恨んだらいいのかわからなくなりそうだ。

『罪の声』には加害者の身内が二組出てくるが、一方は事件があったことすら知らずに平和に暮らし、もう一方は身内の起こした事件のせいで一生ずっと死ぬほどの苦しみを背負いつづける(じっさいに命を落とす者もいる)。
この対比がすごく効果的だ。おかげで、加害者家族の理不尽な苦しみがより深刻に迫ってくる。


薬丸 岳『Aではない君と』や東野 圭吾『手紙』など、加害者家族の人権をテーマに書かれた小説は多い。
こういうのを読むと「加害者の家族には何の罪もないのに!」と憤慨するのだけれど、でもいざ自分が被害者側にまわったときに、加害者の身内が幸せいっぱいに暮らしているのを許せるだろうかと考えると……。

われながら狭量で身勝手な人間だとおもうよ、つくづく。


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