浮遊霊ブラジル
津村 記久子
名盤のアルバムのような短篇集だった。
冒頭に収められている『給水塔と亀』は、久しぶりに故郷に戻った男がただ静かに新生活の準備をするだけの話で、決して悪くはないんだけどおもしろいわけでもなく、この手の志賀直哉っぽい短篇ってあんまり好みじゃないんだよなー、一篇ぐらいだったらいいけどこの感じがずっと続くのは正直退屈だなーとおもっていたのだが……。
ところが『うどん屋のジェンダー、またはコルネさん』から様相が変わってくる。
明るい店主のいるうまいうどん屋。その情景を淡々と描写していたかとおもうと、どうやら店主が明るく話しかけるのは女性に対してだけらしく、おまけに常連と新規客とでずいぶん対応が異なることに主人公が気づき……。
この不穏な感じ、すごく共感できる。
いるよね。女性にだけ優しく接する気のいいおっちゃんとか、常連客と新規客への扱いの差が大きい店主とか。
いやいいんだけど。私営企業だから好きにしたらいいんだけど。
べつにこっちだっておっさんになれなれしく話しかけてほしいわけじゃないんだけど、でもやっぱり「自分だけぞんざいに扱われる」というのは気分が悪い。
だからといって声を上げるのも、嫉妬しているようでイヤだ。
声を上げるほどイヤじゃないけど、何度も味わうのももやもやする。
「女性にだけ優しいおっちゃん」って、男からみても不快だし、たぶん当の女性から見ても気持ち悪いとおもう。
よく行く店の店主ぐらいの関係性だったら、格別に低く扱われるのイヤだけど、不当に好待遇を受けるのもイヤだ。
昔はよくあった「いつもありがとうね、安くしとくよ」「奥さん美人だからおまけしちゃお」系の個人商店が廃れたのは、贔屓されない側と贔屓される側の両方から嫌われたからじゃないかとぼくは睨んでいる。
『アイトール・ベラスコの新しい妻』は、学校でいじめられていた子、いじめられていた子と仲良くしていた子、いじめていた子、三者それぞれの人生が描かれる。
いじめられていた子が有名サッカー選手と略奪結婚したり、いじめていた子が夫の不倫に悩まされたり、わかりやすい一発逆転ではなくなんともいえない立場に置かれているのがいい。
世間には「かつていじめられていました」という告白があふれているが、「かつていじめていました」はほとんど聞かれない。いじめられていたのと同じ数だけあるはずなのに。
だからこそ小説で書く意義がある。しかしこの短篇で描かれるいじめっ子は、ちょっとわかりやすすぎるな。「わたしは弱い者を見つけて攻撃している」という自覚がある。ほんとのいじめっ子の心理ってそうじゃないとおもうんだよな。自分は悪くないとおもってるはず。だからこそ、「いじめられていた」告白と「いじめていた」告白の数がぜんぜんちがうわけで。
そして『地獄』はすごかった。
ここで描かれる地獄は比喩ではない。死んだ後に落ちる、文字通りの地獄だ。
こんな感じで地獄での生活がひたすら描写される。
やけに生々しくて、けれどところどころぶっとんだ発想が混じっていて、上質のコントのようでおもしろい。
地獄なのにやけに現世っぽい。いや、現世こそが地獄なのか。
落語の『地獄八景亡者戯』のようなスケールの大きな地獄話だった。
『運命』『個性』はちょっと概念的過ぎて個人的に性に合わなかった。
『浮遊霊ブラジル』もまた死後の世界。
アイルランド旅行を楽しみにしていた男性が、旅行の直前に死んでしまう。
アイルランドに行かないと成仏できないので出かけようとするが、乗り物はすり抜けてしまうので飛行機にも船にも乗れない。
だが他人の中に入れることを発見し、アイルランドに行きそうな人を探しているうちになぜかブラジルへ行ってしまい……。
これもドタバタコントのような味わい。
津村記久子さんの小説ははじめて読んだが、〝自由な小説〟という感じがしてなかなかよかった。
おとなしい幕開けから徐々に盛りあがってきて、実験的な短篇が並び、最後は集大成のような壮大なストーリー。
うん、ほんといいアルバムのような短篇集だった。
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