ぼくの通っていた中学校には「男子は制帽をかぶること」という校則があった。
ダサいし、夏は暑いし、汗を吸ってくさいし、セットした髪型はくずれるし、いいことなどひとつもない制帽。
当然ながら生徒からの評判は最悪。
だが校則は校則なので、(少なくとも教師の前では)みんなかぶっていた。
ひとつ上の学年に、Kというまじめな生徒がいた。
Kは生徒会選挙で風紀委員長に立候補した。公約は「制帽の自由化」。
彼はめでたく風紀委員長に当選し、公約を実現するため学校側と交渉を重ねた。制帽があるのは市内でもうちの学校だけです、規律と制帽に関係がないじゃないですか、無意味なルールは変えていくべきでしょう、と。
学校側もKの熱意に心を動かされたらしい。
だからといって「じゃあ校則を改正します」とあっさり認めてしまうのも教師としては示しがつかない。
「じゃあ制服もやめてください」「じゃあ髪の色も自由に」とどんどん規則が緩んでいけば風紀が乱れる、という懸念もあった。
そこで学校側が出した条件は「校則違反が大きく減れば制帽は廃止しよう」。
学校からの条件を引きだした風紀委員長・Kは生徒全員に働きかけた。
「規則を緩めても風紀は乱れないと教師から信用してもらうために今は耐えようじゃないか」
ヤンキーたちの反発もありながらも、Kの活動の甲斐あって、校則違反は減少した。
そして数か月後。朝礼で、偏屈な校長は言った。
「風紀委員長のKくんを筆頭に、みんなよくがんばってくれた。校則違反は大きく減少した。約束通り制帽は自由化しよう」
わっとみんな喜んだ。
だが三年生だけは複雑な顔をしていた。なぜなら校長が制帽自由化を宣言したのは二月。
三年生がその恩恵にあずかれるのはたった一ヶ月だけ。
おれたちはここまで我慢したのになんで後輩ばっかり……そうおもった三年生も少なくなかっただろう。
ちなみに制帽自由化に向けて尽力していた風紀委員長Kも三年生。彼もまた、自由化の恩恵にはほとんどあずかれないまま卒業していった。
さて、Kの一学年下にたいへんへそまがりな男子生徒がいた。ぼくだ。
ぼくは制帽自由化が施行された日以降も、制帽をかぶって登下校した。
「自由化ってことは、かぶらない自由もあるしかぶる自由もあるってことだろ」と言って。
もちろん制帽をかぶっているのはぼくひとり。
友人からは「おまえなんで制帽かぶってるんだよ」と冷やかされ、教師からも「もうかぶらなくてもええんやで」と言われながらも、「人とちがうことをしたい」という一心でいかぶりつづけた。
その春入学した一年生にいたっては制帽の存在すら知らないわけだから「なんであの人だけ変な帽子かぶってるのに許されてるんだろ?」とおもっていたにちがいない。
後で聞いた話では「あの人は投薬の副作用で髪の毛が抜けているのだ」という噂まで流れていたらしい。
ある日、社会科教師のテシマ先生がみんなの前でぼくのことを褒めた。
「彼はひとりだけ制帽をかぶりつづけている。この姿勢はすばらしい。制帽をかぶらないことも新しく手にした権利なら、かぶることも権利。彼は権利を正しく行使し、権利を主張している。かぶりたいとおもったら、たとえ学校にひとりであっても実行する。周囲に流されない姿勢はすばらしい」
と。
いや先生、ぼくも制帽をかぶりたいわけじゃないんです、暑いしダサいからほんとは嫌いなんです、ただひねくれものなだけなんです、学校にひとりであっても実行してるんじゃなくて学校にひとりだから実行してるだけなんです、権利とかどうでもいいんです……とは言えなかった。
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