延長戦に入りました
奥田 英朗
書かれたのは著者が作家デビューする前ということで、1990年代の話が中心。
古いんだけど、ぼくからしたら最近はスポーツをほとんど観なくなったので古い話のほうがわかりやすい
とはいえ、この四半世紀で世の中の価値観はずいぶん変わった。
この本を2020年の感覚で読むと
「これは完全にセクハラだ」
「うわあこれは国際問題になりかねない」
「これがユーモアのつもりなのか。多様性を認められない人だなあ」
みたいな表現であふれかえっている。
昔の発言を今の価値観で断罪しようとはおもわないけど、「世の中の価値観って変わっていないようでけっこう変わってるんだなあ」と感じる。
昔は「冗談と言えば許されたこと」が今では「冗談でも言っちゃいけないこと」になってる。
社会全体としてみたらまちがいなくいいことだよね。
誰かが傷つくようなことは言っちゃだめですよ、ってなるのは。
でも「大きな声では言えないけど」という枕詞付きで“みんなうすうすおもってるけど大っぴらには言えないこと”を話すのは楽しい。
ぼくも友人同士ではよくやる。インターネットの網にはとても乗せられないような不謹慎な冗談を口にする。
『延長戦に入りました』は、そんな「酒の席のバカ話」として読むのが正しい。
男女平等とか多様性とかポリティカルコレクトネスとか考えずに読むと、すごく楽しい。
柔道の判定勝ちについて。
たしかにいわれてみれば、日本生まれのスポーツで得点を競うゲームってないなあ。
相撲、柔道、剣道、空手、駅伝……。みんな得点は競わない。得点を競うのはゲートボールぐらいか。
相撲のルールはシンプルだけど、大相撲の番付はかなり恣意的なものだしね。番付上位になるほど、勝敗以外に「勝ちっぷり」とか「品格」とかが求められるし。
剣道なんかわかりやすそうで、知らない人からしたら「何それ?」みたいな決まりだらけだよね。
たとえば剣道試合・審判規則第12条にはこうある。
すごい。剣道やってない人間からしたら意味のわからないことだらけだ。
「充実した気勢」も「適正な姿勢」も「刃筋正しく」も「残心あるもの」も全部主観じゃん(だいたい竹刀に刃筋があんのかよ)。
これは規則じゃなくて心構えとか訓示とか志とかに属するものだろ。
これがルールとして成り立つなら六法全書も「悪いことをしたら適正な処分を下す」の一行で済んでしまう。
あいまいなものを白黒つけずに残しておく、ってのは日本的でぼく個人としてはけっこう好きだ。
法律なんかも条文で事細かに決めずに判例で決めるほうが使いやすいっていうしね。
ただ国際スポーツとしてやっていくには不向きなので、柔道の国際化・オリンピック競技化は失敗だったんじゃないかとおもうな。
バカ話にまぎれて、ときどき「たしかにそうかもしれない」と膝を打つような説もある。
「出席番号の早い人は短時間で心の準備を整えることに慣れているので野球のトップバッターに向いている」
とか
「背面跳びはクッションありきのプレーなので、じっさいに高い壁を跳びこえるようなときには自己ベストが低くてもベリーロール派の人のほうが信用できる」
とか。
1996年から高校野球の甲子園大会で女子マネージャーがベンチ入りできるようになったが、その件について。
これはもちろん根拠のない憶測なのだが、当たらずとも遠からずという感じがする。
少し前に、新聞に「毎日選手のためにおにぎりを大量に握ったりユニフォームを洗濯したりしてがんばっている女子マネージャー」みたいな記事が載って、その記事は彼女に好意的な文章で書かれていたのだが、「自己犠牲を美化するのは気持ち悪い」「男尊女卑が根底にある」「戦時中みたいだ」「女子学生に“おかあさん”の役割を担わせるな」みたいな批判的なコメントがネット上にあふれていた。
いや、それはちがうでしょ。
もちろん女子学生が強制的に連行されておにぎりを握らされたりユニフォームを洗濯させられたりしてたら大問題だ。
でも彼女は好きでやってるのだ。
「男子部員に献身的に尽くす私」が好きなのだ。タカラヅカに入れあげて贔屓のタカラジェンヌにせっせとプレゼントを貢いでいるファンといっしょだ。
それを「いやそんなのはおかしい。彼女は間違った思想を植えつけられている。教育が悪いのだ」と言うのは、「女は男に尽くすものだと教育しなければならない」というのと、根底にある考え方は同一だ。「価値観は一様であるべきでそれ以外は間違った考え方だ」という発想だ。
「結婚したら妻は夫の苗字を名乗らなければならない」というのも封建的な考えなら、「結婚したら夫婦は別々の姓を名乗らなくてはならない」というのもまた(今の日本においては)同じぐらい乱暴な考えだ。
高校生活の大半を野球部員に捧げる女子学生がいたっていいし、逆に女子に尽くす男子学生がいたっていい。
でも、「自分から見たら不合理としかおもえないこと」をする自由を許せない人はけっこう多い。
女子マネージャーのベンチ入りってのは、そういう人対策なのかもなあ。
ほんのちょっぴりだけ前線に引っ張り上げて「彼女たちも10番目の選手なんです。決して男子の後方支援に甘んじているわけではないですよ」と弁明するための。
嘘だって誰もが気づいているけど。
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