2020年6月23日火曜日

【読書感想文】作家になるしかなかった人 / 鈴木 光司・花村 萬月・姫野 カオルコ・馳 星周 『作家ってどうよ?』

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作家ってどうよ?

鈴木 光司  花村 萬月  姫野 カオルコ  馳 星周

内容(e-honより)
鈴木光司、馳星周、花村萬月、姫野カオルコ。四人の人気小説家が語る“作家の打ち明け話”。「“カンヅメ”ってつらいの?」「休日は何をして過ごしてる?」「本が一冊出ると、どのくらいお金が入ってくるの?」「“直木賞待ち”って、どんな感じ?」「文学賞の賞金は何に使うの?」などなど、ここでしか読めない赤裸々トーク。一見華やかそうに見える「作家業」も、いろいろ大変なようで…。作家志望者必読のエッセイ集。
2004年刊行。
当時の人気作家たちによる「作家」についてのエッセイ。
2004年の鈴木光司さんなんて、『リング』シリーズの映画化などでウハウハの時期だったはず。
当代きっての売れっ子、という勢いの良さがエッセイからも伝わってくる。
まあ正直今はあんまり名前をお見かけしないけど……。ぼくが知らないだけかな……。

この本を読んでいるタイミングで、馳星周さんが2020年下半期の直木賞候補に選出されたというニュースを目にした。なんと七回目のノミネートだとか。

この本にも『夜光虫』で直木賞にノミネートされながら落選したエピソードが書かれているが、なかなかしんどいものらしい(本人が、というより周囲が落胆するのがつらいそうだ)。
部外者からすると、もう五回ノミネートされたら数え役満で受賞扱いでいいじゃないか、とおもうんだけど。

ちなみにぼくは四人とも、ほとんど作品を読んだことがない。
鈴木光司さんはなにかのアンソロジーで短篇を読んだことあったような気がするけど……。



「作家」に関するエッセイ集とあるけど、要は雑多な身辺エッセイ。
趣味とか好きな食べ物とか好きな音楽とかについて書いている。

以下は姫野カオルコさんの文章。
 やがて一人暮らしをしている時に、郵便局の通信販売で地方の名産品が買えるというのを発見しました。さっそくたらば蟹一キロを申し込み。確か七二○○円でした。それが箱に入ってやって来まして、食べる計画をした夜は、まずお昼を手短に済ませ、ジョギングをして程よくお腹を減らしました。いよいよ蟹を食べるにあたり、一部はポン酢で一部は焼いて、最後の一部は鍋、というふうに準備をいたしました。
 そして全ての準備が調ったら、電話を留守電にして誰にも邪魔されないように蟹に取りかかりました。シーンとした邪魔者のいない部屋で蟹を心行くまで口に含んで呑み込む時、蟹のあの白い淡白な、ちょっと素っ気ないような熱のない身が、ツルンと喉を落ち込んでいく……それを一人で何度も何度も繰り返しながら、やがてじわーって涙が出てくるんですよ、おいしくて。ああ、大人になってよかった。一人で蟹を全部食べられてよかった。
 皆さんの中には「おばさんになるの嫌だな、大人になるの嫌だな」と思っている若い人がいるかもしれませんが、いえいえ、大人になったら楽しいことばかり。大人になった時のほうが蟹がおいしく味わえます。蟹、大好きです。
ぜんぜんおもしろくないんだけど、その「どうってことなさ」が逆に新鮮だった。
今、なかなかこういう「発見も新しさもオチもない」文章って読めない気がする。
いや、もちろん読もうとおもえばいくらでも読めるんだけど。
このブログなんてまさにその典型なんだけど。

でもわざわざ読まないでしょ。
ネット上に山のように「話題の情報」や「役に立つ情報」や「短時間で読めるおもしろコンテンツ」がある中で、よく知らない人が書いた「わたしの好きな食べ物の話」なんて。
もっとおもしろいものがいっぱいあるんだもの。

でもほんの二十年前まではお金出してこういう文章を読んでいたんだよなあ、とずいぶん懐かしくなった。
「刺激の少ない文章」も、たまに読むには悪くない。



あと、「思想の古さ」が味わえるのもおもしろい。

「自分探しをしても自分なんて見つからない。自分探しをしている自分こそが本当の自分だ」
とか
「携帯電話でずっとつながってなきゃ不安になるような関係なんてむなしくない?」
とか。

ふるっ! と声を上げてしまう。
2020年の今、こんなことをドヤ顔で言う人なんて誰もいない。
とっくの昔にみんなが通りすぎた議論だ。

2005年はこんなのが「切れ味鋭い意見」だったのかなーとおもってなんだか逆に新鮮。

五十年前の体操選手の映像とか見ると「えっ、こんな低レベルでオリンピック出られたの!?」とびっくりするけど、その感覚に近い。

時代って変わってないようでちゃんと進んでるんだなあ。



花村萬月さんのエッセイだけは、他の三人とは一線を画していて素直に興味深かった。
 そうしたらその時に、愛用している“洩瓶(しびん)”が見つかってしまいまして(笑)。もうバレてるので恥さらしで言ってしまいますが、それはカッコ良く言えば、執筆のときにトイレに行くのがめんどくさいので、そのままジャーっとしちゃうっていう物なんですけれども、本音を言えば寝てる時もそれを使ってて、ベッドに上半身を起こして跪いてやってました。洩瓶といってもちゃんとした洩瓶じゃなくて、イトーヨーカドーで買ってきた漬物を漬けるような容器か何かなんです。いろいろ試行錯誤したんだけど洩瓶に一番いいのはやっぱり口が広いことで、見栄張るわけじゃないんですけど、起きてる時は割とどうにでもなるんですけど、寝てる時はちょっと固くなってたりして上を向いてたりするわけですよ。そうすると、初期の頃はペットボトルにジョーっとしてたんですが上を向いているとペットボトルのあの狭い口とは相性が非常に悪くて、つまりペットボトルの口を下に向けて本体を上に向けると逆流してくるということで、それは不可能だと。自分を無理やりひん曲げてしなきゃなりません。口が大きければ大きいほど融通が利くので、その漬物容器みたいな物にしてるんです。
 そんなのが見つかってしまって、まあ業界ではうまく誤解してくれて「あいつは執筆に集中するあまりトイレ行く時間も惜しんで仕事をしてる」と(笑)。でもそんなことはなくて日常でもベッドの脇にもそれがあるし、テレビ見てる時にも椅子の脇にそれがあるし。つまり、単純にトイレに立つのがだるいというだけなんです。
ううむ、クレイジー。
無頼派というかなんというか。
西村賢太さんと同じ人種のにおいがするなあ。
そういや花村萬月さんも西村賢太さんも中卒だ。

作家って、ずっと作家にあこがれていてなった人が多いとおもうけど、花村萬月さんとか西村賢太さんはそうじゃないんだよね。
他の道でまともに生きていけなかった、作家しかなれるものがなかった、作家になっていなかったらホームレスになるか犯罪者になるかしかなかった、っていう人たちなんだよね。

かっこいいなあ。
絶対にこうはなりたくないけど。
だからこそ、あこがれる。

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