2020年6月24日水曜日

【読書感想文】叙述トリックものとして有名になりすぎたせいで / 筒井 康隆『ロートレック荘事件』

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ロートレック荘事件

筒井 康隆

内容(e-honより)
夏の終わり、郊外の瀟洒な洋館に将来を約束された青年たちと美貌の娘たちが集まった。ロートレックの作品に彩られ、優雅な数日間のバカンスが始まったかに見えたのだが…。二発の銃声が惨劇の始まりを告げた。一人また一人、美女が殺される。邸内の人間の犯行か?アリバイを持たぬ者は?動機は?推理小説史上初のトリックが読者を迷宮へと誘う。前人未到のメタ・ミステリー。

<ネタバレあり>


叙述トリックものの話になると必ずといっていいほど名前の挙がる『ロートレック荘事件』。

正直、その前評判と“叙述トリック”という前提知識のせいで、「期待外れ」というのが正直な感想だ。

叙述トリックミステリというやつをいくつも読んできた。
ナントカラブとかナントカの季節とかナントカ男とかナントカにいたるナントカとか。
その後で『ロートレック荘事件』を読むと、「なんでこれが評価高いんだ?」とふしぎにおもう。

とはいえそれは今だからこその感想であり、発表当時(1990年)には『ロートレック荘事件』のトリックはたいへん斬新だったのだろう。
(さっき一部だけ挙げた叙述トリックミステリたちも『ロートレック荘事件』以後の作品だ)



ということで、ミステリ史を語る上では欠かせない作品なんだろうけど(そしてそれを書いたのがSF作家の筒井康隆氏というところがまたすごい)、残念ながら2020年のミステリファンを納得させられる作品ではない。

叙述トリックを読んだことのある読者なら、けっこう早い段階でタネがわかっちゃうんだよね。

一人称小説、同じ人物に対する呼び名が変わる(苗字で呼ばれたり下の名前で呼ばれたり「画伯」と呼ばれたりする)、誰の発言か明記されていない台詞が多い、そろっていない章タイトルなど、あからさまにあやしいことだらけ。

これで「この“おれ”とこの“おれ”は同一人物ではないな」と気づかないわけがない。

それだけでも2020年の読者にとっては野暮ったいのに、さらにクサいのがタネ明かしパート。

「ほらほら。じつはこれも伏線だったんやで」
「ここの記述は〇〇とおもったやろ? じつは××やねんで」
「ここは語り手が入れ替わっていたんでしたー。どやっ」
みたいな説明がくどくどと続く。
これがもう寒くて見ていられない。

昨今は「たった一行ですべてをひっくりかえす」みたいなスマートなミステリがたくさんあるからなあ。

まあこの泥臭さも筒井康隆氏らしいといえばらしいんだけど。
ミステリ作家ではない人のミステリ、って感じだな。



ってことで、ミステリとしてはイマイチ(あくまで今読むと、の話ね)。

でも小説としてはけっこう好きだった。
犯人が判明してからの、ラストの意外な事実とやるせないエンディングはしびれた。

身体障碍者ならではの卑屈さ、かわいさあまって憎さ百倍といった複雑な心境などは、表現のタブーに挑戦しつづけてきた筒井康隆氏ならでは。
障碍者を犯人に据える、しかも犯行動機にも障碍が深くかかわってくる……となると書くのに腰が引けてしまいそうなものだけど、ネガティブな部分をしっかり書ききっているのはさすが。

あと、いとこ同士の「他人でありながら一心同体に近い関係」という設定もうまいね。
この関係だからこそ、「相手のことを我が事のように書く」ミスリードが不自然でない。

とはいえ、「いとこが自分から離れるのがイヤだから」という理由でいとこと結婚しそうな女性を殺していくのはさすがに動機として無理があるやろ……。
無限に殺しつづけなあかんやん……。
いとこのほうも、いくら贖罪の気持ちがあっても自分の婚約者を殺した人物をかばおうという気になるだろうか……。


ということで、叙述トリックものとして有名になりすぎてしまったこともあって犯人当てミステリとして読むと賞味期限切れ感は否めないけど、心情の揺れや人間関係を描いた小説としては今読んでも十分楽しめる小説でした。

あ、随所に掲載されているロートレックの絵画がなにかのカギかとおもったら、ぜんぜんそんなことなかった。
小説にわざわざ絵を載せるんだからぜったい意味があるとおもうじゃないか……。
なんだったんだあれは……。

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