2020年6月18日木曜日

【読書感想文】字幕は翻訳にあらず / 清水 俊二『映画字幕の作り方教えます』

このエントリーをはてなブックマークに追加

映画字幕の作り方教えます

清水 俊二

内容(e-honより)
映画字幕作り57年、その数なんと2千本に及ぶ斯界の第一人者が語る草創期の苦心から、最近の「フルメタルジャケット」事件まで。字幕翻訳の秘訣は「正しく、こなれた日本語と、雑学への限りない好奇心」と説く著者が明かす名訳、誤訳、珍訳の数々。63年5月、急逝した著者が遺した映画ファン必読の書。

戦前から洋画の字幕(スーパー)を作ってきたという字幕のスペシャリストのエッセイ。
(この本の刊行は1988年。本の説明文に「63年5月、急逝」とあるのは昭和63年ね)

日本で一、二を争う有名な翻訳家といえば戸田奈津子氏だが、その戸田奈津子氏の師匠筋にあたる人らしい。

字幕作りのうんちく二割、老人のとりとめのない思い出話が八割という内容。
思い出話の部分は著者本人に興味のある人以外は退屈きわまりない内容だったので飛ばし読みしたけど、字幕作りにまつわるエピソードはわりとおもしろかった。

映画産業は衰退しているらしいが、インターネットで手軽に動画を観られるようになって、海外の動画を目にする機会は増えた。
その中には字幕のついているものも多い。

機械翻訳の精度はどんどん上がっているが、字幕は当分AIにはつくれなさそう。
今後、字幕を作れる人の価値は上がっていくかもしれない(というか翻訳者が流れこむのかな?)。



字幕作りはふつうの翻訳とはまったく別物なんだそうだ。
「スーパー字幕という奇妙なものについて」という短い文章を映画ペンクラブのパンフレットに書いたことがある。「諸君!」という雑誌に立花隆君が『地獄の黙示録』のスーパー字幕が誤訳であると書いたのに答えたものだ。
 ウィラード大尉がカーツ大佐討伐に向かうとき、大佐がどういう人物であるかという説明をうける。その説明のなかに“His method is unsound.”という文句が出てくる。スーパー字幕ではこれが、“行動が異常だ”となっている。立花君によるとこれは誤訳で、“方法が不健全だ”でなければならないという。
 たしかに“方法が不健全だ”のほうが訳文としては正確だが、あの場合は、“行動が異常だ”とするほうがはるかにわかりやすい。“方法”というのがどういうことか、すぐ頭に入ってこないし、“不健全”も話しことばとして適当でない。たとえ瞬間的にでも観客に意味を考えせるようでは、字幕として落第である。次々に現れて消える字幕が抵抗なく頭の中を通りすぎていかないと、鑑賞が妨げられる。ポイントはことばの選択で、これは経験によって身につけるほかはない。
たしかに「方法が不健全だ」のほうが正確だけど、これでは意味が分からんよね。

おまけに字幕が出るのは数秒だけ。
その数秒で読んで意味を理解しないといけないわけだから、正確さよりもわかりやすさのほうが大事だ。

表示される文字数、秒数、前後の文脈、文化の違いなどを考慮に入れて、「映画のストーリーがすっと頭に入ってくる日本語」をつくるのが字幕作りなのだ。
目的は言葉の意味をそのまま伝えることではない。


この本には、いくつか字幕作文の例が紹介されている。
たとえば『そして誰もいなくなった』の台詞。
I'm sorry sir, Mr. Owen will be here for dinner.
直訳すれば
「申し訳ございません。オーウェンさんは夕食のときにここに来ます」
といったところか。

だが映画字幕として観客が読める時間を考えると、文字数は11文字から13文字におさめないといけない。
おまけに「執事が客から館の主人について尋ねられての返答」という文脈を考えると、それにふさわしい言葉遣いをしなければならない。

著者は「オーウェン様はご夕食の時に。」と訳したそうだ。
なるほどー。

改めて考えると、映画字幕には主語や述語の省略が多いよね。

「戸田奈津子さんの字幕は誤訳が多い!」と聞いたことがあるけど、わざと元の意味とはぜんぜん異なる訳にしていることも多いんだろうね。
字数制限があるとか、一瞬で意味をとれないとか、制作された国の文化を知らないと伝わらないとか、その他諸々の理由で。

字幕作りという作業は、翻訳半分、創作半分ぐらいなのかもしれない。

今度から字幕映画を観るときには、「この字幕をつくるのにどんな苦労があったのだろう」と気になってしまいそうだ。



『フルメタル・ジャケット』のエピソードはおもしろかったな。

『フルメタル・ジャケット』の字幕は戸田奈津子さんが担当することになっていたのだが、スタンリー・キューブリック監督自らが日本語字幕をチェックして、急遽担当者変更になったのだそうだ。
 キューブリック監督がこの英訳を受けとってからのチェックがこれまた念がいっている。スーパー字幕をつくるために、こんな作業が行われたことは映画が始まって以来、いままで聞いたことがない。
 キューブリック監督はまず戸田奈津子君の第一稿を全部ローマ字に書き直させ、国会図書館の日本人館員に来てもらって、日本から送られてきた英訳とくらべて、一枚ずつ、英文のせりふがどう訳されているか、せりふがまったく変えられているが日本語のニュアンスはどうなのかなどを検討した。とにかく、一二〇〇枚検討するのだから、気の遠くなるような作業である。
 みなさんごぞんじのとおり、日本語スーパー字幕はもとの英語のせりふの二分の一から三分の一の長さであるのが普通であるから、原文のせりふの一節が抜けている場合もある。ときには原文とまったく違う表現の日本語で原文の意味を伝えている場合もある。このへんはスーパー字幕屋の腕の見せどころなのだ。キューブリック監督はこれがお気に召さなかった。原文にもっと忠実に、せりふの英文のとおりに翻訳して欲しい」と申し送ってきた。戸田君は「そんな字幕をつくったら、お客が読み切れないのが四、五百枚はある。こんどはお客から文句が出る」といっている。そのとおりである。

(中略)

 キューブリック監督がもっとも頭にきたのは“四文字語”が全部、そのままの日本語になっていないことだった。
 たとえば、こんなせりふである。
「ケツの穴でミルクを飲むまでシゴキ倒す!」
「汐吹き女王・メアリーを指で昇天させた……」
「セイウチのケツに頭つっこんでおっ死んじまえ!」
 とにかく、ワーナー・ブラザース日本支社はキューブリック監督から日本語字幕を原文にもっと忠実に、全部作り直せ、と指示されたのでは、何とかしなければ映画を公開できない。予定されていた昨年秋の公開予定を延期して、日本語スーパー字幕の第二稿を作成することになった。

すげえなこのこだわり……。
いくらこだわりのある監督でも、ふつうは他の国で上映されるときの字幕なんか気にしないだろ……。
キューブリック監督はまったくわからない日本語字幕まで再翻訳させてチェックしたのだそうだ。

ちなみにこの文章にある“四文字語”というのは、英語の卑猥なスラングのこと。「FUCK」とかね。

きっと戸田奈津子さんの字幕は上品すぎたのだろう。

『フルメタル・ジャケット』は観たことないけど、友人から
「軍曹が新兵を罵倒しまくるシーンがすごい!」
と聞いたことがある。

【台詞・言葉】ハートマン先任軍曹による新兵罵倒シーン全セリフ

↑ こんなものがあったので、『フルメタル・ジャケット』未見の人はぜひ見てほしい。

なるほど……。
たしかにこれはすごい……。
ふつうの字幕だったらこの強烈なインパクトは失われるな……。

『フルメタル・ジャケット』観てみたくなった……。

【関連記事】

【読書感想文】骨の髄まで翻訳家 / 鴻巣 友季子『全身翻訳家』

外国語スキルの価値



 その他の読書感想文はこちら


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿