アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した
潜入・最低賃金労働の現場
ジェームズ・ブラッドワース(著) 濱野大道(訳)
以前、吉野 太喜『平成の通信簿』を読んで(→感想)、
「日本ってほんと没落したんだなあ」
と感じた。
実感もあったし、データを見ても平均的な日本人の暮らしが貧しくなっている数字ばかり。
かつては世界ナンバー2の経済規模にまで昇りつめただけに、その凋落っぷりを情けなく感じた。
だが世界の覇権的ポジションから没落した国は日本だけでない。
ローマだって中国だってモンゴルだってポルトガルだって、かつては世界一といっていいほど栄華を極めた国だった(中国はまたトップに返り咲きそうではあるけど)。
しかしおごれる平家は久しからず。どこも栄枯盛衰をくりかえしてゆく。アメリカだって百年後も今のポジションに踏みとどまっていられるかあやしいものだ。
そんな没落国家の中でも、いちばん日本のお手本になりそうなのがイギリスだ。
20世紀半ばまでは世界トップクラスの大国でありながら、1960年代以降は相次ぐ経済政策の失敗により「英国病」「ヨーロッパの病人」などさんざんな扱いを受けた。
サッチャー以降、国全体の経済は少しマシになったが、失業者の増加、移民の増加、EU加盟そして離脱、それらによる国民間の分断など、人々の暮らしは以前より悪くなったかもしれない。
ブレイディ みかこ『労働者階級の反乱 ~地べたから見た英国EU離脱~』にこんな記述があった。
伝統的なイギリス人(白人)たちが、自分たちの生活が悪くなったのは〇〇のせいだ(〇〇には移民や生活保護受給者が入る)とバッシングをおこない、富の再分配につながる政策を支持しない。本来ならその政策によって自分たちも恩恵を受けられるのに。
「自分が100円得しても移民が200円得するような政策はいやだ!」というわけだ。
かくして貧富の差はどんどん拡大し、労働者階級の暮らしはますます悪くなってゆく。
……まるで日本と同じだ。
リベラル派を目の敵にし、生活保護受給者やワーキングプアを非難し、消費税増税、高額所得税の減税、法人税優遇を掲げる政党を支持する。
それを金持ちがやるならわかる。金持ち優遇政策をとってくれたほうが得するもの。
ところが、決して裕福とはいえない層までもがすっとするために自分より貧しいものを叩く。
それが自分自身の首を絞めていることに気づかない。
どこの国も同じなんだなあ。
だからこそ、イギリスの姿から日本は学ぶことが多いはず。
著者は、ライターという素性を隠しながら(ときに明かしながら)、Amazonの倉庫、ホームレス、訪問介護の派遣会社、コールセンター、Uberのドライバーなどで働きながら貧困層の暮らしを体験してゆく。
少し前に日本でも横田増生氏というジャーナリストがユニクロで1年働いてその潜入ルポを発表して話題になった。
時期としては『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』よりも横田増生氏のユニクロ潜入ルポ発表のほうが早いので、もしかしたらジェームズ・ブラッドワース氏は横田増生氏のルポを知って真似たのかもしれない(そのあたりの記述はこの本にはなし)。
いわゆるワーキングプア(または失業者)の暮らしを身をもって味わい、厳しい状況に置かれた人々の声をありのまま記し、ときにデータも示しながら、その生活を描く。
たぶん、そこそこ裕福をしている人はまったく知らない、知ろうともしない生活だ。
Amazon潜入の章より。
まさに非人道的な扱いだ。
人を人とも思わない、という言葉がしっくりくる。
Amazonのイギリス倉庫で働く労働者の多くは東欧からの移民などだという。過酷すぎる労働環境のせいでイギリス人はすぐにやめてしまうからだ。
これを読んで「Amazonはひどい会社だ!」と腹を立てるのはかんたんだ。
だが真の問題は、Amazonの労働環境が悪いことそのものより、それでもAmazonで働かざるをえない人たちがたくさんいるということだ。
他にいい仕事がたくさんあれば、誰もこんな労働環境で働かない。
Amazonだって首に縄をつけて労働者を集めてきているわけではない。みんな、自分の意志でAmazonに入り、自分の意志で働きつづけることを選んでいるのだ。
前にも書いたが、技術の発展によって「誰にでもできるかんたんな仕事」は減ってきている。
誰にでもできる仕事
そうはいっても誰もが「特別な知識や技能を要する仕事」ができるわけではない。
なのに今でも働かないと食っていけない。
働かなきゃいけない、働く意欲もある、なのに仕事がない。
だからどんなブラック企業でもやめるわけにはいかない。
Amazon一社の問題ではなく、もっと大きな問題だ。
「ブラック企業」という言葉がすっかり定着した。
昨今は「ブラック企業大賞」なんて不名誉な賞もある。
ブラック企業として名高い企業も多い。
しかし問題はその有名なブラック企業が、なんだかんだいってうまいこと商売を続けているということだ。うまいこといっているからこそ目立って批判されるのだ(つぶれたブラック企業はブラック企業大賞に選ばれない)。
アパレルU社も広告代理店D社もコンビニS社も儲かってる。入社希望者がまったくいなくなったという話も聞かない。
なんだかんだ言いながらブラック企業を利用する客も跡を絶たない(ぼくも利用する)。
結局、過酷な労働環境はその企業だけを批判してもなくならないのだ。
誰だって、自社の従業員をいじめたいわけではない(たぶん)。そっちのほうが得だから労働環境を厳しくするのだ。
だからブラック企業をなくすためには、システムで防ぐしかない。
法律や行政によって「ブラック企業だと損をする仕組み」をつくるしかない。
個人や企業の仕事ではなく、政治の仕事だ。
……なんだけど。
そうなんだよね。
いちばん政治によって救われるはずの人たちが、いちばん政治に無関心なんだよね。
いちばん労働法によって守られるはずの人たちが、いちばん労働法を知らなかったり。
いちばん労働組合によって守られるはずの人たちが、いちばん労働組合を毛嫌いしていたり。
貧しい人が自分自身の首を絞めているとしかおもえないようなことをする。
これが現実。
最近、日本でもよくウーバーイーツのバッグを背負った人をよく見るようになった。
ウーバー配車サービスヤウーバーイーツのような「単発の仕事を受けて個人事業主として働く人」のことをギグワーカーと呼ぶそうだ。
ぼくは、ああいう働き方もアリだとおもっていた。
たとえば売れない役者をやっている人は、決まった時間にシフトに入るバイトをやるのはむずかしい。だから空いた時間にお手軽にできるウーバーイーツをやる。
そういう自由な働き方はすごくいいんじゃない? とおもっていた。
この本を読むまでは。
ウーバーは
「好きなときに好きな時間だけ働く」
「誰もが社長。個人事業主として自由な働き方を」
と、耳当たりのいい言葉で労働者を集める。
だがその実態は、必ずしも自由ではない。
好きなときに好きなだけ働けるわけではない。そんな働き方をしていたら稼げないし、ウーバーから仕事がまわってこなくなる。
ウーバーは「命じられたらいつでも働いてくれる労働者」に優先的に仕事を回す。
だから実際のところ、そこそこ稼ごうとおもっている労働者にとってウーバーから与えられた仕事を断る権利はほとんどない。
会社に雇われているのと同じだ(会社員だってときどきは仕事を断ることができる)。
会社員とちがう点といえば、仕事がないときは給料がもらえないこと、車やガソリン代や保険などの経費を自分で負担しなければならないこと、ケガや病気で休んだら収入がゼロになること。つまり悪いことばかりだ。
まあそういうリスクも承知の上で「自由」な働き方を選んで本人が損をするなら自業自得と言えなくもない。
だが、労働者が事故や病気で働けなくなったとすると、不利益を被るのは彼だけではない。
社会全体にとっても大きな損失だ。
本来なら会社が与えるべき労災補償や給与を、国家が負担しなければならなくなる。
結局、ウーバーは国の社会保障制度にフリーライド(タダ乗り)しているわけだ。
いろんな国で、ウーバーを相手取った訴訟がおこなわれている。
そのほとんどは「ウーバーで働く労働者はウーバーと雇用関係にあるか」という点が争われている。
国によっては「ウーバーのドライバーはウーバーの従業員である」という判決が出たようだが、日本ではまだほとんど事例がないようだ。
ぼくがウーバーを利用するのは最高裁の判決が出てからにしよう。
貧富の差って、単なる財産だけの問題じゃない。
いろんな文化がちがう。
そこそこ豊かな暮らしをしている人からすると、
「金がないって言うけど、だったらなんでそんな生活してるの? そんな生活してたら貧乏になるのはあたりまえじゃん」
と言いたくなることも多い。
ぼくも、かつて会社の先輩社員が
「車をローンで買っている。ローンを払い終わったら車を売って、その金でまたローンを組んで新しい車を買う」
と語っているのを聞いて「なんでローン組むの?」とおもった。
「貯金してから買ったほうがいいのに。ローンの利息払うのは無駄じゃん」とおもっていた。
でもそれは、ぼくがそこそこ豊かな家で生まれ育ったからだ。
ぼくは親に大学進学のお金も出してもらったし、就職後しばらくは実家に住まわせてもらっていた(一応家にお金は入れていたけど気持ち程度の額だった)。
もしも親に「通勤に必要な車買うからお金貸して」と泣きつけば、たぶん貸してくれただろう。
そういう人間にとって、「ローンを組んで住宅以外のものを買う」「消費者金融で金を借りる」「クレジットカードで分割払いをする」なんてのは理解の外にある行動だ(ぼくはいずれも経験がない)。
金をドブに捨てているとしかおもえない。
ここに深い断絶がある。
お金がないことは理解できても、こういうところはなかなか理解しあえない。
お金で苦労したことのない人は
「お金がないなら自炊して食費を浮かせたらいい」
「コンビニで買い物をせずに安いスーパーで買い物をしたほうがいい」
「漫画喫茶に住むより安いアパートを借りたほうが安い」
「パチンコや宝くじで儲かるわけがない」
「身体をこわしたらたいへんだから調子悪ければ早めに病院に行ったほうがいい」
「収入以上のお金を使わないようにしたほうがいい」
「会社の不当行為で不利益を被ったら弁護士に相談したらいい」
とおもう。
どれも正論だ。
でも、それができない人もいる。
「教わってこなかった」「そういう習慣がない」「初期投資をするだけの経済的余裕がない」などの理由で。
貧乏の問題は金がないだけじゃない。
金がないと、時間もなくなるし自己投資をする余裕もなくなるし気持ちの余裕もなくなる。
『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』の著書は、アマゾンの倉庫で肉体的にきつい労働をした後は酒やスナック菓子がほしくてたまらなかった、と書いている。
なんとなくわかる。
強いストレスがかかると、甘いものとか脂っこいものとかアルコールとかの誘惑に抗う力がなくなるのだ。
ケリー・マクゴニガル『スタンフォードの自分を変える教室』にはこんなことが書いてあった。
酒やタバコやスナック菓子はやめたほうがいい、ドラッグなんてもってのほか、適度な運動と野菜やフルーツの摂取で健康でいられる、経済的にも健康的にもどっちがいいかは明らかだ。
そのとおり。そのとおりなんだけど、それを実践できるのは金銭的余裕があるからなんだよなあ。
生きていくのに困るほどお金に苦労したことがない、という人こそ読んだほうがいい本。
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