真夏の方程式
東野 圭吾
人気ミステリシリーズだが、これはあれだな。ミステリというより、湯川博士と少年のいちゃいちゃっぷりを楽しむ小説だな。
正直、ミステリ部分は退屈だ。
序盤で人が死体で発見されるが、ほとんど出番のなかった人が死体で見つかるので被害者に関心が湧かない。被害者の身元も、定年退職した刑事だということ以外はとりたてて変わったこともない。
そのうちどうやら殺人のようだという話になるが、容疑者も、殺人の動機もまったく判然としない。殺害方法も検死によってあっさりわかるので謎もない。
被害者も地味、殺され方も地味、容疑者は不明、動機も不明、トリックが使われた形跡もない。これではあまりに興味が湧かない。
さすがに終盤は点と点がつながって意外な真実が浮かび上がってくるが、これまでのガリレオシリーズ『容疑者Xの検診』や『聖女の救済』ほどの驚きはない。殺害方法もかなり偶然に頼ったもので、いい出来のトリックとはいえない。
決して悪くはないけど、これまであっと驚く展開を見せてくれたガリレオシリーズにしては凡作といったところだ。
だが、ミステリ部分のものたりなさを、湯川博士と少年の関係が補ってくれる。『探偵ガリレオ』シリーズのファン以外が楽しめるかどうかはわからないが。
湯川博士といえば頭脳明晰、冷静沈着、ドライでクールでおなじみで、他人に対して執着するタイプとはおもえない。また子ども嫌いでもある。
なのに、宿で出会った少年にだけはふしぎと気にかける。宿題を教えたり、海底が見たいという少年の願いをかなえるために奮闘したり、学問の奥深さを解いたり。少年のほうも「博士」と呼んでなついてはいるが、どちらかといえば湯川のほうが積極的に少年にかかわろうとしている。
ぼくは子どもと関わるのが好きなので、今作の湯川博士の行動はよくわかる。
自分の子どもだけでなく、よその子どもであっても、できるかぎり支援したい、才能を伸ばしてやりたいという気持ちが湧いてくるのだ。
子どもに本を買ってあげたい病
以前、こんな記事を書いたが、特に好奇心旺盛な子、特定の学問分野に強い関心を抱いている子に対しては「支援したい!」という欲求がふつふつと湧いてくる。見返りなんていらない。ただ、あしながおじさんになって才能が伸びてゆくところを見ていたいのだ。
また、ぼくも湯川博士ほどではないにせよ、非社交的で世間話というやつが苦手なので、大人といるより子どもと話すほうがずっと気楽だ。ぼくも湯川博士と同じ立場になったら、やはり「気心の知れない大人たちと同じ宿に泊まって長期間交流しないといけないぐらいなら、金を払ってでも別の宿に泊まって小学生に宿題を教える」ほうを選ぶだろう。
中盤で、湯川博士は事件の真実について何かを気づき、しかし「ある人物」のために真相を暴くことをためらう。「ある人物」が少年のことだろうということは明白だが、少年が事件とどうかかわっているのかがわからない。なにしろ少年は人が死んだことことすらしばらく知らなかったぐらいだし、ひきがねになった事件は少年が生まれる前の出来事だ。また少年の両親はほとんど登場しない。
「犯人は誰か」「被害者はなぜここにやってきたのか」「被害者はなぜ殺されたのか」という点よりも、「少年と事件がどうかかわっているのか」をキーに読み解くほうがずっとおもしろい。
正直、被害者や加害者に関する謎はなくてもいいぐらいだ。これもまたミステリ。
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