2023年3月10日金曜日

【読書感想文】辛酸 なめ子『女子校育ち』 / 2011年は下品な時代だった

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女子校育ち

辛酸 なめ子

内容(e-honより)
女子一〇〇%の濃密ワールドで洗礼を受けた彼女たちは、卒業後も独特のオーラを発し続ける。インタビュー、座談会、同窓会や文化祭潜入などもまじえ、知られざる生態をつまびらかにする。

 自身も女子高出身者である著者が、自身の体験、卒業生、在校生、教員などの証言をもとに「女子校」について書いた本。


 ぼくは男だし、ずっと共学に通っていたし、近隣に女子校もなかったので、女子校なるものにはまったく縁がない。

 漫画『女の園の星』程度の知識しかない(もちろんあれがリアルとはおもってない)。

 男子校に関しては行ったことないけど、だいたい想像つくんだけどね。男しかいなかったらたぶんこうなるんだろうな、ってのが。でも女子に関してはイメージすら湧かない。


 そんなわけでこれまで女子校について思いをめぐらせたことすらなかったのだが、娘がひょっとしたら中学受験をするかも、さらに近所にはほどよいレベルの女子校がある、ということになって突如身近な話として立ち上がってきた。

 娘に「女子ばっかりの学校と男子もいる学校とどっちがいい?」と訊くと「どっちでもいい」とのこと。まあ、共学の環境しか知らないから女子校って言われてもイメージできないよねえ。

 ということで『女子校育ち』を手に取ってみた。

(以上、決しておっさんが女子校生ってどんなんじゃいゲヘヘという下心で読んだんじゃないですよという長い言い訳)




 生活指導について。

 掃除御三家の最後の一つは、田園調布学園です。なんとこの学園では、創立者が銅像の姿で永遠に掃除をし続けているのです。銅像の先生は、モップを持ち足元にはバケツが置かれ、おそれ多くも校舎脇の広場で掃除されています。その像を「ほら、先生も掃除なさっているでしょ」と指し示せば、生徒もおとなしく掃除せざるを得ないとか。生徒たちは「あいつのせいだ……」と、時には恨みがましく銅像をにらみながら、便器に手をつっこんで拭いたり、学校前の歩道までホウキではき清めたりと、環境美化に努めます。中学に入学してすぐに家庭科の授業でかっぽう着を作り、掃除中はそれを着用するという用意周到ぶり。全ての道は掃除に至るのです。「掃除はきちんとできる自信があります」と言う卒業生のTさんがまぶしいです……。
 先ほど高い学費を払って掃除させられるのは理不尽だと申しましたが、親にとってみれば、娘が家の掃除をしてくれるようになるので、投資としてちゃんと見合っているような気もします。もし自分が将来親になることがあったら、掃除精神をたたき込んでくれる学校を選びたいと切に思いました。

 ここまで掃除に力を入れるのは女子校特有の話ではなく、単に厳しい学校かどうかによるんだろうけど。

 とはいえ男子校だと「あらゆる面に厳しい学校」はあっても「掃除や家事にのみ特に厳しい学校」ってのはないだろうから、女子校らしい話なのかもしれない。

 ここで紹介されている学校は卒業してからもついつい掃除をせずにはいられないほど掃除の習慣が身につくらしく、ものがあふれすぎて引き出しがひとつも閉まらない娘の机を見ているぼくとしては「こういう学校に行って掃除のできる子になってくれたらいいな……」との思いを隠せない。まあぼく自身がぜんぜん片付けのできない人間なのでまずおまえが改めろって話なんだけど。




 制服について。

 制服が生徒の気風に及ぼす作用は大きく、桜蔭や東京純心女子のようにダサいと言われている制服に身を包んでいると皆あきらめモードで謙虚で貞淑な性格になるようです。田園調布学園OG、Tさんも、「渋谷は女学館や東洋英和の場所で、ダサい制服の自分たちはムリ。冬の制服はカラスみたいで、中学の夏服は毒キノコ。ビジュアルでがんばっても制服で殺されます」と話していました。制服がダサいという劣等感が高じて「自分はここにいる人間ではない」と思うようになり、受験で発奮、進学実績も良いとか。親にとっては、ダサい制服で青春をあきらめて真面目に勉学に励んでくれた方が安心かもしれません。

 このへんは女子ならではだよなあ。

 高校のとき、同じクラスの女子が「ほんとは○○高校に行きたかった」と言っていた。そこはぼくらの学校より偏差値の低いとこだったし遠かったので「なんで○○に行きたかったん?」と尋ねると「制服がかわいいから」との答えが返ってきて仰天した。そんなことが学校を選ぶ基準になるなんて……と、おしゃれとは無縁だったぼくからすると信じられないことだった。冗談で言っているのかとおもったぐらいだ。

 でも、制服で学校を選ぶ子って女子の中ではめずらしくないらしい。そういえば、人材紹介会社の営業から聞いたけど、女性は転職時に「オフィスのきれいさ・新しさ」を重視する人が多いらしい。個人的には、よほど汚いとかくさいとかじゃなければなんでもいいけど、女性はそうでもないみたいだ。つくづくちがう人種だなと感じる。




 女子校に進学するメリットについて。

ところで、女子校においては「容姿において差別されない」というのも大きいです。男子は驚くほど女性のルックスに厳しく、不美人には冷たいものです。共学ではブスのレッテルを貼られ、萎縮してしまいそうな人も、女子校ではのびのび過ごせます。後輩から人気のある先輩が必ずしも美人とは限りません。しかし、頌栄女子学院出身のSさんが「女子大に入って、早稲田や東大のサークルに入ったら完全に容姿でしか見られず、女子校とのギャップに悩みました」と語っているように、快適な温室から出たら厳しい現実が待っています。「努力すれば幸せが手に入ると思っていたのに、世の中は容姿重視なんですね……」ここでも、中高で女を磨いてきた共学出身の人に差を付けられてしまいます。

 「容姿において差別されない」ことの利点については、ほんとその通りだとおもう。

 申し訳ないけど、ぼくも学生時代、女子のことはほとんど容姿でしか見てなかったもん。

 「見た目がかわいくないけど話していておもしろい子」はいたし、そういう子とも仲良くしていたけど、「かわいい子」とはまったく別枠の存在だった。見た目が良くない子は、どんなに優しくて、どんなに気が合っても、異性としては「つまんないけどかわいい子」を上回ることはなかった。

 特に中学生なんか「美女と野獣」カップルはいても、その逆はまずいないよね。

 もうちょっと大人になったら容姿以外の部分も見えるようになってくるんだけどね。「あんまりかわいくないけど付き合ったら楽しいだろうな」とおもえるようになる。でも男子中高生時代は「女はかわいさがすべて」だったな。周囲もやっぱりそんな感じだったから、かわいくない子と付き合ってたらダサイ、みたいな風潮もあった。ほんとひっどい話だけどさ。


 否応なく美醜競争に巻き込まれるのはかわいそうだ。ブスはもちろん、美人もまた。

 そんなわけで「容姿において差別されない」という一点だけでも、娘を女子校に行かせるメリットは十分にあるとおもう。




 それにしても。

 とにかく著者の視点が下品。女子校に通う中高生を取り上げて、やれ処女率がどうだ、やれ男ウケがどうだ、やれフェロモンが出ているだ、やれモテなさそうだ、やれ遊んでそうだ、と下世話きわまりない。

「男が書いたらセクハラだけど女性だからセーフ」とかおもって書いてたんだろうな。じっさい、この本が刊行された2011年はまだそういう認識が一般的だったし。

 でも令和の感覚で読むとずいぶん気持ち悪い。自分が中高生の頃、大人から(男女問わず)そういう目を向けられたら気持ち悪く感じただろうに。

 よくちくまプリマー新書がこんなひっどい本を出してたなとおもう。三流週刊誌みたいな切り口だもん。

 もっとも十年以上前の本を取り上げて「感覚が古い」と糾弾するつもりはなくて(それはあまりにずるい)、ただただ「2011年当時はこういう感覚が許されてたんだなあ」と隔世の念に駆られる。人々の価値観って変わってないようで変わってるんだなあ。


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