〈賄賂〉のある暮らし
市場経済化後のカザフスタン
岡 奈津子
このステキなタイトルに惹かれて手に取ってみた。
カザフスタンに関しては、正直なんにも知らなかった。ええっと、スタンがつくからウズベキスタンとかトルクメニスタンとかアフガニスタンとかタジキスタンとかあのへんの国だよね。ロシアとトルコの間らへんだっけ。
場所もわからなければ、国旗も首都も通貨も言語も歴史も有名人も名産品も人気のスポーツも有名な料理も観光名所もなーんにも知らない。この本を読まなかったら、一生カザフスタンについて考えることのない人生だったかもしれない。
この本を読み、カザフスタン社会がほんの少しだけわかった。ほんの少しだが、「カザフスタンに生まれなくてよかった!」と強くおもった。汚職を憎む善良な市民(贈収賄に関わっていない多くの日本人がそうだろう)にとって、カザフスタンは地獄のような世界だ。
賄賂=悪いもの、という認識があるが、賄賂やコネは部分的に見れば理解できる面もある。
長時間待たされるのは嫌だから、急いでいてお金に余裕がある人は金を積んで順番を早めてもらう。それなりに合理的だ。ぼくも以前キンタマが猛烈に痛くなって病院に行ったのに長時間待たされたときは「自費診療でもいいから優先的に診てくれ!」と願ったものだ。だから気持ちはよく理解できる。
時間の価値は人によってちがうから、価格で対応順に差をつけるのは悪いアイデアではない。某テーマパークでも、「割高な代わりにアトラクションの待ち時間を少なくできるチケット」を売っていた。あれだって賄賂みたいなものだ。
問題は、少数の最適解をつみかさねた結果が多数にとっての最適解にならないことだ。賄賂を積まないと待たされる、だから賄賂で早く対応してもらう、すると他の人はさらに待たされる、他の人も賄賂を積む、結果的にみんなが賄賂を贈るのでみんな前と同じように長時間待たされることになる……ということになる。
こうなると「賄賂を贈っても得をしない。ただし賄賂を贈らないと著しく損をする」ことになって、(賄賂をもらう側以外は)みんな等しく損をする。
各人が勝手に賄賂を受け取るのではなく公式のメニューとして「割高だけど早くしてもらえる権」を販売する、販売数を制限する、などすればそこそこうまくいくかもしれないけどね。
カザフスタンは社会のあらゆる面で賄賂がはびこっており、賄賂なしには社会がまわらないぐらいになっているそうだ。
そういえば、なんかの本で「中国かロシアから陸路でヨーロッパに行こうとしたけど途中のカザフスタンでビザを取るのに苦労して、係員に袖の下を渡したらなんとかなった」的な記述を読んだことがあったなー。
交通警察、移民警察、国境警備隊、税関、税務署、裁判所、検察、学校、大学、保育園、軍、病院、役所……。カザフスタンではありとあらゆる組織が汚職まみれになっている。
カザフスタンは旧ソ連国家だが、ソ連時代はここまでひどくはなかったという。ソ連時代はモノが足りなく、そもそもお金があっても買えるものがなかった。また共産党による睨みが効いており、収賄がばれると厳しい刑が待っていた。だから賄賂よりも「コネを利かせて物資を優先的に手に入れる」ことのほうが重要だった。
ソ連時代は(コネを含めて)「持ちつ持たれつ」だったが、独立によって資本主義経済が流れこんできたことで何をするにも賄賂が必要になったのだそうだ。
コネが幅を利かせる社会もイヤだけど、賄賂を渡さないと渡れない世の中はもっとイヤ、というのがソ連時代を知るカザフスタン人の認識らしい。そりゃそうだろうなあ。
ここまで賄賂が横行していると、もはや賄賂ありきのシステムが構築されている。
公職につくには賄賂が必要となる。賄賂は高額なので、給与の何倍もする。したがって、公職についた後には「初期投資(賄賂)を取り返すため」に市民に対して賄賂を要求することになる。
また、上司からも賄賂を要求される。従わなければ組織内で不利益を被るので上司に上納金を収める。上司は上司で、そのポジションにつくために賄賂を払っているし、そのまた上から賄賂を要求されている。
とても個人があらがえるようなものではない。好むと好まないとにかかわらず贈賄・収賄システムに参与せずにはいられないのだ。
政治家も警察署も司法機関も賄賂に染まっているのなら、いったい誰が賄賂を裁けるというのか。
「賄賂経済に参加する」「国を捨てる」のどっちかしかなさそう。そして外国に渡るにも賄賂が必要なんだろうな……。
「賄賂を贈った人に便宜を図る社会」は、当然ながら「賄賂を贈らない人が不利益を被る社会」でもある。
罪をでっちあげて賄賂を要求する警察官、賄賂をくれた被告を勝たせる(つまり賄賂を贈らない原告を負けさせる)裁判官、治療前に賄賂を要求する公立病院の医師なども珍しくないという。
仮に「自分は絶対に賄賂を贈らないし受け取らない!」と崇高な志を持っていたとしても、していない罪で逮捕されそうになったり、賄賂を贈らないと病気の治療をしてもらえないとなれば、賄賂を包まないわけにはいかない。決して比喩ではなく、賄賂を贈らないと生きていけない国なのだ。
そして賄賂の横行が引き起こす問題は、単なる金の問題だけではない。
賄賂は、社会のあらゆる面が劣化させる。
良い大学に行けるかどうかが賄賂で決まるなら、学生がまじめに勉強する意欲は失われるだろう。
就職も賄賂で決まり、事業がうまくいくかどうかも決まる。まじめに働いて良い製品やサービスを提供することが成功につながらない。こんな社会でいい商品やサービスが生まれるはずがない。
かくして、能力のある者はいなくなり、人々のモラルは低下し、生産性は下がる。賄賂は社会のあらゆる部分を蝕んでゆく。取り締まろうにも、取り締まる機関が賄賂まみれなのだからどうすることもできない。
もちろん日本にとっても対岸の火事ではない。
汚職にまみれた東京五輪が大失敗に終わり、経済成長や被災地復興にちっとも貢献しなかったように。
東京五輪汚職なんて人心に与える影響を考えれば国家転覆罪で吊るし首にしてもいいぐらいの大罪なのに、結局のところほとんど誰も大した責任をとっていない。贈賄側も収賄側もしっぽが切られただけでピンピンしてる。
日本がカザフスタンのようになってしまわないように、今のうちに再起不能になるぐらいの極刑を科したほうがいいよ。あいつやあいつやあの会社のえらいさんをさ。
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