2023年3月23日木曜日

【読書感想文】岡 奈津子『〈賄賂〉のある暮らし ~市場経済化後のカザフスタン~』 / 賄賂なしには生きてゆけない国

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〈賄賂〉のある暮らし

市場経済化後のカザフスタン

岡 奈津子

内容(e-honより)
市場経済化とは何だったのか?豊かさを追い求めた、この三十年…広がる格差のなかで、したたかに生きる人びと。


 このステキなタイトルに惹かれて手に取ってみた。

 カザフスタンに関しては、正直なんにも知らなかった。ええっと、スタンがつくからウズベキスタンとかトルクメニスタンとかアフガニスタンとかタジキスタンとかあのへんの国だよね。ロシアとトルコの間らへんだっけ。

 場所もわからなければ、国旗も首都も通貨も言語も歴史も有名人も名産品も人気のスポーツも有名な料理も観光名所もなーんにも知らない。この本を読まなかったら、一生カザフスタンについて考えることのない人生だったかもしれない。

 この本を読み、カザフスタン社会がほんの少しだけわかった。ほんの少しだが、「カザフスタンに生まれなくてよかった!」と強くおもった。汚職を憎む善良な市民(贈収賄に関わっていない多くの日本人がそうだろう)にとって、カザフスタンは地獄のような世界だ。

 



 賄賂=悪いもの、という認識があるが、賄賂やコネは部分的に見れば理解できる面もある。

 公式な手続きにのっとってやろうとすると、単に時間がかかるだけではなく、あちこちたらいまわしにされたり横柄な態度を取られたりして、嫌な思いをすることが多い。このことを指してよく使われるのが「神経をすり減らす」(tratit' nervy)という表現だ。
 石油関連企業に勤める三十代の男性は、交通警察に賄賂を払う理由をこう説明する。警察が調書を作成するあいだ、三〇分は待たされる。それにサインして、銀行に行って罰金一〇〇ドルを払う。こんどはその領収書を持って警察に行き、窓口に提出する。そこで二、三時間は行列に並ばされる。こうやって奔走して神経をさんざんすり減らすか、その場で警察官に一〇ドル渡して終わりにするか。無駄な時間と余計なイライラを考えたら、後者を選ぶのは当然だ。

 長時間待たされるのは嫌だから、急いでいてお金に余裕がある人は金を積んで順番を早めてもらう。それなりに合理的だ。ぼくも以前キンタマが猛烈に痛くなって病院に行ったのに長時間待たされたときは「自費診療でもいいから優先的に診てくれ!」と願ったものだ。だから気持ちはよく理解できる。

 時間の価値は人によってちがうから、価格で対応順に差をつけるのは悪いアイデアではない。某テーマパークでも、「割高な代わりにアトラクションの待ち時間を少なくできるチケット」を売っていた。あれだって賄賂みたいなものだ。

 問題は、少数の最適解をつみかさねた結果が多数にとっての最適解にならないことだ。賄賂を積まないと待たされる、だから賄賂で早く対応してもらう、すると他の人はさらに待たされる、他の人も賄賂を積む、結果的にみんなが賄賂を贈るのでみんな前と同じように長時間待たされることになる……ということになる。

 こうなると「賄賂を贈っても得をしない。ただし賄賂を贈らないと著しく損をする」ことになって、(賄賂をもらう側以外は)みんな等しく損をする。

 各人が勝手に賄賂を受け取るのではなく公式のメニューとして「割高だけど早くしてもらえる権」を販売する、販売数を制限する、などすればそこそこうまくいくかもしれないけどね。




 カザフスタンは社会のあらゆる面で賄賂がはびこっており、賄賂なしには社会がまわらないぐらいになっているそうだ。

 そういえば、なんかの本で「中国かロシアから陸路でヨーロッパに行こうとしたけど途中のカザフスタンでビザを取るのに苦労して、係員に袖の下を渡したらなんとかなった」的な記述を読んだことがあったなー。

 交通警察、移民警察、国境警備隊、税関、税務署、裁判所、検察、学校、大学、保育園、軍、病院、役所……。カザフスタンではありとあらゆる組織が汚職まみれになっている。


 カザフスタンは旧ソ連国家だが、ソ連時代はここまでひどくはなかったという。ソ連時代はモノが足りなく、そもそもお金があっても買えるものがなかった。また共産党による睨みが効いており、収賄がばれると厳しい刑が待っていた。だから賄賂よりも「コネを利かせて物資を優先的に手に入れる」ことのほうが重要だった。

 ソ連時代は(コネを含めて)「持ちつ持たれつ」だったが、独立によって資本主義経済が流れこんできたことで何をするにも賄賂が必要になったのだそうだ。

 コネが幅を利かせる社会もイヤだけど、賄賂を渡さないと渡れない世の中はもっとイヤ、というのがソ連時代を知るカザフスタン人の認識らしい。そりゃそうだろうなあ。




 ここまで賄賂が横行していると、もはや賄賂ありきのシステムが構築されている。

 現在のカザフスタンで、非公式に取り引きされているもののひとつに公職がある。役人や警察官、裁判官などのポストや教職までもが、しばしばカネで売買されているのだ。保育園の入園枠や運転免許証などと異なり、職はいちど購入すればそれで終わりではない。その地位を保証してくれるのは、あくまで「売り手」であるパトロンであり、組織ではないため、どの人物に誰を通じてアクセスするのかが重要になる。
 公職売買については、カザフスタンの隣国であるキルギス共和国を対象とした興味深い研究がある。スウェーデンの政治学者ヨハン・エングヴァルは「投資市場としての国家」で、腐敗が法の逸脱ではなく事実上ゲームのルールと化している社会においては、公職をカネで買う行為は「国家への投資」とみなすことができる、と論じている。つまり、公的機関のポストは非公式収入をもたらす有望な投資対象なのだ。この見方に立つと、なぜ給与の何倍もの金額を払い、ときには借金までして職を買うのか、その理由が理解できる。公的機関の職員は必ずしも薄給による生活苦から賄賂を取るのではなく、しばしば「初期投資」を回収するためにカネを集めているのである。

 公職につくには賄賂が必要となる。賄賂は高額なので、給与の何倍もする。したがって、公職についた後には「初期投資(賄賂)を取り返すため」に市民に対して賄賂を要求することになる。

 また、上司からも賄賂を要求される。従わなければ組織内で不利益を被るので上司に上納金を収める。上司は上司で、そのポジションにつくために賄賂を払っているし、そのまた上から賄賂を要求されている。

 とても個人があらがえるようなものではない。好むと好まないとにかかわらず贈賄・収賄システムに参与せずにはいられないのだ。

 ウトキン氏は、腐敗は個々の裁判官の問題ではなく、「システムが収賄を強制する」のだと強調する。司法界全体が「金儲けのためのビジネス団体」と化しているときに、一人でそれに抗うのは非常に困難だ。収賄という暗黙のルールに従っている人たちは、それを破る仲間のせいで自分たちが悪者にされるのを嫌い、排除しようとする。
 裁判所の長官にとっても、自分の命令に背くような裁判官は都合が悪い。ウトキン氏によれば、カザフスタンでは有利な判決を得るために、仲介者を通して長官にカネを渡すことが多く、弁護士もこうした「仲介業」にしばしば携わっている。裁判官は人事権を握る長官の指示には逆らえない。

 政治家も警察署も司法機関も賄賂に染まっているのなら、いったい誰が賄賂を裁けるというのか。

「賄賂経済に参加する」「国を捨てる」のどっちかしかなさそう。そして外国に渡るにも賄賂が必要なんだろうな……。




「賄賂を贈った人に便宜を図る社会」は、当然ながら「賄賂を贈らない人が不利益を被る社会」でもある。

 罪をでっちあげて賄賂を要求する警察官、賄賂をくれた被告を勝たせる(つまり賄賂を贈らない原告を負けさせる)裁判官、治療前に賄賂を要求する公立病院の医師なども珍しくないという。

 仮に「自分は絶対に賄賂を贈らないし受け取らない!」と崇高な志を持っていたとしても、していない罪で逮捕されそうになったり、賄賂を贈らないと病気の治療をしてもらえないとなれば、賄賂を包まないわけにはいかない。決して比喩ではなく、賄賂を贈らないと生きていけない国なのだ。

 いまの若者はソ連時代に教育を受けた世代から、「あらゆるものが売り買いされるのを見て育った」と評されている。年齢に関係なく、カネで物事をすばやく解決するのはもはや常識だ。ただ、社会主義時代を経験している人びとは、贈収賄に対して自分たちが持つ後ろめたさや罪悪感が、若い世代には欠けているのではないか、と感じている。独立後の混乱期しか知らない若者たちには道徳的な基盤がない。そう語る人たちもいた。
 賄賂をあたりまえのこととして受け入れ、世のなかはカネしだいだと考えている。上の世代がこう慨嘆する若者たちだが、彼らはまぎれもなく、大人たちがつくった社会の落とし子なのである。

 そして賄賂の横行が引き起こす問題は、単なる金の問題だけではない。

 賄賂は、社会のあらゆる面が劣化させる。

 良い大学に行けるかどうかが賄賂で決まるなら、学生がまじめに勉強する意欲は失われるだろう。

 就職も賄賂で決まり、事業がうまくいくかどうかも決まる。まじめに働いて良い製品やサービスを提供することが成功につながらない。こんな社会でいい商品やサービスが生まれるはずがない。

 かくして、能力のある者はいなくなり、人々のモラルは低下し、生産性は下がる。賄賂は社会のあらゆる部分を蝕んでゆく。取り締まろうにも、取り締まる機関が賄賂まみれなのだからどうすることもできない。


 もちろん日本にとっても対岸の火事ではない。

 汚職にまみれた東京五輪が大失敗に終わり、経済成長や被災地復興にちっとも貢献しなかったように。

 東京五輪汚職なんて人心に与える影響を考えれば国家転覆罪で吊るし首にしてもいいぐらいの大罪なのに、結局のところほとんど誰も大した責任をとっていない。贈賄側も収賄側もしっぽが切られただけでピンピンしてる。

 日本がカザフスタンのようになってしまわないように、今のうちに再起不能になるぐらいの極刑を科したほうがいいよ。あいつやあいつやあの会社のえらいさんをさ。


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