百姓たちの江戸時代
渡辺 尚志
江戸時代の人々、と聞いて我々がイメージするのは将軍、武士、商人、町人などが多い。歴史の教科書でも時代劇・時代小説でも舞台になるのはたいてい町か城。農村が舞台になることはほとんどない。
庶民の娯楽である落語でも、農村が出てくるのは『池田の猪買い』『目黒のさんま』などほんのひとにぎりの噺だし、それらも主役は町人や武士であって百姓は脇役だ。
だが江戸時代、人口の八割以上は農民だった。江戸時代の庶民とはつまり、農民なのだ。我々も祖先をたどればほぼ間違いなく百姓にいきあたるだろう(ぼくは二代前であたる)。
圧倒的多数が農民であったにもかかわらず、ぼくらは江戸時代の農民の暮らしを知らない。
小学校の社会の教科書に「千歯こきなどの道具が広まって農業が便利になった」とか書いてあったぐらい。あとは「飢饉のときは娘を売った」「厳しい年貢の取り立てで食うや食わずの生活を送っていた」「米などめったに食えずあわやひえを食っていた」といった〝過酷な生活〟のイメージしかない。
『百姓たちの江戸時代』では、当時の文献をもとに江戸時代の農民の生活を暮らしをしている。
この本によると、一般的なイメージよりずっと豊かな生活が浮かびあがってくる。
けっこう米を食べていた。頻繁に貨幣を使って買物をしていた。農業だけでなく金融や投資で稼いでいる農家もあった。寺子屋で勉強して読み書きのできる農民も少なくなかった。
意外といい暮らしをしている。
信濃国(今の長野県)の農家であった坂本家という家の文書によるデータ。
この坂本家は村の中ではトップクラスの裕福な農家だったらしいが(収支を記録して文書にして残しているぐらいだから当然だ)、とはいえ桁外れな金持ちというほどではなく、村に数軒あるレベルの家だった。今でいうなら年収1000万ぐらいの層だろうか。
これを見ると、けっこう生活に余裕があるなという気がする。雛人形や鯉のぼりや羽子板や、季節ごとの食べ物といった縁起物を頻繁に買っている。
さらに坂本家では農地を人に貸して小作料をとったり、農具や種子や馬を売買したり、お金のやりとりを頻繁にしている。
江戸時代というと遠く離れた昔という気がするが、じっさいは百年前(大正時代)の農村とそう変わらない生活をしていたのかもしれない。
都市の生活は近代以降で一変しただろうが、農村の暮らしはあまり変わっていないかもしれない。ぼくの父(昭和30年生まれ)も家で牛を飼ってたらしいし。
江戸時代の土地・財産に関する考え方について。
村に所属する家が、家や田畑を村外の人間に勝手に売ってはいけないことになっていたそうだ。
この考え方、非合理的なようですごく理にかなった考えかもしれない。
資本主義社会では、基本的に「取引は自由である」という考えにのっとって動いている。当事者間の同意さえあれば、法に触れないかぎりはどんな契約をしても自由。
資本主義社会では「個人の土地売買を村が制限する」ことは、自由な取引を阻害するものとして悪とみなされる。
だが、自由な取引がおこなわれた結果どんな世の中になったかというと、富める者がますます富み、貧しい者はどんどん奪われる社会だ。当然だ。「なくなっても生活に困らない金がふんだんにある者」と「明日の生活に困っている者」が対等の契約を結べるわけがないのだから。
たとえば古い商店。商店街組合に属していて、何をするにも組合のお伺いを立てないといけない。他との兼ね合いもあるので勝手に安売りをすることもできない。不自由だ。
ところが組合がなくなって競争が完全自由化されると、大手資本のショッピングモールがやってきて、資本にものをいわせた価格と品揃えで古い商店を軒並みつぶしてしまう。
これと同じことが様々な業界でおこなわれている。小資本は根こそぎつぶされて、大手資本の言いなりになる以外の生きる道は絶たれてしまう。
消費者にとっては一時的な恩恵があるかもしれないが、総収入が減ることは長期的には損だ。生産者もまた消費者なのだから。
カルテルやギルドは不自由だが、すべてのメンバーが長期的に繁栄していくためには必要なものだったのだ。
斎藤 貴男『ちゃんとわかる消費税』という本に、こんな一節があった。
規制緩和がなされれば、当初は「ごく一部の人だけが大きく損をして、他の人たちはちょっとだけ得をする」んだよね。
だから「規制緩和だ」「既得権益をなくせ」という為政者に民衆は喝采を送る。
だが、はじめはごく一部だった「大きく損をする人」はどんどん広がる。CAだけだった派遣労働者が、他の業界にも拡がっていったように。
様々な規制緩和の結果、日本の財産(土地とか労働とか種子とか水とか流通とか)はどんどん海外に売られている。
江戸時代の農村のような「村人の財産は村のもの」という考えを守っていれば、防げていたかもしれない。今さらもう遅いのかもしれないけど。
江戸時代の農村のやりかたのほうが百パーセントいいとは言わないけど、古くからあった(一見無駄な)システムには合理的な理由があると気づかされる話だ。
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