国会中継を見ていると、ときどき「これは審判のいないサッカーだな」と感じる。
いや、一応議長はいて発言に対して制止することはある。が、サッカーにおけるレフェリーのような強制力はない。「ベンチからのヤジ」程度の力しか持っていない。また国会における議長はたいていどこかの党に属しているので、中立ではない。一方のチームのメンバーがレフェリーを務めるようなものだろう。
レフェリーがいなくてもサッカーはできる。小学生が公園でやるサッカーにふつう審判はいないが、それでもまあ成立する。ただそれはあくまで平常時であって、激しく意見が対立したり、著しく協調性に欠けるプレイヤーがいたりするとゲームは破綻してしまう。
学問の世界には「協調の原理」という言葉がある。
量の公理(不要なことを言うな)、質の公理(嘘をつくな)、関係の公理(関係のない話をするな)、様態の公理(わかりやすく話せ)の四原則から成る。どれもあたりまえのことである。こんな言葉を知らなくても、ほとんどの人は守って会話をしている。
ところが国会にいるじいさんばあさんたちはこれを守らない。守れないのか意図的に守らないのか、質問には答えず、話をそらし、嘘でごまかし、不明瞭な言葉で煙に巻こうとする。
〝著しく協調性に欠けるプレイヤー〟だらけだ。こうなると、プレイヤーのモラルに頼っていても解決しない。サッカーで激しいラフプレーが濫発しているときに「みんな仲良くサッカーしようね!」と言っても意味がないのと同じだ。
解決するには、審判を導入するしかない。国会に、国会議員でないレフェリーを配置する必要がある。
審判は、各プレイヤー(国会議員)が「協調の原理」を果たしているかをジャッジする。軽微な反則の場合は発言の時間を縮め、悪質な違反、故意の違反に関してはイエローカード、レッドカードを出して退場させる。度重なる退場があれば、ペナルティとして次回の選挙に出馬できなくすればいい。
ほら、質問に答えないあの人とか、発言の内容がからっぽのあの人とか、平気で嘘をつくあの人とか、党内のえらい人におべんちゃらを言うだけのあの人とか、どんどん退場させたらいいじゃない。ねえ。
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