『週刊朝日』が五月で休刊するそうだ。
一抹の寂しさを感じる。ほんの一抹だけ。
ぼくは一度も週刊朝日を買ったことがない。母が好きで、毎週買っていたのだ。
週刊朝日は総合週刊誌としてはかなり硬派な部類で、エロい記事もないし、芸能ニュースだとかゴシップ的な記事も載っていない。政治や社会問題についての記事が多く、かなりハイソ向けの週刊誌だ。週刊誌を読まない人からすると「週刊誌ってぜんぶ下品なんでしょ?」という認識だろうが(まあだいたいあってる)。
昔は今よりもっと週刊誌が身近だった。病院や銀行の待合室には必ず週刊誌が置いてあった。多いのは『週刊新潮』や『週刊文春』などで、それらはエロい記事やゴシップニュースも載っていた。
汚い話だが、うちの実家では週刊朝日はトイレで読むものだった。母は週刊朝日を買ってくるとまずトイレに置いていたのだ。手持ち無沙汰なトイレ時間を有意義に過ごす工夫だ。
だから家族みんなトイレで週刊朝日を読んでいた。編集者たちには申し訳ないが、ぼくにとって週刊朝日はトイレの雑誌だった。
そんなわけで小学生の頃から週刊朝日を読んでいた。
最初はマンガやイラスト。山科けいすけ『サラリーマン専科』『パパはなんだかわからない』や山藤章二『似顔絵塾』『ブラック・アングル』など。
そのうち、漫画やイラストのある文章も読むようになる。『デキゴトロジー』、西原理恵子・神足裕司『恨ミシュラン』、ナンシー関『小耳にはさもう』、東海林さだお『あれも食いたいこれも食いたい』。はじめのうちは絵目的で読みはじめたのに、文章もおもしろいことに気づく。大人向けの文章を読むようになったきっかけは週刊朝日からだった。
そしてぼくが中学生の頃は『ダウンタウンのごっつええ感じ』が学校で大流行している時代。そんなときに松本人志『オフオフ・ダウンタウン』の連載がはじまり、ぼくは「クラスのみんなはテレビでしか知らない松本人志の裏側をぼくだけが知っている」とひそかに優越感を感じていた(この連載は後に『遺書』『松本』として大ベストセラーになる)。ほんと九十年代後半は黄金時代だったなあ。
連載が良かったから人気があったというより、人気があったから才能が集まる場所になったという感じだろう。今、才気あふれる書き手が週刊誌を選ぶとはおもえないもの(週刊誌側もそれに見合った待遇を用意できないだろうし)。
週刊朝日の休刊は寂しいけど、「あのときああしていたらこの先何年も続けられていた」みたいな転機はなく、誰がどうやってもこのへんで終わることは時代の必然だったのだろう。
ところで雑誌が終わることを「休刊」っていうのいいかげんやめねえかな。休刊した雑誌が再開することなんて1%もないんだからさ。つまらない見栄張ってないでちゃんと「廃刊」って言おうぜ。
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