2017年5月16日火曜日

【読書感想】カレー沢 薫 『ブスの本懐』

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カレー沢 薫 『ブスの本懐』

内容(「e-hon」より)
みんな違ってみんなブス。“ブスに厳しいブス”カレー沢薫がすべての迷える女性に捧げる、逆さに歩んだ「美女への道」。「cakes」の大人気連載「ブス図鑑」が待望の書籍化!

自称ブスの漫画家が、ブスについて考察した本。
最初から最後までブスの話しかない。

タブーとまではいかなくても、ブスのことって話題にしにくい。
テレビでもブスっていじられにくい。
身体障害者と同じぐらい「いじっちゃいけない」感がある。
自虐ですらほとんど聞かれない。たぶん笑えないからだろうね。

どう見てもかわいくない女芸人に客席の女が「かわい~!」と声をかけるという手の込んだ嫌がらせをすることはあっても、直接的なブスいじりはコンプライアンスの厳しくなった昨今ではまず見られない。

「デブ」や「ハゲ」のように医学的な考察すらできない(美容外科はべつにして)。

そんな中、この本はとにかく真っ正面からブスに向き合ってる。

 つまり「ブス」とは、ただ単に顔のデザインが地球向けでない人、またはパリコレ級にハイセンスすぎて一般に理解されない人のことではなく、生き様がブスなことも含まれるのだ。
 それに、「あの人は美人だが性格ブスだ」という言葉がある。
 おそらく、どんなに非の打ちどころのない美人を前にしても、絶対敗北を認めないという不屈の精神を持ったブスが発した言葉だろう。
 また、「美人は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れる」という、どう考えてもブスが考え出した言葉もある。それを先祖代々ブスが語り継ぎ、後世に残る格言になっているのである。
 このように、ブスすぎて語彙能力が発達してしまい、とても美人には思いつかないような名言を次々ドロップするブスもいるのである。こんなブスなら3日で飽きる美人よりも一緒にいて楽しいであろう。

これだけの文章の間に、「ブス」という単語が10回も出てくる。

はっはっは、おもしろいなあ。
と思って読んでたんだけど、すぐに飽きてしまった。

「ブス」ばかり見ていても飽きてくるんだね。

『ブスの本懐』は週刊誌連載だったらしいけど、週刊ペースで読むのがちょうどいい。
本にしてまとめて読むもんじゃない。

結局さあ、ブスに興味ないんだよね。
身も蓋もないこと言っちゃったけど。



ぼくはテレビに出てくる美人女優の顔がまったく覚えられない。

なぜなら美人には個性がないから。
世の中のすべての顔の平均をとったら美男美女になるとか言われているけど、美人の顔には目立つ特徴がない。

建売住宅がずらりと並んでいる住宅街に行くと、目印がなくてなかなか道が覚えられない。
美人の顔にもそういうところがある。

だからもっと個性的な顔の女優を増やしてほしい!


……と思っていたんだけどね、この本を読むまでは。

わかった。
テレビに美人ばかりが出てくるのは飽きないからだ。

無個性であるがゆえに飽きない。
最大多数に最適化された建売住宅が結局いちばん住みやすいのと一緒。
ごはんは味がないから毎日食べても飽きないのと一緒。

ブスはクセが強すぎて飽きる。
「美人は3日で飽きる」は嘘で、美人のほうが飽きない。



学校での女子のグループ分けについて。

 大体グループ分けというのは、入学やクラス替え初日で雌雄が決しているもので、早々にそのグループに入り損ねた者が教室に点在する形になる。
 ここで一人でいることを選べば「孤高」、もしくは「ホンモノ」になるのだが、やはり学園生活を(特に女子は)どこにも属さず生き抜くというのは、フリーで風俗嬢をやるぐらい不安と危険が伴う。
 よって、このあぶれた者同士が、誰が声をかけるわけでもなく半笑いで近寄っていき、「仕方なく」以外の理由がない「オタクじゃないブスグループ」が結成されるのだ。
 まさに「第一次書類審査で落ちた女だけを集めて作ったアイドルユニットの鮮烈デビュー」である。

たしかに、かわいい子はかわいい子で集まっていて、そうでない子はそうでない子と……ってパターン多かったなあ。

まあ美人グループの中にもひとりぐらい「おしゃれで雰囲気だけ美人っぽいけど、こいつだけはちがうな」ってのも混じってたけど。

男のほうが趣味嗜好で固まってたように思う。


なんのかんの言っても、女性は顔の良し悪しで人生が決まると思う。
美醜によって付き合う男が変わるだけじゃなく、友達付き合いも変わる。

もちろん男も顔がいいほうがトクをするけど、女ほど極端じゃない。
「顔」以外にも「スタイル」「経済力」「気前の良さ」「社交性」「ファッションセンス」「知性」「会話のセンス」「職業」などいろんなパラメータが男の市場価値を決めている(さっきテレビでブスをいじっちゃいけない空気があると書いたが、一方で男芸人に対するブサイクいじりは許されている。それが単独では致命的な欠点にならないからだ)。

でも恋愛市場における女の価値は「顔」「若さ」で90%くらい決まっているように思う。あと「スタイル」が5%ぐらい。
「若さ」は誰にとっても平等なものだけど、「顔」はかなり不公平だ。化粧でごまかせるのには限度があるし、美容整形にはお金がかかる(顔のよくない女性が若くして大金を手にするのは難しい)。

ぼくは中学校のときに同級生の女子から「つまんない顔だね」と言われたことがあるぐらいつまんない顔をしているので、「女に生まれなくてよかった」と思っている。
つまんない顔で女の人生を歩むのはたいへんそうだ。


 その点、ブスの顔は生まれた時からトラブルの連続なため、今更シワが一本増えたからといって、どうということはない。「木を隠すなら森」と同じように、「ババアを隠すならブス」。つまり「ブスは最大の防御」なのだ。
 また、精神的にもブスは老化に強い。美貌にしろ何にしろ、人間、持っていたものが徐々になくなっていくというのは、恐怖でしかない。その点、ブスは美貌が最初からないので、ないものはなくならないのである。
 やはり、最終的には失うものがない人間の方が強い。よく、「守るものができて強くなれた」などと言うが、何かを守りながら戦っている奴が、腹にダイナマイトだけ巻いて突っ込んでくるブスに勝てると思ったら大間違いだ。

これはまったく同意。
総じてブスは美人より損してばっかりだけど、唯一優っている点は「老いたときに自己評価と周囲の評価のずれが小さい」という点だと思う。


以前、『値打ちこく』と題したブログ記事でこんなことを書いた。
「美人だったから、もっといい相手がいると思ってえり好みをしているうちに、婚期を逃しちゃったんだろうねー」
と言うと、後輩が言った。

「そうなんですよ。そういう女って値打ちこいてるからだいたい結婚できないんですよ」

30代半ばで「結婚したくてもできない」人には美人が多いように思う。

さっきも書いたように、恋愛市場において「若さ」は重要なファクターだ。
好みはいろいろだけど、売り手の女性の価値は「顔」×「若さ」で近似値が求められると思う。
差別的な話だけど、現にその指標で選んでいる男が多いのだから仕方ない。

掛け算だから、歳をとるごとに減じる価値は美人ほど大きい。
そのことにもっと自覚的であってほしい、と思う。

昔は20代後半の女性に対して「行き遅れ」という言葉が使われていたらしいけど、今では完全セクハラなので自虐的に使われる以外に聞いたことがない。
でももっと使っていったほうがいいんじゃないかと思う。
結婚を選ばない人に対して言うのは失礼だけど、そうじゃない人に対しては「まだまだ30過ぎてからが女ざかり」なんて無意味な励ましよりも(それもセクハラっぽいけど)、「行き遅れてまっせ」というのも本人のためなんじゃないだろうか。
じっさい、刻一刻と「理想の結婚」からは遠ざかっているわけなんだから「このへんで手を打っとくか」と損切りするほうがいいと思うんだよね。

晩婚化・非婚化・少子化にストップをかけるためにも、「行き遅れ」意識の復権が必要なのかもしれない。


じゃあ誰が当事者に「行き遅れてまっせ」を言うのかというと、それは誰が猫の首に鈴をつけるかという話で、じゃあおまえ言えよといわれてもぼくはよう言わんわ。
言っても損しかしないもの。



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