更科 功
人類700万年(サヘラントロプス・チャデンシス~ホモ・サピエンス)の歴史を駆け足で走り抜ける一冊。
ものすごくわかりやすくまとめられていて、かつ随所に挟まるトピックスもおもしろい。
人類史の入門書としてこれ以上ない(といっても他の本をほとんど知らないけど)本だ。
ぼくも学生時代に歴史の授業の最初のほうで人類の歴史を習ったはずだが、ぜんぜんわかっていなかった。
アウストラロピテクスとかジャワ原人とかクロマニオン人とかネアンデルタール人とかの名前をおぼえていただけ。
恥ずかしい話、ぼくはネアンデルタール人がヒトになったんだとおもっていた。我々の直系の祖先なのだと。
でもそうではなかった。ネアンデルタール人とヒト(ホモ・サピエンス)は別の種だったのだ。同時代に生きていたが、ヒトはその後繁栄し、ネアンデルタール人は滅びた。いってみればライバルのような存在だったのだ。
人類史をやっている人からしたら常識なんだろうけど、そんなことすらわかっていなかった。
「万物の霊長」という言葉が表すように、ぼくらは今のヒトがあらゆる生物の中でいちばん優れている、いちばん賢い存在だと考えてしまう。
賢かったからこうして地球上で繁栄しているのだと。優れているから今こうして快適な暮らしを送っているのだと。
ところが人類の歴史を見てみると、その考えが誤りだということがわかる。
初期の人類は猿の中で劣った存在だったのだ。
劣っていたから競争に負けて森林から出ていかざるをえなかった。
ところが走るのも遅く、強い武器も持っていなかった人類は、森林を追いだされたらとても生きていけない。
だから群れて暮らす必要があった。
群れれば敵に気づきやすくなるし、襲われたときも食べられる可能性が減る。
そうやって群れて暮らすうちにコミュニケーション能力が発達した。
また外敵や厳しい環境から身を守るために道具をつくる必要も生まれた。
もしも人類が強かったら、今頃まだ森の中で暮らしていたことだろう。
ヒトは人類以外の動物より劣っていただけでなく、他の人類よりも劣っていた。
ネアンデルタール人はホモ・サピエンスより体格が良かったらしい。しかも脳の大きさもネアンデルタール人のほうが大きかった(ただし脳が大きいから賢いとは言い切れないが)。
ホモ・サピエンスはネアンデルタール人より劣っていたからこそ、よりよい道具を作ることが求められた。
そうして道具を生みだし、またホモ・サピエンス間のコミュニケーションによって道具の作り方を伝えていった人類は、総合力の差でネアンデルタール人を追いぬいた。
またネアンデルタール人は体格が良かったからこそ、その大きな身体を維持するのにより多くのエネルギーを必要とした。
食糧が豊富にあるときはいいが、飢餓期には身体が小さいほうが有利だった。
われわれの脳はネアンデルタール人より小さいばかりでなく、昔のホモ・サピエンスと比べても小さくなっているのだそうだ。
ここに紹介されているのはあくまでひとつの説だが、文字という記録装置が生みだされたことで大きな脳を必要としなくなったという説はおもしろい。
だとしたら、この先どんどん脳は小さくなっていくのではないだろうか。
ここ百年間で計算機やコンピュータなど外部のOSやメモリが次々に生まれたのだから。
我々は有史以来もっとも優れた生物だとおもっているが、とんでもない。
もしかしたら史上まれにみるほど、生物として劣った存在なのかもしれない(なにしろ餌をとらなくても敵から逃げなくても生きていける生物なんて他にいないのだから)。
今の人間はたしかに地球上で支配的なポジションにいる。
でもそれは我々が優れているからではなく、たまたま環境に適応できた、運がよかっただけなのだ。
もしも地球上がもっと過ごしやすい環境だったら、覇権を握っていたのはホモ・サピエンスではなくネアンデルタール人だったかもしれない。
いやそれどころか恐竜が跋扈していて哺乳類自体が生態系ピラミッドの下のほうでひっそりと生きていた(あるいは絶滅していた)かもしれないね。
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