2019年12月26日木曜日

【読書感想文】森羅万象1,700円 / ビル=ブライソン『人類が知っていることすべての短い歴史』

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人類が知っていることすべての短い歴史

ビル=ブライソン (著)  楡井 浩一 (訳)

内容(e-honより)
こんな本が小学生時代にあれば…。宿題やテストのためだけに丸暗記した、あの用語や数字が、たっぷりのユーモアとともにいきいきと蘇る。ビッグバンの秘密から、あらゆる物質を形作る原子の成り立ち、地球の誕生、生命の発生、そして人類の登場まで―。科学を退屈から救い出した隠れた名著が待望の文庫化。137億年を1000ページで学ぶ、前代未聞の“宇宙史”、ここに登場。

宇宙はどうやってできたか、地球の大きさはどれぐらいか、地球の年齢は何歳か、原子や素粒子の世界はどんな法則で動いているのか、地震や噴火は予想できるのか、生命はどうやって誕生したのか、人類はどう進化してきたのか。
そして、それらの謎を解き明かすために科学者たちがどのような取り組みを続けてきたのか。

といったことを上下巻二冊に収めている。文庫にしては分量はちょっと多いが、それ以上に内容は重厚。全二十巻の本を読んだぐらいの読みごたえがあった。
それでいて、文章は軽妙かつユーモラスでおもしろい。いやあ、いい本だ。ほんとに中学生ぐらいで読んでいたらもっと勉強を好きになっていたんじゃないかなあ。
 というわけで、無から、わたしたちの宇宙は始まる。
 目のくらむようなただ一回の脈動、言葉では表現できない速さと広がりを伴う栄光の一瞬を経て、特異点は天空に容積を、概念ではとらえられない空間を獲得する。この強烈な最初の一秒(多くの宇宙学者がその詳細に分け入ろうとしてキャリアを捧げる)で、重力が、そして物理法則を支配するほかのすべての力が作られる。一分足らずで宇宙はとてつもない大きさに広がり、さらに高速で成長を続けていく。大量の熱が生まれた後、百億度まで下がり核反応を引き起こすのに十分な温度に達して、比較的軽い元素──おもに水素とヘリウム、それに少量(原子一億個につき一個)のリチウム──が発生する。三分後には、現在、存在する、もしくは今後、存在が確認される、あらゆる物質の九八パーセントがすでに生成されている。宇宙の誕生だ。そこはこの上ない不可思議さと愉快な可能性を秘めた場所。そして美しい場所だ。しかもサンドウィッチをこしらえるぐらいの時間でできあがる。
最初の宇宙誕生の説明でもう強烈なパンチを喰らう。
一秒で重力が作られる。数分で(サンドウィッチをこしらえるぐらいの時間で)宇宙のあらゆる物質のほとんどが誕生する。
この文章を読むだけでくらくらする。

「宇宙はどうやってできたのか」なんて、もう人間が一生かけても追求しきれないテーマじゃない。
それがこれだけの文章に凝縮されてるんだよ。密度がすごい。ブラックホールか。

ぼくは宇宙にロマンを感じない人間なんだけど、次から次にくりだされるとんでもないスケールの話を読んでいるとただただ圧倒されて、まるで宇宙空間に連れていかれたような気分になる。



読めば読むほど、地球ができて、生物が誕生して、哺乳類が生まれて、そこからヒトへと進化して、絶滅せずに生き残って、こうして文明を築いているのってほんとに奇跡の連続なのだとしみじみおもう。
生まれてきたことに感謝、生きているだけですばらしいとクサいことを言いたくなる。
 一九七八年、マイケル・ハートなる宇宙物理学者が計算を行ない、地球が今よりほんの一パーセント太陽から離れるか、五パーセント接近しているかしていたら、居住不可能だったと結論づけた。ごく狭い幅であり、実際、それは狭すぎた。以来、計算の精度が上がって、もう少しゆるやかな数値五パーセント近づき、一五パーセント遠ざかるあたりまでが精確な居住可能圏とされた――になったが、それでも、狭い地帯には違いない。
 どのくらい狭いか理解するためには、金星を見るといい。金星は、地球より四千万キロ太陽に近いだけだ。その熱が到達する時間差は、わずかに二分。大きさと構成要素において、金星は地球に非常に似ている。が、軌道における小さな違いがあらゆる違いにつながった。太陽系ができて間もないころ、金星は地球よりほんの少し暖かいだけで、おそらく海洋も有していたらしい。しかし、その数度の余分の熱のため、表面の水を保つことができなくなり、環境に悲惨な影響がもたらされた。水が蒸発して、水素原子が宇宙に逃げ、酸素原子は炭素と結びついて、温室効果ガスである二酸化炭素の濃いガス体を形成する。金星は息ができなくなった。わたしと同年代の人なら、金星のこんもりした雲の下には生物が潜んでいるかもしれない、もしかしたら、熱帯植物だって茂っているかもしれないと天文学者たちが期待した時代のことを思い出すだろうが、今では、わたしたちが常識的に考えつくどんな生物にも、きびしすぎる環境であることがわかっている。
地球が生物の棲める環境になったのはすごい確率の偶然が重なった結果だけど、しかし宇宙はそんな奇跡が十分起こりうるぐらい広大なのだ。
銀河には1000億から4000億ぐらいの星があり、そんな銀河が他にも1400億ぐらいあるそうなのだ。うへー。

ってことで、理論上は宇宙のどこかには地球の他にも生物が誕生する星はちょこちょこあるみたい。
とはいえ光に近い速さで移動したとしても寿命がつきる前にたどりつける距離にはまずいない。
ということで「宇宙人がいるか?」という問いに対する答えは、「たぶんいるけど地球人が遭遇する可能性はほぼない」だ。ロマンはあるけど会えなかったらいても意味ないよなー。



かなり平易な文章で書かれているので「科学系の本を読むのが好き」レベルのぼくでもわかりやすかったのだが、量子力学のくだりだけはまったく理解不能だった。
いや書いてあることはわかるんだけど。でもまったく納得ができない。
 要するに、相反する前提にもとづいていながら同じ結果をもたらすふたつの理論が、物理学界に登場したのだ。これはありえない状況だった。
 最終的には、一九二七年、ハイゼンベルクが画期的な折衷案を思いつき、量子力学として知られるようになる新たな規律を生み出した。その中心にある“ハイゼンベルクの不確定性原理”によると、電子は粒子なのだが、波に置き換えて描写することも可能な粒子だという。理論構築の中心に据えられた不確定性とは、電子が空間を抜けて動く際にとる経路か、ある瞬間に電子が存在する場所か、どちらかを知ることは可能でも、その両方を知ることは不可能とする理論だ。一方を計測しようと試みれば、どうしても他方を妨害してしまう。この問題は、単にもっと精密な機器があれば解決するというわけではない。それは、宇宙の不変の特性なのだ。
 つまり事実上、電子が特定の瞬間に存在する場所は、けっして予測できない。できるのは、存在する見込みの高い場所を列挙することだけだ。ある意味で、デニス・オーヴァバイが述べたように、電子は確認できるまで存在しないと言ってもいい。あるいは少し見かたを変えて、電子は確認できるまで「どこにでも存在すると同時に、とこにも存在しない」と考えるべきかもしれない。
電子は規律ある法則に基づいて動いているのに、その場所を予測できないというのだ。それは現時点での観測技術や理論が未成熟だからというわけではなく、もう絶対に不可能。

ん? そんなことってあるか? 法則がわかれば電子がどこにあるかは理論上特定できるはずじゃないの? と素人はおもうんだけど。

物理学者のファインマンは「小さな世界の物質は、大きな世界の物質とはまるで異なる動きをする」との言葉を残したらしい。
微小な世界のための量子論と広大な宇宙のための相対性理論はまったく別個の体系で動いている。相対性理論は素粒子のレベルにはまったく影響を及ぼさない。だと。

なんで? 「家庭の決まりと国家の法律は完全に独立していて、国家の法律は家庭の決まりに一切影響を及ぼさない」だったら明らかにおかしいじゃん。家庭のルールが法律にまったく影響を受けないわけないじゃない。内包されてるんだから。
……とおもっちゃうぐらいに素人なので、ここは何遍読んでも納得できない。



いやほんとどこをとってもおもしろい。
宇宙も原子も地球の構造も生物の進化も細胞も全部おもしろい。
 しかし、いったん進化が軌道に乗ると、哺乳類は驚異的な――ときには、不合理なまでの勢いで―発展を遂げた。一時は、犀(さい)の大きさのモルモットだの、二階建て家屋の大きさの犀だのが存在していた。捕食連鎖に空白が生じると必ず、哺乳類が(文字通り)身を起こしてその空白を埋めた。南米に移住した大昔のアライグマ科動物は、捕食連鎖の空白を発見して、熊ほどの体型と獰猛性を備えた生物へと進化した。鳥類も、不釣合いなほど繁栄した。数百万年ものあいだ、北米で最も獰猛な生物は、タイタニスという肉食の飛べない巨鳥だったと考えられている。この巨鳥が史上最高に恐ろしい鳥だったことは間違いない。体長は約三メートル、体重は三百六十キロ以上あり、気に入らない相手の首を楽々と食いちぎれるほどのくちばしを持っていた。この科の生物は、周囲を脅かしながら五千万年生き延びたが、それでも、一九六三年にフロリダ州で骨が発見されるまで、その存在についてはまったく知られていなかった。
こんなことがさらっと書いてあるけど、夢が膨らむよね。
サイの大きさのモルモット、クマみたいにでかくて凶暴なアライグマ、360kgの身体で相手を食いちぎる巨長……。
ほとんどSFの世界だ。人間が想像するような生物はだいたい過去に存在したんじゃないかと思わされる。
「5つの眼がある生物」なんてのもいたらしい。こんなのも空想の範疇をを超えてるよね。ぼくらが空想できるのはせいぜい三つ目とか偶数個の眼を持つ生物ぐらいだもんね。なんで半端な5個なんだよ。


随所に散りばめられている科学者たちの逸話も楽しい。
 シャップにも増してつきに見放されていたのがギョーム・ル・ジャンティーユだ。この天文学者の経験については、ティモシー・フェリスが著書『銀河の時代──宇宙論博物誌』に鮮やかにまとめている。ル・ジャンティーユは金星の通過をインドから観測するために、フランスを一年前に出発したのだが、いろいろな支障が生じて、太陽面通過の当日にはまだ海の上にいた──揺れる船上では、ぐらつかずに計測できる見込みなどないから、最悪の観測地点といえた。
 ル・ジャンティーユはめげずにそのままインドの土を踏み、現地で次の一七六九年の金星通過を待った。準備期間が八年あったので、第一級の観測台を建て、機器を幾度もテストし、万全の準備態勢で二度めの金星通過の日を迎えた。一七六九年六月四日の朝、目覚めたときは晴天だった。ところが、ちょうど金星が太陽の前を横切り始めたころ、ひとひらの雲がするすると太陽を覆ったかと思うと、ほぼ通過時間の三時間十四分七秒のあいだじゅう、そこに居坐ったのだった。
 落胆を胸に、ル・ジャンティーユは機器を荷造りし、最寄りの港に向かったが、途中で赤痢にかかって一年近くも臥せってしまう。まだ衰弱している体にむち打って、それでもようやく船に乗り込んだ。船はアフリカ沖でハリケーンにぶつかり、すんでのところで遭難しそうになる。やっとのことで帰り着き、家を出てから十一年半、何も達成できないままに戻ってみると、留守のあいだに彼が死んだと決めつけた親戚たちが、土地財産をすべて山分けしたあとだった。

金星の太陽面通過を観測するためにフランスからインドに行ったらいろんな不運に恵まれて帰るまでに11年半(しかも悪天候のため観測できず)、帰ったら財産がなくなっていた……。

ひー。なんてかわいそうな人なんだ。この人の生涯だけで一冊の本になる。
トレヴァー・ノートン『世にも奇妙な人体実験の歴史』を思いだした。いつの世にも、科学のために命も生活も家族も名誉も財産も犠牲にする人たちがいるんだなあ。
彼らをばかだと嗤うのはかんたんだけど、彼らの献身がなければ科学の発展はなかったのだ。



長くなりすぎたのでこのへんにしとくけど、
「カンブリア爆発で生物が爆発的に誕生したわけではない(カンブリア紀に化石化しやすい体になっただけ)」
とか
「カメが地球上で覇権をとりそうになった」
とか、紹介したいことはいっぱいある。

でも書ききれないからこの本を読んでとしか言いようがない。
こんな重厚な本が文庫で1,700円ぐらいで買えるなんて! 全科学をぎゅっとまとめた本だからね。森羅万象が1,700円。安すぎる。

最後まで読んだ後に『人類が知っていることすべての短い歴史』というタイトルを改めて見ると、つくづく我々は自分たちの棲むこの世界のことをわかっているようでぜんぜんわかっていないんだなあと感じ入る。


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