2021年1月27日水曜日

【読書感想文】食生活なんてかんたんに変わる / 石川 伸一『「食べること」の進化史』

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「食べること」の進化史

培養肉・昆虫食・3Dフードプリンタ

石川 伸一

内容(e-honより)
私たちがふだん何気なく食べているごはんには、壮大な物語が眠っている。食材を生産、入手するための技術、社会が引き継いできた加工や調理の方法、文化や宗教などによる影響…。人間は太古の昔から長期間にわたって、「食べること」の試行錯誤を重ねてきた。その食の世界が今、激変してきている。分子調理、人工培養肉、完全食のソイレント、食のビッグデータ、インスタ映えする食事…。こうした技術や社会の影響を受けて、私たちと世界はどう変わっていくのだろうか。気鋭の分子調理学者が、アウストラロピテクス属の誕生からSFが現実化する未来までを見据え、人間と食の密接なかかわりあいを描きだす。

 テクノロジーの発展にともない、「食べること」はどう変わってきたのか、そしてこれからどう変わってゆくのかを大胆に予想した本。

 この手の未来予測本は大好きなので、読んでいて楽しい。五十年後ぐらいに答え合わせをしたい。




 我々がふだん「食と健康」について考えるとき、「食べ物」と「ヒト」についてしか考えない。こういう人はこれを食べるといい、というように。
 だが、ヒトの体内で食物を分解・吸収するために働いているのは腸内細菌だ。
 だから将来、腸内細菌をコントロールする方向に進歩すると著者は指摘する。

 腸内細菌の人体への影響、健康との関わりが明らかになるにつれて、次はその腸内細菌をいかにコントロールするかというテクノロジーに注目が集まっています。腸内細菌のマネジメントは、日常的に口に入れるもの、つまり食べものなどによって、自分の健康に良い微生物の集団として制御することが、一番簡単で効果的です。ふだん私たちは、〝自分〟にとって都合の良いごはんを考えますが、健康維持のためには、「自分にとってのごはん」と同様に、自分のお腹にいる「腸内細菌にとってのごはん」も入念に考えなければならなくなるでしょう。
 ある種のオリゴ糖などの「プレバイオティクス」のように、腸内の善玉菌を増殖させる成分もすでに明らかになってきています。が、年齢や性別、体調や病気、さらには自分の遺伝子によって、腸内細菌の種類と割合などをよりきめ細やかにコントロールする時代がやってくるでしょう。そうなると健康は、これまでの「食べもの」と「ヒト」の二者の相互関係を考えるだけでは不十分で、「食べもの」「ヒト」「腸内細菌」の関係を〝三位一体〟で考えることが必要となります。

 ふうむ。たしかに腸内細菌のマネジメントは欠かせないよな。
 健康を考える上で「食べ物」と「ヒト」のことしか考えないのは、国家を考える上で「領土」と「資源や輸出入などモノの流れ」だけを考えて、国民を無視するようなものだよね。
 ぼくらの身体の国民は細菌だ。

 ヒトの成人の脳と腸は、重量がどちらも1キログラム程度で、ほぼ同じくらいの重さです。それに対して、ヒトと同じ程度の体重の哺乳類の大半は、脳の大きさがヒトの約5分の1程度なのに対し、腸の長さが人間の約2倍あります。つまり、ヒトは相対的に大きな脳と、小さな腸を持っている動物といえます。
 このヒト特有の脳と腸の大きさの比は、最初の狩猟採集民の登場とともに始まった、腸から脳への一大エネルギー転換の結果だという説があります。初期ヒト属は、食事に肉などを追加することによって、大きな腸よりも大きな脳をもつ種へと変わっていきました。つまり、腸にエネルギーが以前ほど使われなくなった分、そのエネルギーを脳の成長と維持にまわすことができるようになったといえます。

 他の動物にはないヒトの特徴、といえばまずは「大きな脳」が思いうかぶが、「短い腸」もヒトの特徴だ。加熱調理をすることでエネルギーを効率的に摂取することができ、食事に長い時間をかけなくても大きな脳を維持できるようになったわけだ。
 ってことは生野菜やフルーツばっかり食ってる人って脳の活動が鈍いのかな。たしかに極端な菜食主義者って脳の活動が鈍いイメージが




 ヒトにはわずかな遺伝子の違いがあり、その個体差は「遺伝子多型」とよばれています。この遺伝子多型が、アレルギー体質や薬に対する効きやすさなどの違いを生み出しています。
 医療から始まった個別化、すなわちテーラーメイド化は、現在、栄養分野にも波及しており、個人個人の体質や遺伝子多型に合った栄養指導としての「テーラーメイド栄養学」があります。薬だけでなく、食品がヒトの身体に及ぼす影響の程度も、人によって違うことがあります。これは、遺伝子多型によって、栄養素の消化、吸収、代謝、利用などに個人差があるためです。
 食品の摂取にともなって起こる遺伝子発現を網羅的に解析する手法は、「ニュートリゲノミクス」とよばれ、個人の「体質」を調べるのに用いられています。個々人の遺伝子多型を考慮した適切な食事を摂ることで、「個の疾病予防」や「個の健康増進」に有効な役割を果たすことが期待されています。ニュートリゲノミクスによる遺伝子多型研究や、胎児期のエピジェネティクス研究などにより、ふだんの生活から、個人に最適な食のデザインを目指す「テーラーメイド栄養学」にますます注目が集まっていくでしょう。

 ぼくは太らない。
 炭水化物が大好き。甘いものも好き。たいして運動もしない。
 でも太らない。昔からずっと痩せ型で、四十手前になった今でもほとんど体重が変わらない。そういう体質なのだ。エネルギーの貯蔵ができないし消費カロリーが多い(=燃費が悪い)タイプ。
 現代ではお得な体質だが、食糧不足の時代には真っ先に死んでしまうタイプだ。

 だから「太らないためには糖質や炭水化物を控えましょう」なんて聞くと、アホじゃねえのとおもう。
 もちろんダイエットには運動や食事制限が重要だが、それ以上に「体質」も大きな要素だ。

 すぐ太るタイプと、ごはんや甘いものを食べても太らないタイプがいる。それを無視してダイエットや食事療法を語るなんて無意味。
 未来では、「21世紀前半までの人はすべての人にいい食事があるとおもってたんだって。ライオンとシマウマに同じ餌を与えとけばいいとおもってたのかな」なんて言われてるかもね。



 食生活が変わることに抵抗を感じる人も多いだろう。
 コロナ禍で会食を控えましょうと言われていても、なかなか変えられない政治家も多い。

 でも、人間の食生活なんてかんたんに変わるものだ。
 我々は「家族そろって食事をするのが正しい姿」とおもいこんでいるが、「家族そろって食事」の歴史はすごく浅い。

 家族関係学が専門の表真美氏は、日本の家族団らんの歴史的な変遷を調べています。その調査によれば、近代までの一般的な家庭の食事は、個人の膳を用いて家族全員がそろわずに行われ、家族がそろっても食事中の会話は禁止されていました。では、食卓での家族団らんは、どのように始まり、どのように普及していったのでしょうか。
 かつて、団らんの移り変わりには、「欧米からの借りものとしての団らん」「啓家としての団らん」「国家の押しつけとしての団らん」があったことが知られています。
 食卓での家族団らんの原型が誕生したのは、明治20年代でした。教育家・評論家の蔵本善治が、食卓での家族団らんを勧める記事を書き、キリスト教主義の雑誌にも同様の記述が複数登場しました。その後、国家主義的な儒教教育と結びついた記事により、家族そろって食事をするべきだという意見が広がっていきました。
 その後、家族団らんが、一般的な家庭の食事風景になったのは1970年代頃でした。NHKの国民生活時間調査によると、この頃、家族で食事している家庭は約9割に達しています。共食が常識だったこの時代の家庭科の教科書には、家族一緒の食事を促す記述はほとんどみられません。

「最近の家族は子どもの塾通いなどでみんなばらばらに食事をとっている! 個食だ! けしからん! 子どもの正常な発達が!」
なんて人がいるけど、一家そろって食事をしていた時期なんて日本の歴史からしたらごくわずかなのね。

「昔はよかった」系の人が理想とするのは昭和時代が多いけど、日本の歴史において昭和ってすごく異常な時代なんだよね。
 専業主婦が主流だったのは昭和だけ、自由恋愛で結婚するのが多数派になったのも昭和、自分で職業を選ぶようになったのも昭和、人口が増えたのも経済が成長したのも二十世紀だけが異常なスピードだった。そもそも「伝統」を意識するようになったのが近代以降。

 食生活なんか数十年でかんたんに変わる(その上さもずっと昔からそれが続いていたと信じこんでしまう)のだから、今世紀後半にはまったく別の食生活になっているかもしれないね。
 すでにコロナ禍のせいでずいぶん変わったし。


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