自分でいうのもなんだが、ちゃんとしている人間だ。
まあ部屋は汚いし、服はよれよれになっても穴が開くまで着つづけるし、風呂では適当に身体を洗ってすぐ湯船に飛びこんでしまうし、食べ物はよくこぼしてしまうし、だらしないところを挙げればきりがないんだけど、人に迷惑をかけないようにはしている。こぼしたものは拾うし。
約束の時間に遅れるとか、人に金を借りるとか、できもしない約束をするとか、そういうことはしない。
だらしないのは「他人に迷惑をかけない範囲で」だけだ。家族にはちょっと迷惑をかけるけど。
これはもう性分だ。
だらしない人がだらしなくするのが楽であるように、きっちりするほうが楽なのだ。心労が少なくて。
「遅くとも約束の時刻の五分前には着くように」とおもって出発するから、たいてい十五分くらい前に着いてしまう。
たいていカードで支払いをするのに「何かあったときのため」とおもって財布には常に二万円は入っている。残金が一万円を切るとすごく不安になる。
「急に結婚祝いが必要になったときのために」とおもって新札の一万円札を常に数枚置いている。いらないのに。なぜなら結婚祝いを急に渡さなきゃいけないような状況はまずこないから。
一方、世の中にはすごくだらしない人がいる。
「給料日前だから金がないんですよ。今月使いすぎちゃって」とか
「ごちそうさま。あっ、お金ないや。貸してもらっていいですか。この後ATMでおろして返すんで」とか言える人。
すごい。ごはんを食べた後でお金がないことに気づけるなんて。それ、ぼくもお金をギリギリしか持ってなかったらどうするつもりだったんだ。
あるいは、十五分も遅刻してきてるのに「ごめんごめん」と言っただけで泰然としてる人。ぼくだったら土下座するぐらい謝る局面なのに。
ちょっとうらやましい。
ひとつには、だらしない人のほうが楽しく生きているように見えること。余計な心配とか抱えていなさそうに見える。
もうひとつは、そういう人ってたいていみんなから愛されるキャラクターであること。
まあこれはあたりまえの話で「もうあいつはしょうがねえな」って許せるキャラクターだからこそ、だらしない行為を続けられるのだ。
だらしないから愛されるのか、愛されるからだらしなくなるのかわからないが、とにかくだらしない人は憎めない。
「不愛想で、時間にルーズな人」とか「他人の欠点をねちねちと責めてきて、方々から借金してる人」とかいないでしょ。
いや、いるんだろうけど、そういう人からはみんな離れてゆくから目につかない。
だから、ぼくらの身の周りにいる〝だらしない人〟は、たいてい気のいい人だ。
時間に遅れても、持ち合わせがなくても、「もう、しょうがねえなあ」で許されちゃう人。愛嬌のある人。
うらやましい。
ぼくのように愛嬌のない人間は、なるべく周囲に迷惑をかけないようにきっちりと生きるしかないのだ。
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