飛田で生きる
遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白
杉坂 圭介
飛田新地を知っているだろうか。
大阪市にある遊郭だ。知らない人はこの令和の時代に遊郭なんて、とおもうかもしれないが、ほんとうに遊郭なのだ。
ぼくも一度友人に連れられて冷やかしたことがある(店には入ってないよ)。和風の建物が立ち並び、通りに面した座敷がオープンになっている。そこに着物姿のお姐さんが座り、派手な照明を浴びている。横にはおばちゃんが座っていて「にいちゃん、どうや」と客を引いている……。
もうどこをとっても遊郭、純度百パーセントの遊郭なのだ。
(ただし一応名目は料亭という扱い。料亭でお客さんと従業員が恋に落ちてコトに及んでしまう……という設定になっているそうだ。たった十五分で。もちろん警察も売春だとわかっているが目をつぶっているのが実情)
ぼくが飛田で見たお姐さんは、めちゃめちゃ綺麗だった。化粧や照明の力も大きいのだろうが、テレビタレントよりも美しかった。ぼくが生まれてから見た中でいちばんの美女だったかもしれない。こんな綺麗な人が売春を……とものすごくどきどきした。
もうまるっきりの異世界で、同じ日本とはおもえなかった。中国に行ったときに売春宿の外観を見たことがあるが(なぜか床屋が売春宿だった)、それよりももっとつくりものっぽくてとても現実とはおもえなかった。
飛田で目にした光景は、冷やかしただけなのにかなり衝撃的だった。
ちなみに友人から「ぜったいに写真を撮ったりしたらあかんで。あやしいそぶりがあると怖い人がとんでくるらしいで」と脅されていたのでそういう意味でもどきどきした。
日本にもこんな世界が残っているんだなあと夢でも見たような感覚にとらわれたものだった。
そんな異世界・飛田だが、今のぼくにとってはまったくの別世界というわけでもなくなった。
今ぼくが住んでいる場所が飛田のすぐ近くなのだ。区は違うし飛田新地は壁で覆われているので通り抜けることもないが、行こうとおもえば徒歩十五分もかからずに行けるぐらいの距離。
うちの家は再開発された地区なので新しいマンションが並んでいるのだが、なぜか飛田新地と小学校の校区が一緒なのだ。なぜ。区もちがうのに。
で、娘が小学校に入るにあたり相当悩んだ。同級生に飛田の子がいるってどうなの。低学年のときはよくても六年生になったらいろんなことがわかるでしょ。そもそも飛田に住んでるのってどういう人なの。保護者同士のまともな付き合いができるの。
差別意識丸出しだが、事実そうおもったのだからしかたない。ぼくもふだんはリベラル派を気取っているが、やはり自分の子のことになると「出自や門戸で人間の本質は決まらないから気にしない!」とは言い切れない。決まらなくても大いに影響は受けるもの。
で、(飛田だけじゃなくて他にもいろいろ理由はあったけど)他の小学校に行かせることにした。別の校区でも希望を出せば行ける制度があったので。
そう、なんだかんだいってもぼくは差別主義者なのだ。
自らの本性をつきつけられた出来事だった。
そんなわけでちょっと自己嫌悪にもなっていたので、「飛田のことを知らねば! 同じ差別をするのでも知らずに差別するより知った上で差別したほうがまだマシなんじゃないか!」と『飛田で生きる』を読んだ。
いやあ、いい本だ。骨太。
文章を書きなれていない人の本なので朴訥とした語り口なのだが、それがかえってわかりやすくていい。題材に力があるので余計な技巧はいらない。
まったく別業種から、ひょんなことから料亭(売春宿)経営をすることになった人の体験談。
経営者として十年、その後は女の子のスカウトをやっているそうで、飛田の裏側を存分に知っている。飛田のことってこれまでは口にするのもタブーみたいなところがあったので、ものすごく貴重な体験談だ。
で、わかったのは、飛田新地は意外なほどちゃんとした世界だということ。
暴力団は徹底的に排除、組合が定めた営業時間はきちんと守る、組合内での女の子の引き抜きは禁止、料金も基本的に一律。とにかくきっちりしている。余計なトラブルを起こさないように厳しく管理している。
組合は地域の清掃活動などにも取り組んでいるらしい。
他の風俗街はおろか、ふつうの繁華街でもこんなに厳しくルールを守っているところはないだろう。
逆にいえば、それだけマズいことをしているということでもあるんだけど。
「売春」という非合法なことで生業を立てているがゆえに、その他の点で府警や近隣住民から苦情を寄せられないよう細心の注意を払っているんだろう。
女の子のスカウトについても、ぜったいにトラブルにならないように配慮しているらしい。
デメリットなども説明した上で、本人の同意をもらってから働いてもらう。辞めたいと言ってきた女の子がいたら無理な引き留めはしない。
万が一女の子が「無理やり働かされた」なんて警察に駆けこんだりしたら飛田新地全体が取り壊しなんてことになりかねないので、そのへんは十分配慮しているそうだ。
風俗のスカウトなんていうと、虚言をあやつって半ば騙して強引に……みたいなイメージがあったけど、(少なくとも著者の周辺では)ないみたい。
やはりそもそもが非合法なビジネスで成り立っているので、その他の点は極力クリーンにしようとしているのだろう。
嘘をついて連れてきて後々トラブルになるほうが長期的に損するので、だったら最初から正直に……ということらしい。
こういうのを読むと、飛田新地は今の社会に必要なものなんだろうなとおもう。
もちろんこんなケースはごく一部で、大半の女の子はブランド品やホスト通いに使うのだとしても。
でも、飛田で働くにはそれぞれワケがある。ブランド品やホスト通いが原因のこともあるけど、親がつくった借金だったり学費だったり家族の生活費だったり。
原因はどうであれ、若い女性がまっとうな仕事で何百万円も貯めることなど、まず不可能だ。
一度貧困にはまると抜けだすことはほぼ不可能だ。
そういう人にとっての貧困からの脱出手段が風俗。その中でも(比較的)危険が少なく、短期間で高額のお金を稼ぐチャンスがあるのが飛田なのだ。
売春はけしからんというのはかんたんだけど、今の日本の生活保護制度や奨学金制度では救えない女性たちを売春宿が救っているのもまた事実。
読めば読むほど「なんで売春っていけないことなんだ? 双方同意でやって、男は満足して女は助けられるんなら何も悪いことないのでは?」という気になる。
批判するやつはこの社会から貧困をなくしてから言えよなー。
といいながらも、こういう世界と自分が積極的に関わりたいかというとやっぱり「まあそれはぼくや家族とは関係のない世界でやってくれ」と彼我の間に線を引いてしまうのもまた事実で……。
その他の読書感想文はこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿