『日本が売られる』
堤 未果
他の国に住んだことがないので断言はできないけれども、なんだかんだで日本は住みやすい国だと思う。少なくとも日本人にとっては。
治安はいいし、教育水準も高いし、水道水は飲めるし、高度な医療を安いお金で受けられるし、そこそこ仕事もあるし、おいしいものも食べられるし。
しかし、今後そういったものはどんどん失われていく。
『日本が売られる』で書かれていることは警鐘ではない、なかば決定事項だ。
潤沢な水、高い教育、おいしくて安全な食べ物、高度な医療介護制度、そういったものが外国の資本家にどんどん売られている。ほかでもない、日本政府によって。
水、種子、農地、漁業権のような命にかかわるものから、教育や福祉といった豊かな生活に欠かせないものまで、次々に「規制緩和」の名のもとに大企業にとって有利な法律がつくられてゆく。生産者も消費者も得をしない、ただ株主だけが得をする法律。
そして先人たちが築いてきた金銭には換えられない財産がどんどん外国資本に売られてゆく。
読んでいるとだんだん背筋が冷たくなってくる。腹が立つ。なにもできない自分にむなしさをおぼえる。そして悲しくなる。国民の生活のことなど歯牙にもかけない政府を戴いていることに対して。『日本が売られる』では「今だけ、カネだけ、自分だけ」というキーワードがくりかえし出てくる。
これはまさに投資家の論理だ。ほとんどの投資は儲けるのが目的だし、誰かが損をしないことには自分は得をしない。そして利益をもたらしてくれるのは今だけでいい。いずれダメになっても、その頃にはもう自分は売り抜けているから。
株式市場だけでやる分には「今だけ、カネだけ、自分だけ」でもいいのだろうが、それがわれわれの生活、特に公的インフラや医療や教育や環境のような長期的スパンで安定した結果が求められるものにはまったく向いていない。
「やってみてあかんかったからやめよーっと」というわけにはいかないのだ。投資家からしたら「もう日本はあかんわ。まともに人が住めるとこじゃなくなったわ。手を引こう」で済むだろうが、そこに住みつづけるわれわれは困る。
だからこそ国家というものがあり、国民の暮らしを守るために規制をかけたり富の再配分をおこなったりする。
ところが、その国家が先陣を切って「今だけ、カネだけ、自分だけ」を実践しているのだ。涙が出る。
国土が未曽有の水害に見舞われているときにカジノ法案を通すような政党が与党であるかぎりは、いつまでもこの状態はつづくだろう。
自動車やアニメなんかはどれだけ外国製品が入ってきてもかまわない。だからどんどん自由競争でやったらいい。
しかし教育やインフラは安ければいいというものではない。「消費者が複数を比較して自分にあったものを選択する」ことができないものだから、取返しのつかない事態になるまえに国家が保護しなければいけない。
だが、今の日本は逆のことをやっている。失うわけにはいかないものをどんどん叩き売っている。
その最たるものが水道だ。
2018年、水道民営化を進めるための水道法改正案が衆議院で可決された。
諸外国では、水道事業を公営化する動きが進んでいる。民営化させたら、料金が上がった、災害への復旧が遅くなった、水質が悪化したなどの悪影響が相次いだためだ。
あたりまえだ。
「民営化すれば効率化する」というのは、競争の原理がはたらくためだ。だが水道は民営化しても競争は起こらない。携帯電話会社のように「複数の水道の中から自分にあった一社を選ぶ」ことはできない。
地域内で一社独占になるのだから、利益を追求する民間企業が水道事業をするなら
「料金は払えるかぎりぎりぎりまで高く、水質はぎりぎりまで落とす。料金を払わない家庭に対しては即座に供給を停止する」が最適解となる。
民営化していいことなんてひとつもないと誰だってわかる。おまけに生命維持に直結するものだから「やってみてダメだったら元に戻そう」というわけにはいかない。
それでも日本は世界の潮流に逆行して、水道の民営化を進めている。
喜ぶのは外国資本と投資家だけ。
「日本人は水と安全はタダだと思っている」といわれているが、そんな幸福な時代はもうすぐ終わりを告げるだろう。
高野 誠鮮・木村 秋則『日本農業再生論 』にも書かれていたが、日本人の多くは日本の農産物は安全と思っているが、外国からは「日本の農産物は農薬基準がゆるすぎるので危険」と思われているらしい。
本来なら食の安全を守る立場にある農水省が、海外の農薬や種子会社が参入しやすいよう、規制をどんどん緩和しているそうだ。
ぼくらが何も知らずに「国産野菜だから安心」なんて思っているうちに、いつのまにか日本産は外国産よりも危険な食べ物になっているのだ。
この本の後半には、ロシアが国家をあげて自然栽培に舵をきりつつある姿が書かれている。
ロシア野菜に安全なイメージなんてまったくなかったけど、今後は変わってくるのだろう。
こういうとき、一党独裁国家は強い。
民主主義国家が目先のカネさえ稼げればいいと思って国土を切り売りしている間に、国家一丸となって長期的なビジョンに向かって突き進めるのだから。
中国やロシアのような一党独裁がいいとはいえないが、もしかしたら資本主義国家も似たり寄ったりなのかもしれない。国家が支配するか資本家が支配するかの違いだけで、一般国民の生活はさほど変わらないのかもしれない。いや、案外一党独裁国家のほうが「なにがなんでも国を守ろうとする」だけマシかもしれない。
この本の最後には、イタリアの五つ星運動など、「国を売らせない」ために行動をはじめた人たちの取り組みが紹介されている。
かすかな希望だ。だが『日本が売られる』に書かれているのは1%の希望と99%の絶望だ。
国の財産を売るための法律がどんどんつくられているのはもちろん国会の責任だが、国会議員以外の国民も無関係ではいられない。
そういう政治家を選んだのはわれわれだし、なにより消費者が目先の安いものをありがたがっているうちは、「日本が売られる」傾向はこれからもつづいていくだろう。
消費者が「高くても安全なものを買う」という意思を表示していれば、企業も質のいい財やサービスを提供せざるをえない。
ぼくは少し前から、生産者からの直販などでなるべく無農薬栽培のコメや野菜を買うようにしている(ときどきだけど)。
些細なことかもしれないけど、こういうことが少しでも「日本が売られる」を防ぐことにつながればいいなと思う。
その他の読書感想文はこちら
堤 未果『日本が売られる』より |
堤 未果『日本が売られる』より |
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そういう政治家を選んだのはわれわれだし、なにより消費者が目先の安いものをありがたがっているうちは、「日本が売られる」傾向はこれからもつづいていくだろう。
消費者が「高くても安全なものを買う」という意思を表示していれば、企業も質のいい財やサービスを提供せざるをえない。
ぼくは少し前から、生産者からの直販などでなるべく無農薬栽培のコメや野菜を買うようにしている(ときどきだけど)。
些細なことかもしれないけど、こういうことが少しでも「日本が売られる」を防ぐことにつながればいいなと思う。
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