2019年2月9日土曜日

誰にでもできる仕事

このエントリーをはてなブックマークに追加

テレビでやっていたのだが、「昔はボウリング場で人がピンを並べていた」のだそうだ。
テレビでは当時の映像が流れていたが、レーンの向こう側に人がいて、一投ごとに倒れたピンをセットしなおしていたそうだ。


高速道路に乗った。
料金所の様子は昔とすっかり様変わりしている。大半の車がETCカードを搭載しているので、ほとんどがETC専用レーンだ。
昔はいた「料金所のおじさん」は絶滅寸前になっている。



便利な世の中になることは、労働者の立場からすると苦しいことかもしれない。

こういっちゃ悪いが、ボウリング場でピンを並べるのも、料金所で通行料を受け取るのも、かんたんな仕事だ。たぶん。
いや、楽だという意味ではない。どんな仕事でもそれなりの苦労はあるだろう。レーンの奥の狭いところに身をひそめてボールが転がってくるのを待つのはたいへんそうだ。事故も多かったんじゃないかな。

でもボウリング場のピン並べに特別な技能は要しない。
たぶん新人が入ってきても
「向こうからボールが飛んでくるから。その間はじゃまにならないように気をつけて。で、ピンが全部倒れたらこうやって十本並べなおす。そしたらまた待機。それだけ。詰まったとかトラブルがあったらでかい声で呼んで」
ぐらいの説明で、あっという間に一人前の労働者になっていただろう。研修五分。

昔の小説や映画を見ていると、コピーをとるとか、電卓を叩いて合計を出すとか、造花にピンをつける内職とか、「かんたんそうな仕事」が出てくる。
今はそんな仕事はほとんど絶滅した。
単調で賃金の安い仕事を人間がしなくて済むようになったのだ。

でもそれって幸せなことなんだろうか。



世の中はすごく便利になったけど、人間はすごく優秀になったわけではない(劣化しているという人もいるがぼくはそうはおもわない)。

むずかしい作業が苦手な人はいつの時代も一定数存在する。
ものおぼえが悪い人、計算ができない人、ものを知らない人、一度にたくさんのことをできない人、人付き合いが苦手な人、不器用な人、身体の弱い人。

誰にでもできる仕事といったら言いすぎだけど、「世の中の八割ぐらいの人ができる仕事」がどんどんなくなっていっている。

よくわかってない人が「仕事なんて選ばなければコンビニでも介護の仕事でもやって食っていける」なんてしたり顔で言うが、コンビニ店員も介護職も技能職だ(どっちもやったことないけど)。
おぼえることが多かったり体力を必要としたり。少なくとも「誰にでもできる仕事」ではない。
「明日一日だけボウリングのピン並べる仕事やってください」と言われたらそれなりにこなせるだろうけど、未経験者が「一日コンビニバイト」になってもまったく戦力にならないどころか足手まといになるだけだろう。

かんたんな仕事は減り、技能や知識や体力を要する仕事の割合が増えた。
その分人々が仕事をしなくて済むようになっていたらよかったんだけど、残念ながら21世紀になってもほとんどの人は働かなければ食っていけない。

「バカでも不器用でも人付き合いが苦手でもまじめにこつこつ働いていればそれなりの暮らしができる」という時代は過去のものになり、むずかしい仕事をできない人の居場所がなくなってしまった。

誰が悪いというわけじゃないんだけど、どうも理不尽さを感じてしまう。

このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿