2018年10月24日水曜日

【読書感想文】わかりやすいメッセージで伝えるのはやめてくれ / 本間 龍・南部 義典『広告が憲法を殺す日』

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『広告が憲法を殺す日
国民投票とプロパガンダCM』

本間 龍  南部 義典

内容(e-honより)
憲法改正には、国会で三分の二以上の賛成と、「国民投票」で過半数の賛成が必要だが、二〇〇七年に制定された国民投票法には致命的な欠陥がある。海外の多くの国では原則禁止となっている「広告の規制」がほとんどなく、CMが流し放題となっているのだ。さらに日本の広告業界は、事実上の電通一社寡占状態にあり、その電通は七〇年にわたって自民党と強固に結びついている。これが意味することは何か―?元博報堂社員で広告業界のウラを知り尽くす本間龍と、政策秘書として国民投票法(民主党案)の起草に携わった南部義典が、巨大資本がもたらす「狂乱」をシミュレートし、制度の改善案を提言する。

近いうちに改憲の是非を問う国民投票がおこなわれるのではないかと言われている。
少なくとも首相は憲法を変えたそうだ(憲法改正、という手段が目的になっているように見えるが)。

個人的には改憲には消極的(というより改憲を目的とした改憲には反対)だけど、正当な憲法に記された手続に従って「国会議員の3分の2の同意」→「国民の過半数の賛成」という手順を踏んで改憲されるのであれば反対する理由はない。

ところが、その国民投票に関する法整備が欠陥だらけだと、本間龍氏(作家、元博報堂社員)、南部義典氏(法学者)は指摘する。
具体的には、広告を制限する仕組みがまるでないこと。このままだと、金を持っている陣営(今だと改憲賛成側)のCMがじゃんじゃん流されて、金にものを言わせた国民投票論争になるんじゃないか、ということだ。



ぼくは仕事で広告の運用をしているので、広告の効果をよく知っている(ネット広告だけだけどね)。

かつて、ぼくはこのブログで「広告の効果は大きいからデモ行進やるよりネット広告でも出したほうがよっぽど効果的だよ」と書いた。そしてその記事を広告配信した(数百円でも広告配信できるのがネット広告のいいところだ)。

すると「わざわざ広告をクリックしてサイトを見にくるやつなんかいない!」というコメントがつけられた。
ところが、そのコメントをつけた人は広告からやってきた人だったのだ!

広告は、多くの人が思っているよりずっと人々の行動に影響を与える。
にもかかわらず影響を受けた人が「自分は広告の影響を受けた」と思わない。
操られていることに気づかずに操られてしまうのが、広告のすごいところであり怖いところだ。

影響を与えないのであれば大企業が多大な金を広告に投じるはずがない。
広告を配信する側から言わせると、「自分は広告に影響されていない」と思っている人こそがいちばんのカモだ。

それに、テレビなどのメディアにCMを出稿するということは、いってみれば番組のスポンサーになるということだ。
ニュース番組や情報番組が、はたしてスポンサー様のご意向に反した報道をできるだろうか?
南部 「番組の提供枠」についてふと思い出したのですが、ドラマやバラエティ番組の出演者を選ぶキャスティングに、「スポンサーの御意向」が大きく影響するという話をよく耳にします。時にはそうした娯楽番組だけでなく、ニュース番組や討論番組などの報道番組でも、キャスターの降板や出演者の人選などについて、その真偽はともかく「スポンサーの御意向が影響している」といった声もありますよね。実際、ニュース番組の報道姿勢を理由に「スポンサーを降板する」と、公然と番組の内容に圧力をかける企業もあるようですし。
本間 僕が一番心配しているのも、実はその点です。賛成派と反対派、それぞれが流すCMは「立場」がハッキリしている。視聴者も「これは賛成派のCMだから」とか「これは反対派のCMだから」という前提で接するわけです。
 しかし、本来は「公平」な立場であるはずのニュース番組や朝のワイドショーなどでも、キャスター、出演者、コメンテーターなどの選び方、番組の構成やカメラワークなどの演出で、視聴者の印象を操作することは簡単にできます。例えば討論番組で、賛成派は若手論客を中心にキャスティングして、反対派は高齢の知識人を多めに呼ぶ、とかね。そうすると当然、賛成派は若々しく活発で、改革者的なイメージに映ります。
 放送法では、放送の「見せ方」や「演出」についての規定がありません。仮にそうした「番組内容」への間接的な影響、圧力があったとしても、それがあからさまなこと――例えば、各派の出演者の人数や、発言時間が明らかに不公平だというレベル――でない限り、基本的には「番組制作上」「演出上」の問題として扱われることになります。
 こうした、広告主に「忖度」して「便宜を図る」のは、放送局が日常的に行っていることです。



イギリスのEU離脱を問う国民投票の際は、離脱賛成派が嘘のデータを用いていたとして問題になった。
しかし、どれだけ嘘を並べたって投票日までにばれなければ問題にならない。
投票した後で嘘が明らかになったところで、投票の結果はひっくりかえらない。
国民投票は「騙したもん勝ち」なのだ。
本間 (中略)あとは、「フェイクニュース」まがいのCMもありうるでしょう。
南部 第1章で述べたように国民投票は人を選ぶ選挙ではないので、公職選挙法のように内容に踏み込んで禁止していません。もちろん明らかなデマや誹謗中傷する内容ならば民事、刑事の事件として司法上の解決を目指したり、JARO(日本広告審査機構)に訴え出ることはできると思いますが、結論が出るころには投票が済んで、その結果が確定している可能性がありますね。
少し前におこなわれた沖縄県知事選でも、候補者を貶めるデマが流出したことが明らかになった。
デマを広めるためだけの立派なサイトまで作られていたので、個人が勘違いで流してしまったようなデマではなく、明らかに組織的なデマの流布だ(そのサイトは選挙終了後すぐ閉鎖されたらしい)。

明確な罰則のある知事選挙でもそういった悪意のある戦術が用いられているのだから、規定のない国民投票であればもっとひどいデマが飛び交うことだろう。

国民投票制度のあるほとんどの国では広告規制があるにもかかわらず、日本ではまったく整備されていない。民放連も自主規制をしないそうだ。

テレビ局も、金になるならそれでいいという考えなんだろう。
経済は大事だが、憲法はもっと大事なんだけどなあ。
本間 やっぱり何度も投票を行っていろいろな経験も経ているから、テレビCMがヤバイということをよく分かっているのでしょう。CMは音と映像で非常に感覚的に人の興味を喚起できる。理屈ではなく、イメージや感覚で「人の心を操る技術」を使って作られるものですからね。
 EU離脱や憲法改正、あるいは脱原発だっていいのですが、そういう国の未来を左右するような、国民一人ひとりが真剣に向き合って考えるべき議論に、テレビCMを使ってイメージで影響を与えようという考え方が、根本的に間違っているのだと思いますよ。
 だから、なぜドイツは国民投票の制度がないのかという話になった時、その理由のひとつが「ナチスドイツ時代の失敗」にあるのだと聞いて、僕はとてもよく分かる気がしたのですね。というのも、ナチスは天才的に、当時のどの国よりも「広告」の力、それも「イメージ広告」の重要性と力を理解していたのだから。
 彼らは映像や音楽やファッションからプロダクトデザインに至るまで、今でいう「マルチメディア的」なアプローチで国民の気持ちを引き付けて独裁体制を確立した。そんなナチス体制下で行われた国民投票で、彼らの提案が有権者の約%%の支持を得て承認されたという事実は、そのまま「国民投票と広告」の問題がはらむ危険性を端的に示していると思いますね。
つくづく「憲法改正が是か非か」を問うより先に、「どういう国民投票制度をつくるべきか」という議論のほうが先だと思う。

頼むから、わかりやすいメッセージで伝えるのはやめてくれ。
憲法について話しあうのに、美しい音楽も容姿端麗なタレントもいらない。
ぼくらはばかなんだから、美しいプロパガンダCMを流されたらころっと騙されちゃうぞ!


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