『広告が憲法を殺す日
国民投票とプロパガンダCM』
本間 龍 南部 義典
近いうちに改憲の是非を問う国民投票がおこなわれるのではないかと言われている。
少なくとも首相は憲法を変えたそうだ(憲法改正、という手段が目的になっているように見えるが)。
個人的には改憲には消極的(というより改憲を目的とした改憲には反対)だけど、正当な憲法に記された手続に従って「国会議員の3分の2の同意」→「国民の過半数の賛成」という手順を踏んで改憲されるのであれば反対する理由はない。
具体的には、広告を制限する仕組みがまるでないこと。このままだと、金を持っている陣営(今だと改憲賛成側)のCMがじゃんじゃん流されて、金にものを言わせた国民投票論争になるんじゃないか、ということだ。
ぼくは仕事で広告の運用をしているので、広告の効果をよく知っている(ネット広告だけだけどね)。
かつて、ぼくはこのブログで「広告の効果は大きいからデモ行進やるよりネット広告でも出したほうがよっぽど効果的だよ」と書いた。そしてその記事を広告配信した(数百円でも広告配信できるのがネット広告のいいところだ)。
すると「わざわざ広告をクリックしてサイトを見にくるやつなんかいない!」というコメントがつけられた。
ところが、そのコメントをつけた人は広告からやってきた人だったのだ!
広告は、多くの人が思っているよりずっと人々の行動に影響を与える。
にもかかわらず影響を受けた人が「自分は広告の影響を受けた」と思わない。
操られていることに気づかずに操られてしまうのが、広告のすごいところであり怖いところだ。
影響を与えないのであれば大企業が多大な金を広告に投じるはずがない。
広告を配信する側から言わせると、「自分は広告に影響されていない」と思っている人こそがいちばんのカモだ。
それに、テレビなどのメディアにCMを出稿するということは、いってみれば番組のスポンサーになるということだ。
ニュース番組や情報番組が、はたしてスポンサー様のご意向に反した報道をできるだろうか?
ところが、そのコメントをつけた人は広告からやってきた人だったのだ!
広告は、多くの人が思っているよりずっと人々の行動に影響を与える。
にもかかわらず影響を受けた人が「自分は広告の影響を受けた」と思わない。
操られていることに気づかずに操られてしまうのが、広告のすごいところであり怖いところだ。
影響を与えないのであれば大企業が多大な金を広告に投じるはずがない。
広告を配信する側から言わせると、「自分は広告に影響されていない」と思っている人こそがいちばんのカモだ。
それに、テレビなどのメディアにCMを出稿するということは、いってみれば番組のスポンサーになるということだ。
ニュース番組や情報番組が、はたしてスポンサー様のご意向に反した報道をできるだろうか?
イギリスのEU離脱を問う国民投票の際は、離脱賛成派が嘘のデータを用いていたとして問題になった。
しかし、どれだけ嘘を並べたって投票日までにばれなければ問題にならない。
投票した後で嘘が明らかになったところで、投票の結果はひっくりかえらない。
国民投票は「騙したもん勝ち」なのだ。
少し前におこなわれた沖縄県知事選でも、候補者を貶めるデマが流出したことが明らかになった。
デマを広めるためだけの立派なサイトまで作られていたので、個人が勘違いで流してしまったようなデマではなく、明らかに組織的なデマの流布だ(そのサイトは選挙終了後すぐ閉鎖されたらしい)。
明確な罰則のある知事選挙でもそういった悪意のある戦術が用いられているのだから、規定のない国民投票であればもっとひどいデマが飛び交うことだろう。
国民投票制度のあるほとんどの国では広告規制があるにもかかわらず、日本ではまったく整備されていない。民放連も自主規制をしないそうだ。
テレビ局も、金になるならそれでいいという考えなんだろう。
経済は大事だが、憲法はもっと大事なんだけどなあ。
つくづく「憲法改正が是か非か」を問うより先に、「どういう国民投票制度をつくるべきか」という議論のほうが先だと思う。
頼むから、わかりやすいメッセージで伝えるのはやめてくれ。
憲法について話しあうのに、美しい音楽も容姿端麗なタレントもいらない。
ぼくらはばかなんだから、美しいプロパガンダCMを流されたらころっと騙されちゃうぞ!
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