2018年10月20日土曜日

お天道様は見ている

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「お天道様は見ている」という表現はおもしろいな。

偉大なる存在はあなたを見ているからまっとうに生きなさいよ。という表現は世界中にあるだろう。

しかし、お天道様は四六時中出ているわけではない。
お天道様が出ているのは日中、それも好天気の日の夜明けから日没までだ。
つまりそれ以外の時間帯はお天道様は見ていない。

お天道様が見ているから悪さをしてはいけないということは、裏を返せばお天道様の出ていない時間帯なら悪さをしても大丈夫、ということになる。

そういや時代劇でも、人が悪事をはたらくのはたいてい夜だ。
夜に座敷で膝をつきあわせて「越後屋、おぬしもワルよのう」と賄賂のやりとりなんかをしている。
江戸時代、夜に灯りをつけている家はそう多くなかっただろうし、夜は今よりずっと静かだったはず。そんな中で灯りをつけて悪事の相談をしていたら誰かに聞かれる可能性が高かっただろうに。にぎやかな日中にやったほうがかえって気づかれにくかったんじゃなかろうか。
それでも悪代官たちが夜中に密談をしていたのは、やはりお天道様に見られたくなかったからかもしれない。



法律は、あえて厳密に定めずに解釈の余地を残すようにできていると聞く。
「人を殺したら死刑」だったら、快楽のために人を殺した者も、誰かを助けるためにやむなく手を上げたら死んでしまった人も同じく死刑にしなくてはならない。
だから「〇年以下の懲役」ぐらいのざっくりした法文にしておいて裁判官が個々の事情にあわせた刑罰を課せるようにしているのだとか。

人間、三百六十五日二十四時間正しく生きることは難しい。
ときには羽目をはずしたくなることもあるだろう。正義のために悪をはたらかなくてはならないこともあるだろう。

地獄について書かれた本を読むと、嘘をついたら地獄に落ちる、動物や虫を殺したら地獄行き、年寄りを敬わなかったら地獄、みだらなことをしたら地獄、スマホでゲームやりすぎたら地獄……とありとあらゆる地獄行き要件が定められ、これをきちんと適用させていたら誰も天国に行けなくなってしまう。

だからこそ「お天道様が見ている」なのかもしれない。
ちょっとぐらいの悪さをしてしまっても「今のはお天道様も見てなかったかもしれない」と言える。
一度道を誤ってしまっても立て直す余地を残している制度、それが「お天道様が見ている」なのではないだろうか。

だからぼくは風呂から上がって身体をよく拭かずに洗面所をびちょびちょにしてしまってもそれはお天道様に見られてなかったからセーフってことで。妻には見られてるけど。怒られてるけど。


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