2018年10月21日日曜日
どうやったら子どもが本を読まないか
知人から
「犬犬さんとこの娘ちゃんは本が好きでいいですねえ。うちの子はぜんぜん本を読んでくれないんですよねー」
と言われた。
「まあ子どもが何を好きになるかなんてわかりませんよねー」
なんて答えたんだけど、先日その人のお宅におじゃまして、
「ああ、これは本を読まんわ」
と思った。
まず本がぜんぜんなかった。
すくなくともリビングルームにはまったく本がなかった。絵本も、大人の本も。
おもちゃがいっぱいあった。それもぬいぐるみとかおままごとセットとかの非言語的なおもちゃ。
テレビをずっとつけていた。
子どもが喜ぶ番組を常に流しているような状態だという。
ぼくは教育の研究者じゃないので「どうやったら子どもが本を好きになるか」はわからない。
でも、本好きとして「どうやったら子どもが本を読まないか」はわかる。
本よりもずっと手軽に楽しめるものを与えること、そして近くに本を置かないことだ。
娘(五歳)は本好きだ。
毎晩寝る前にぼくが一、二冊の本を読む。ひとりで本を読むこともある。小学生向けの本も読む(といっても全ページに挿絵のある本だけだが)。
本を読んだら賢くなるかどうかは知らないが、読まないよりは読むほうがいいとぼくは思っている。そっちのほうが人生を楽しめるから。
本を好きになるのはおもしろい本と出会えるかどうかで決まる。
おもしろい本と出会えるかどうかはどれだけたくさんの本を読んだかで決まる。
「数撃ちゃ当たる」だ。
一冊読むより五冊読むほうがおもしろい本と出会える可能性は高い。五冊読むより五百冊読むほうがずっと可能性は高い。それだけ。
だから手の届くところに本が山ほどあるという環境はすごく大事だ。
娘は同世代の子と比べるとだいぶ本好きだが、それでも誰かと遊ぶほうがずっと好きだ。
ぼくと遊んでいるときは「本読もう」とは言わない。誰かとレゴやトランプをするほうが好きだ。
ぼくが相手をできないときに、ひとりで本を読んでいる。
ぼくも本好きだが、他の何よりも好きというほどではない。気の合う友人と遊ぶほうがずっと楽しい。本は孤独や退屈を埋めてくれる手段ではあるが、最上の楽しみではない。
本より楽しいものを与えつづけていたら、そりゃあ本は読まないだろう。
本を読まない人は誤解しているようだ。
「読書好きの人は、本を読むことが何よりも楽しい」のだと。
いやいやそうでもないですよ。
読書ってそこまで楽しいものじゃないですよ、と読書好きとして言っておく。
あれですよ、コーヒー。
コーヒーを好きな人は多いけど、彼らだって四六時中コーヒーばっかり飲みたいわけじゃない。
ご飯のときはお茶がいいし、和菓子には熱いお茶だし、運動をした後はスポーツドリンクか冷たい麦茶、仕事の後はビール、夜中に目が覚めたときは水。そして日曜日の朝にクロワッサンといっしょに味わうのは、コーヒー。
そんなもんですよ。オールウェイズ一位じゃないですよ。
ぼくがいちばんよく本を読むのは電車での移動時間だ。
「ある程度まとまった時間があるときに」「ひとりで」「特に道具も使わずに」「周囲に迷惑をかけずに」楽しめるものとしては、読書はすばらしい趣味だ。
でも「三十秒しかないとき」や「友人と一緒にいるときや」や「いろんなゲームがあるとき」には、読書はベストな選択肢ではない。
楽しいゲームや、気の置けない友人や、ぼくをちやほやしてくれる美女や、どれだけ使ってもなくならないお金をくれるんなら本なんて読みませんよ。あたりまえじゃないですか。
そういうのを誰もくれないからしょうがなく本読んでるんですよ。読書好きの人はみんなそうですよ!
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