これはぼくの座右の銘である。
ぼくはナンパをしたことがない。
だからナンパのできる人には素直にあこがれる。
ナンパをする男は、どうして見知らぬ女性(それも美しい女性)に声をかけられるのだろうか。不思議でしょうがない。
ぼくなんて、知り合いであっても美しい女性と話すのは苦手だ。
美しい女性を前にすると、緊張して思っていることの1パーセントも伝えられない(もっともぼくが考えていることの100パーセントを伝えたとしたらまちがいなく変態呼ばわりされるだろうから、伝えられなくてむしろラッキーだ)。
ところがナンパ屋さんたちは、見知らぬ女性に声をかけるだけでなく、その話術と情熱をもって相手と仲良くなってしまったりするらしい。
『プロジェクトX』級のビッグプロジェクトだ。
できたら楽しいだろうなあ、ナンパ。
べつにかわいい女の子とどうこうなりたいからナンパをしたいわけではない。
……。
いや、本当はもちろんどうこうなりたいんだけど。
……。
あー。
どうこうなりたーい!
いかんいかん、思考100パーセントのうちの2パーセント目が出てしまった。話を戻そう。
ナンパの成果云々は別にして、「見知らぬ人に気安く声をかける」という行為自体にあこがれる。
かわいい女の子でなくてもいい。居酒屋で隣に座った小太りのおっさんでもいい。
小太りのおっさんに
「Hey, そこの彼、どっから来たの? ひとり?」
と話しかけられたらどんなにいいだらう。
きっとその先に待ち受けるのは夢のように楽しい時間だ。
だけど。
無駄に自意識だけが高いぼくは、恥をかくことをおそれるあまり、その一歩を踏み出すことができない。
ナンパした相手に無視されたり、
「はぁ? マジキモイんですけど」
と云われたら、二度と立ち直れない。
自らを否定されたショックでゲロ的なものを吐いてしまうかもしれない。
しかし。
そのプレッシャーに立ち向かい、克服したものだけが、皆から「ナンパ師」という称号で呼ばれることができるのだ。
ナンパ経験のあるお方と未経験のチキン野郎では、持っている力がちがう。
普段その違いは目に見えない。
一生に一度あるかないかの大舞台が突然やってきたとき。そのときナンパ力の有無が決定的な差となってあらわれる。
「突然やってくる一生に一度あるかないかの大舞台」とは何か。
それが“喪主”である。
それはある日突然やってくる。
はじめてだからといってリハーサルはさせてもらえない。失敗したからといってやり直しは許されない。
まさに一世一代の大勝負だ。
葬式という舞台における主役が死体なら、喪主は監督であり総合演出であり脚本家だ。
喪主がいなくてはどんなに立派な死体もただの遺棄死体。葬儀において、死体を活かすも殺すも喪主の腕にかかっているわけだ。死んでるけど。
ぼくの父親はまだピンピンしていて週3でゴルフに行ったりしているが(どう考えても行きすぎだ)、人生というやつはわからないものだから、明日死んでしまうかもしれない。
そのとき、長男であるぼくは立派に喪主を務めあげることができるだろうか。
まったくもって自信がない。
見ず知らずの参列者たちとうまく挨拶できる気がしない。へらへらしてしまいそうだ。
喪主挨拶で緊張して「本日はお日柄も良く……」とか云ってしまいそうだ。
なぜぼくには喪主が務まらないのか。
それはナンパをしたことがないからだ。
見知らぬ相手と落ち着いて会話をおこなう社交性。
つらくても常に己を保つ強い精神力。
本心を押し殺して確実にことを運ぶ冷静さ。
一方でときには感情を表に出す素直さ。
どれもが、ナンパと喪主の双方に必要なものである。
ナンパという修羅場をいくつもくぐってきた百戦錬磨の兵士に、葬式の喪主が務まらないはずがないのだ。
『ナンパができるやつは喪主もできる』
自信を持って提唱しよう。
葬儀だけではない。
たとえば異星人とのファーストコンタクトにおいても、ナンパの経験は成否の鍵を握っている。
西の空に強い光が差し、あたりが真昼のように明るくなった。
空から、30億人は乗れるかという巨大な船がゆっくりと降りてきた。それほど大きな宇宙船が地上に降りたったというのに、あたりは怖いくらいに静かだった。それが彼らの科学力の高さを示していた。
地球人たちが集まり、誰もが固唾を飲んで宇宙船を見つめている。
やがて。
船の中からそれは姿を現した。
誰もがはじめて見る地球外生物。さすがは宇宙人。頭に三本のツノを生やしているぞ。あれは地球のものではないな。地球人であんな頭をしているやつは、スネ夫をのぞけばひとりもいないからな。
まだ彼が敵なのか味方なのかわからない。どうやってコミュニケーションをとっていいのかもわからない。
あっ。
ひとりの地球人が宇宙人に近づいてゆくぞ。
誰だあいつは。
雑誌で見たことあるぞ。たしか『LEON』とかいう雑誌で。
そうだ、あいつはジローラモだ!
さすが八年連続でナンパ・イタリア代表に選ばれただけのことはある(選考委員はぼく)、あっという間に宇宙人を口説きにかかっちまった。
なんてナンパな野郎だ。見てみろよ、もう打ち解けちまった。スネ夫型宇宙人と熱い抱擁を交わしている。
まちがいない、ナンパができるやつは宇宙人とだって仲良くなれるんだ。
ナンパは数万光年の距離だって軽々と超えるんだ!
ジローラモを皮切りに、次々に世界中のナンパ師たちが宇宙人と仲良くなってゆく(説明するまでもないが、宇宙人はたくさんの人と同時に会話する技術を持っている)。
ぼくだって異星間交流を深めたい。宇宙人に向かって「その頭、地球の漫画に出てくる人と同じでかっこいいですね」と言ってあげたい。
だけどナンパをしたことのないぼくは、宇宙人に声をかけることができない。
どんなタイミングで話しかければいいのか。なんて言葉をかければいいのか。気味悪がられるんじゃないだろうか。高い知性を持った宇宙人にばかにされるんじゃないだろうか。
フォアグラのように肥大しきった自意識に邪魔されて、ぼくは話しかけることさえできない。
いつまでも逡巡しているぼくを後目に、スネ夫型宇宙人は仲良くなった地球人たちに呼びかける。
「おおい親愛なる地球人たち。
立ち話もなんだからさ、うちの星に寄っていかない? うちの星でSVD(スペース・ヴィジュアル・ディスク)でも観ない?
うちの星は地球とちがって、差別もないし、貧困もないし、戦争もないし、おまけに肉ばなれもないんだよ。うちに来たらいいじゃん」
さすがは単独で地球にやってくる宇宙人、なんてナンパがうまいんだ。
ぼくも行ってみたい。戦争と肉ばなれのない世界へ。
人類のおよそ半分がすでに宇宙人と仲良くなったころ、ようやくぼくも決意を固めた。
一世一代の勇気をふりしぼってスネ夫型宇宙人に話しかける。
あのう。ぼくも連れていってもらえませんか。あなたの星へ。
だが、スネ夫型宇宙人はその三本のツノをかきあげ、スネ夫特有のイヤミな口調でぼくに云う。
「悪いなのび太、この宇宙船30億人乗りなんだ」
なんと。
ぼくの前の人がちょうど30億人目だったのだ。
もっと早くに声をかけていれば!
日頃からナンパのトレーニングを積んでさえいれば!
そして宇宙船は、地球上のすべての「ナンパのできるやつ」を乗せてゆっくりと地上から飛び立っていく。
残されたぼくたちはショックのあまりゲロ的なものを吐きながら、去りゆく宇宙船を呆然と眺めるばかりだ。
選ばれなかった絶望感はでかい。
こんなつらい思いを抱えて、とても生きていける気がしない。かといって死ぬわけにもいかない。だって喪主をできるやつらは全員宇宙人に連れていかれちゃったんだもの。死んでも葬式もあげてもらえない!
ぼくたちの悲痛な叫び声は銀河の彼方には届かない。
だが、次第に気持ちも落ち着いてきた。
いつまでも落ち込んでいてもしょうがない。
そうだ。ナンパのできる30億人は連れていかれてしまったが、まだ地球には約40億人もいるじゃないか。
このナンパのできない40億人でこれから仲良くやっていこうじゃないか!
とは思うのだが、ナンパのできないぼくたちはやっぱり互いに声をかけることができず、地球上にはただ気まずい沈黙だけが漂っているのであった。
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