2015年9月12日土曜日

【エッセイ】弁当道

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 合気道や茶道が究めるべき道であるように、お弁当もまた人がその人生を賭けて探求する「道」である。

 お弁当作りは単なる家事ではない。
 己自身と真摯に向き合い、胸に去来する種々の感情を食材とともに「これっくらいの、おべんとばこ」に詰めたもの、それがお弁当だ。
 まさしく「弁当道」と呼ぶにふさわしい。

 手作りのお弁当には作り手の人間性が表れる。
 だから、もし妻に
「あなたの作るお弁当は泥みたいで汚い」
と云われた夫がいるとしたら、その男はまちがいなく泥のように汚い性根の人間だ。

 そう、ぼくのことである。

 我が家は共働きなので、ぼくもたまには弁当をつくる。
 飽きないようにメニューを変えているし、それなりに栄養のことを考えて作っているつもりだ。
 だが妻に云わせると
「泥みたい」
なのだそうだ。
「弁当箱の蓋をあけるたびに、スコールが降った後の砂利道かと見まちがえる」
のだという。
「こんな悪路、ジープでも走れないわ」
なのだそうだ。

 ここまで云われては、一家の副あるじであり、サブ大黒柱であるぼくとしては黙っていられない。

「ごめんなさい。気をつけます」
 妻に逆らって得をすることなどひとつもない。

 たしかにぼくの作るお弁当は、彩りが悪い。
 味付けはたいてい醤油、気分を変えて味噌、中華風にしたければオイスターソースを使う。
 いずれにせよ茶色くなる。
 プチトマトやパセリを入れれば色鮮やかになるだろう。
 だけどぼくには井脇ノブ子級に美的センスがないので、彩りなんぞは食材を選ぶ決め手にはならない。

 ぼくがスーパーで買い物をするときは、
[(可食部分の重量)+(おいしさ)×0.25+(栄養素)×0.5]÷(価格)
で表される式の値を求め、この値が最大となるように食材を選んでいる。
 要は、安くて腹に溜まる食材が優先され、色合いについてはまったく考慮に入らないということだ。
 その結果、ジャガイモだとかソーセージだとか古くなって30%引きのバナナだとかの茶色い食材ばかりを手に取ってしまい、パセリやパプリカやフルーツなんぞの彩り豊か系は見向きもされないということになる。

 茶色い食材を使い、茶色い調味料で味付けをするわけだから、完成した弁当が何色になるかは火を見るよりも明らかだ。
 かくして、お昼時に弁当箱の蓋を開けたら一面の泥色が広がっていることになる。

 泥っぽいのは色合いだけではない。
 弁当の水分含有量という観点から見ても、ぼくのつくる弁当は「泥」だ。
 調理したものをそのままフライパンからどばっと弁当箱に詰めてしまうせいだろう。たいてい箱の中がびちゃびちゃになっている。
 いや、中だけで済んでいればまだいいほうだ。運搬方法が悪かったときは弁当箱から煮汁が染み出して、弁当包みはおろか鞄内に同居していた書類までが泥、じゃなかった、汁まみれになってしまう。

 これはひょっとしたらお弁当箱の構造が悪いのではないかと思ったぼくは東急ハンズに向かった。
 難しいことはよくわからないけど最近はタブレットとかWi-Fiとかのすごいシステムがあるらしい。ITの力でお弁当の汁漏れもなんとかなるかもしれない。

 ハンズには多種多様なお弁当箱があった。
 さすがはハンズ。
 軽いやつとか保温性にすぐれたやつとか、重箱みたいなやつまである。
 だが「汁漏れしにくい!」をうたった商品は見あたらない。
 ぼくはハンズの店員さんをつかまえて訊いてみた。
「この中でいちばん水はけの悪いお弁当箱はどれですか」
 「えっ。水はけ、ですか……?」
「いやね、いつもお弁当箱の中がびっちょんびっちょんになるんで……」
 「あー。でしたら、お弁当仕切りを使われてはいかがでしょう」
 そう云って店員が薦めてくれたのは、プラスチック製の小さなカップだった。
 なるほど。
 こいつを使えば、汁を切らずに適当に詰め込んだとしても、他のおかずに浸水被害が及ぶことは少なそうだ。
 おまけにそのお弁当仕切りたちはオレンジやグリーンなど、実に鮮やかな色をしている。
 色合いの面でもお弁当が泥化するのを食い止めてくれそうだ。
 ぼくは直ちにお弁当仕切りを購入した。
 これで少しは妻の不機嫌も解消されるだろう。

 しかし。
 よく考えてみると、カラフルなお弁当仕切りを買ったからといって、おかずの色が汚いとか、煮汁がお弁当箱からあふれだすとかいう根本的な問題はまるで解決されていないのだ。
 障壁の本質を見ようとせず、その場しのぎの安易な逃げ道に走る。
 まったくもってぼくの生き方そのものではないか。
 泥のように汚い生き方だ。

 やはりお弁当作りは、作る人の人間性がはっきりと表れる「弁当道」なのだ。

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